こんな時期に音楽はいい薬になる

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【9月6日 AFP】中国の人気ピアニスト、ラン・ラン(郎朗、Lang Lang)氏は、危機に見舞われた時は音楽が一番の薬になると考えている。特にヨハン・セバスチャン・バッハ(Johann Sebastian Bach)は250年以上も前に、現在のようなパンデミック(世界的大流行)の時期にぴったりの曲を作っていたという。ラン・ラン氏は、自身が録音した「ゴルトベルク変奏曲(Goldberg Variations)」のアルバム発売日(4日)を前にAFPの取材に応じ、「音楽は今のような時期には良い薬になる」「バッハは、他の偉大な作曲家と比べても、優れた癒しの力を持っている」と語った。(https://www.afpbb.com/articles/-/3303128?pid=22623822)

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 ぼくの若いころは、クラシックは「聴くもの」だとされていました。もちろん、そう簡単に演奏会には行けなかったし、実演を観る機会が珍しいことだったからです。(ほとんどがレコード中心だった)ところが、今では「観るもの」になりきっています。はじめて、ラン・ランさんのピアノ曲を聴いたときにそう思いました。今日では youtube で相当な数の彼の演奏を鑑賞することができますから、観る楽しみは満載といってもいいでしょう。ぼくは、しかし、やはり静かに聴いていたい人間です。音も派手だし、演奏スタイルも派手というのか、そちらが気になり演奏に集中できないという、困った現象に遭遇しています。ラン・ランさんの後輩のユジャワンさんの場合にはなおさらそうで、とても観ていられません、というか聴いていられないんですよ。これはぼくの偏見かもしれないが、女性の演奏家が「肌を露わに」というのはどういう心境なんですかね。ぼくなどびっくりしてしまいます。音楽か身体か、どちらかにしてよ。

 ユジャさんはまだましの方で、もっと「露骨・露出過多」な演奏家もいます。(写真は出しませんが)いったいどういう感覚なのか、とてもじゃないけど、指揮者も他の演奏家もこころ穏やかじゃないようですよ。演奏は凄いのかもしれないが、あれじゃ、というほかありません。ラン・ランさんが「露骨で露出」というのではありませんが、弾いている姿(あるいは挙措)は独特で、ぼくは目を瞑って聴くようにしています。これも流れなのか。フルートやバイオリン奏者までが露出過多では、もうクラシックも終わり。あるいはとっくに終わっているか。(左はKHatiaさ。もっと露わのがありますが、出せません)(登場する世界がちがう、と思う)

 さて、「こんな時こそバッハ」論には大賛成です。こんな時でなくとも(平常時)バッハですが。「バッハは、他の偉大な作曲家と比べても、優れた癒しの力を持っている」というのですが、もともとがそんな働きかけを音楽は私たちにしてきたんでしょう。癒すというか、落ち着かせる、それは、いつの時代でもそうでしたが、正反対に、「敵をやっつけろ」「皆殺しだ」と激を飛ばすのも音楽でした。(軍歌はどうです。「露営の歌」をご存じですか。古関裕嗣作曲です。「勝ってくるぞと勇ましく、…」(「エール」というんですか)(奇妙ななりゆきになりました。後日、もう少し真面目に) 

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 さんま苦いか塩つぱいか

佐藤春夫  秋刀魚の歌 (上からの続き)
…

小さき箸をあやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸をくれむと言ふにあらずや。

あはれ
秋風よ
汝こそは見つらめ
世のつねならぬかの団欒を。
いかに
秋風よ
いとせめて
証せよ かの一ときの団欒ゆめに非ずと。

あはれ
秋風よ
情あらば伝へてよ、
夫を失はざりし妻と
父を失はざりし幼児とに伝へてよ
――男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて
涙をながす と。

さんま、さんま
さんま苦いか塩つぱいか。
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
あはれ
げにそは問はまほしくをかし。
小さき箸をあやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸をくれむと言ふにあらずや。

