
****************

【9月6日 AFP】中国の人気ピアニスト、ラン・ラン(郎朗、Lang Lang)氏は、危機に見舞われた時は音楽が一番の薬になると考えている。特にヨハン・セバスチャン・バッハ(Johann Sebastian Bach)は250年以上も前に、現在のようなパンデミック(世界的大流行)の時期にぴったりの曲を作っていたという。ラン・ラン氏は、自身が録音した「ゴルトベルク変奏曲(Goldberg Variations)」のアルバム発売日(4日)を前にAFPの取材に応じ、「音楽は今のような時期には良い薬になる」「バッハは、他の偉大な作曲家と比べても、優れた癒しの力を持っている」と語った。(https://www.afpbb.com/articles/-/3303128?pid=22623822)

*************************************

ぼくの若いころは、クラシックは「聴くもの」だとされていました。もちろん、そう簡単に演奏会には行けなかったし、実演を観る機会が珍しいことだったからです。(ほとんどがレコード中心だった)ところが、今では「観るもの」になりきっています。はじめて、ラン・ランさんのピアノ曲を聴いたときにそう思いました。今日では youtube で相当な数の彼の演奏を鑑賞することができますから、観る楽しみは満載といってもいいでしょう。ぼくは、しかし、やはり静かに聴いていたい人間です。音も派手だし、演奏スタイルも派手というのか、そちらが気になり演奏に集中できないという、困った現象に遭遇しています。ラン・ランさんの後輩のユジャワンさんの場合にはなおさらそうで、とても観ていられません、というか聴いていられないんですよ。これはぼくの偏見かもしれないが、女性の演奏家が「肌を露わに」というのはどういう心境なんですかね。ぼくなどびっくりしてしまいます。音楽か身体か、どちらかにしてよ。


ユジャさんはまだましの方で、もっと「露骨・露出過多」な演奏家もいます。(写真は出しませんが)いったいどういう感覚なのか、とてもじゃないけど、指揮者も他の演奏家もこころ穏やかじゃないようですよ。演奏は凄いのかもしれないが、あれじゃ、というほかありません。ラン・ランさんが「露骨で露出」というのではありませんが、弾いている姿(あるいは挙措)は独特で、ぼくは目を瞑って聴くようにしています。これも流れなのか。フルートやバイオリン奏者までが露出過多では、もうクラシックも終わり。あるいはとっくに終わっているか。(左はKHatiaさ。もっと露わのがありますが、出せません)(登場する世界がちがう、と思う)

さて、「こんな時こそバッハ」論には大賛成です。こんな時でなくとも(平常時)バッハですが。「バッハは、他の偉大な作曲家と比べても、優れた癒しの力を持っている」というのですが、もともとがそんな働きかけを音楽は私たちにしてきたんでしょう。癒すというか、落ち着かせる、それは、いつの時代でもそうでしたが、正反対に、「敵をやっつけろ」「皆殺しだ」と激を飛ばすのも音楽でした。(軍歌はどうです。「露営の歌」をご存じですか。古関裕嗣作曲です。「勝ってくるぞと勇ましく、…」(「エール」というんですか)(奇妙ななりゆきになりました。後日、もう少し真面目に)
______________________________________