
Jun Tsuboike / HuffPost Japan 黙祷中に手を合わせる男性 朝鮮人虐殺を「なかったことにされるのは許せない」。追悼式典の祈り【写真ルポ】関東大震災から97年を迎えた9月1日、デマで虐殺された朝鮮人の追悼式典があった。しかし、その隣では朝鮮人犠牲者に「根拠がない」とする保守団体が集会を開いた。Jun Tsuboike 坪池順(2020年09月03日 17時24分 JST | 更新 12時間前)(https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5f4deff4c5b64f17e1423fff?ncid=other_trending_qeesnbnu0l8&utm_campaign=trending)
「今の時代だからこそ、朝鮮人の苦しみを受け止めなければいけない」そう話すのは朝鮮人犠牲者追悼式が始まる前、追悼碑の前で手を合わせていた男性。 「朝鮮人の犠牲者がなかったことにされるのは許せないこと。みんなが記憶に留めておくべきことだと思います」朝鮮人犠牲者追悼式典の宮川泰彦実行委員長は開式の挨拶で「消しようの無い事実を忘れさせようという動きがある」と述べた。「当時、民族差別意識が社会を覆っていたという事実に目を瞑らない。絶対に同じ誤ち、あるいは類似の過ちを犯してはならない。その為には97年前の悲惨な虐殺によって、数多くの尊い命が奪われた事実を忘れないこと。日本の人々と韓国、朝鮮の人々の間に友好が信頼が築かれることを願います」歴代の東京都知事は朝鮮人犠牲者犠牲者式典に追悼文を送っていたが、小池百合子知事は今年4年連続で拒否している。「全ての犠牲者に哀悼の意を表しているため」が理由という。(同上)
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何年か前に「アウシュビッツはなかった」という記事を掲載した雑誌が廃刊になったことがありました。ドイツの地においても、同じような歴史修正(というより改竄)が盛んに行われようとしてきました。この島でも「南京虐殺はなかった」「大東亜戦争は解放戦争だ」など、たくさんの史実の無視や改竄が行われてきました。「過去の過ちを無にしたい、消したいと願う」のは個人も国家も変わらないのでしょうか。そこに「嘘」が生まれるのです。

歴史をどう見るか、それは「定説」によるといえば済む話でもなく、常に検証する必要があります。この場合、被害者が存在したのですから、「加害者」の側だけで都合よく「歴史」を語ることはできないはずです。ぼくには何人かの在日の友人がいます。長い間にさまざまなことを互いに学んできたと、自身では思っているのです。もちろん、この「虐殺事件」に関してもぼくにできる範囲(知れていますが)で、資料を調べたことがあります。すくなくとも「なかった」とは言えないのです。付き合いを重ねる中で、学ばなければならないことは山のように生み出されてきます。それを避けては、つきあいもつながりも切れてしまう。
「全ての犠牲者に哀悼の意を表している」から、あえて「追悼文は送らない」という都知事の(出まかせの・不誠実な)反応に、傲慢な、逆に言えば、あからさまな民族差別の感情をぼくは痛感してしまう。政治指導者と言われるものが、歴史を都合よく変更解釈したがる理由は、どこにあるのか。(公選法違反の嫌疑をかけられている)「辞任表明」したPMもまた、同じような感覚を持っていました。(いい言葉かどうか)「善隣友好」という思想が、動かすことのできない(移動できない)地域に居住している人間の根本の姿勢・態度ではないかとぼくは考えています。(それがなければ、同じ過ちを起こすね、きっと)
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