 「秋刀魚の歌」を歌ったとき、佐藤春夫は二十九歳。和歌山の人。女に袖にされた男と、男に捨てられる女、この二人の恋の成行き?を「秋刀魚」に語らせた春夫さん。内容はバカバカしいので省略します。女を捨てたのは谷崎という「文豪」と呼ばれるようになる男。「大竹とさんま」でも通りそうなメロドラマか。それが語りたいのではありません。ぼくに濫読時代があったとしたら、佐藤春夫なんかも盛んに読んでいましたし、谷崎の『痴人の愛』なども耽読していたといっていい。「秋刀魚の歌」には何の感情もわきませんでした。二十歳頃の野良犬生活に浸っていた時期。

 秋刀魚が不漁だという話。昨年に引き続く奇怪な物語です。大好物だったこの魚を昨年も食べませんでした。(初めての経験です。ぼくは呑み屋ではきっと旬の魚を頼んでいたし、それが呑む楽しみでもあったのです)去年も今年も一度も秋刀魚を口にしようとしないのは、痩せた細身を焼き尽くすに忍びないからです。不漁の背景は何か、いろいろに言われていますが、ずばりこれだという答えはまだ出ていません。一説では海水温の異様な高温化らしいという。海水の高温帯を通って、猛烈を極める台風10号が沖縄や九州方面を暴風範囲にして迫ってきています。無事を祈るほか、ぼくには何もできない。こうなれば、秋刀魚どころの話ではありません。秋刀魚と台風は二律背反ということになるのか。

 昨日の「余禄」が案の定、「九寸五分」を話題にしていました。

余録 その昔「さんま騒がせで豆腐屋上がったり」といわれた。秋、房州のサンマがどっと入荷して江戸の魚河岸(うおがし)が上を下への大騒ぎとなったのがさんま騒がせ、そんな時は豆腐屋は商売上がったりだったという▲サンマが安くなり、もろにお客を奪われたのが豆腐屋だったのである。「つき屋むしゃむしゃ甘塩の九寸五分(くすんごぶ)」はそのころの川柳。つき屋は米つきを商売とする屈強の男、九寸五分とはそう呼ばれた短刀になぞらえたサンマのことだ▲力仕事の職人が栄養補給にむしゃむしゃ食べられたサンマである。落語「目黒のさんま」は、安くてうまいサンマを下魚とさげすむ「殿様」たちへの庶民の抵抗の笑いだろう。だがその安いサンマを窮地に追い込む不漁の連続である▲先週は北海道での大型船の初水揚げ量が昨年の1%だったとのニュースが衝撃を呼んだ。過去最悪の不漁だった昨年の漁獲量4万5800トンはピーク時の1割足らずだが、調査にもとづく今年の予測はそれを下回る恐れがあるという▲原因の一つは日本近海の海水温の上昇という。また本来サンマのいる水温域でのイワシの増加も目立つという。台湾や中国などの漁獲量増加の影響も大きそうだが、急ぎたい資源管理の国際協議はコロナ禍で先送りとなってしまった▲小さいので1匹500円などと聞けば、先ごろご祝儀相場で話題となった1匹6000円がやがて普通になりはせぬかと心配になる。「殿様」しかサンマを食べられなくなる「逆・目黒のさんま」はごめんだ。(毎日新聞・20/09/05)

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 秋刀魚は不良、台風は豊作とは、何の因果か。それもこれも「政治が悪い」といって気が済むなら、検察はいらない。まだやめていないPM、どうして「辞任の決意」を欠く広告会社に図って「大宣伝」したのでしょうか。「私は大変な病気ですよー」とばかり。前回は辞任即入院でした。これには裏もあり、表もあるのでしょうが、詮索はしない。もうすでに割れていますから。要する…。

 後釜は、前任者に輪をかけたような意趣返し大得意の「たたきあげ」です。さらに「IRいのち」、時間をかけて怨念や落とし前を晴らす才には長けています。マスコミ操縦もお手の物。「裏側」で生きる政治家だという評価が強いですね。怨念や侮蔑で政治を動かされてはたまらない。とにかく、人民のいのちや暮らし第一、それを考え実行しようとする当たり前の政治を冀うのが庶民です。「九寸五分」が当たり前に口に入るような、平凡な生活を何よりも願うね。

 「あはれ 秋風よ 情(こころ)あらば伝へてよ」とは無体。いまだ経験したことのないような「秋嵐」が襲う。

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