それはよかったですね。花という…

東京女子大学卒業時の記念写真(1928)。後列左から五人目が新渡戸稲造氏、その左へ三人目が大村さん。

 大村はまの仕事

 「ある日、私は、たいへんきれいな花束をいただきました。お誕生日だったからです。私はそれを持って帰りましたが、どうしたはずみでしょうか、それをすぐ水に入れようと思っていましたのに、忘れました。そうして、朝まで忘れてしまいました。私はもう、泣きたいような気持で、朝、しおれた花を見ました。でも、もしかしたら助かるかと思って、大きなバケツに水をくんでそれをドップリ入れて学校へ出かけました。そして、帰ってみましたらば、みんなピーンとなって、あざやかな、きれいな花束になっていました。私はほんとうにうれしいと思いました」(大村はま「怪我の功名」『心のパン屋さん』所収)

 大村はまさん(1906~2005)は最晩年まで教師を続けた方です。東京女子大卒。1928年(昭和3)年に長野県諏訪高等女学校へ赴任、その後東京府立第八高等女学校に勤務。第二次世界大戦後は、新制中学校へ転じて、1980(昭和55)年まで(73歳10ヶ月まで)都内公立中学校の教諭。『心のパン屋さん』はさまざまな機会に子どもたちに話した記録の一部からなっています。副題は「ことばの教育に生きる」とされています。「教師である私にとって、子どもを知ること、子どもの心を、そのまま受け取ること、その真実をとらえることは、すべての始まりでした」とは「あとがき」の弁です。

 切り花を水につけるのを忘れて一晩過ごした、だめかもしれないけど、バケツいっぱいの水の中に入れておいたら、嘘のように花が生き返ったというのです。「それから、私は近所の親しい花屋さんに行きました。その花束を少しでも長くもたせたいと思いましたから、切り花に元気をつけるお薬をもらいに行ったのです。そしてついでに、夕べの話をしました。そうしましたら、花屋さんが言うには、『それはよかったですね。花というのは切って間もなく、すぐ水に入れてはダメなんですよ。一晩そうやって、おいといたことがよかったんですよ』と言うのです」

 買って帰って、急いで「水に入れなかったのがよかった」というのは花屋さん。「『まあ、どうしてですか?』とききますと、花は切りたての時には茎にまだいっぱい水がありますので、それで、すぐ水に入れても飲まないのだそうです。吸わないわけですね。そして飲む力が弱ってしまうのだそうです。ところが、切って一晩そういうふうに水がもらえませんと、たいへん水が飲みたくなって、もう、飲みたい飲みたいと、私たちがのどを渇かした時のようになるのだそうです。そこで水にいれますと、ぐっと水を吸いこんで、その時、水を吸いこむ力が強くなるのだということです」(同上)

 なんでもかんでもやればよろこぶと思うのは人間の浅はかさだという話です。

 「教室は、生徒を教えながら、教師である私も生徒に教えられながら、生徒が進むとともに、私もその日、何らかの意味で教師として成長する、そういう場所でなければならないと思います。そういう教師の成長ということのない教室というのは、いろいろ骨を折ってみても、結局、生きた教室にはならないでしょう。教師である私が何も成長しないで止まっているのに、子どもたちだけ成長させるというわけにはいかないと思います」(『教えながら教えられながら』共文社刊、1989年)

 「育てる」のなかに「育てられる」という核を認めなければ、なにものも育たない。

 「子どもの(問いに対する)基礎的な力をつけるのは、教師の分かっていることは聞かないことだと思っていました。教師自身が答えをもっていることを、授業の進行上、子どもに聞いたりする。それは相手を一人前に扱わない失礼なことだと思います。自分の知っていることを知らないような顔をして聞くのは、普通の人にはやらないことです。子どもだからいいというものではない。子どもを尊重するとは、そういうことだと思います。/子どもをおとなと同じように大事にする気持ちになれば、自分の知っていることを知らない顔をして聞くような、空々しいことはできないはずです。そして、そのようなことばのやりとりではなく、ほんとうに真剣に尋ね、答える場は、単元学習*でないと、なかなか得られないと思います」(『日本の教師に伝えたいこと』ちくま学芸文庫版)

 「単元を展開していくと、そういう場面がよくあります。私が知らないことを、子ども が話してくれることがたくさんあります。教科書の手びきのように、答えがちゃんと分かっているというのではありませんから、教師も一所懸命聞かなければ、何を聞かれたのか分かりませんし、子どもも一所懸命言わなければ、ちゃんとした答えを得られません。/ですから、両方が知っていることを聞くというようなことはお互いにしないで、ほんとうに求めて聞き、求めて尋ねるというふうになります。そういう時に真実のことばが育っていくのです。こういう経験を持たないと、言語感覚が育たないし、ことばの真実に打たれることもない」(同上)

 子どもがどこかから仕入れたり、だれかから借りた「知識」に頼ってしまう授業。ぼくたちはしらずしらずに、そのような安易な陥穽に落ちこんでしまう。知っている子どもを頼りに発する質問、答えを知っていそうな子どもに焦点を当てた授業。あちこちでみかける風景ですが、それはまた、わたしたちの生活風景でもあるでしょう。「是非言いたいことがないのに、一所懸命ものを言うということは、それはできないことで、おかしいことです」

 しかし、なかなかそうならないのは、なぜか。

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 しばしばの登場です。大村はまさん。ぼくはこれまでにたくさんの「先生」に出会ってきました。その一人一人を比べることはできない相談ですが、本当に学校の教師だったんだなと思えたのは、大村さん一人でした。個人の判断であり、誤っているかもしれませんが、そのように言ってきましたし、今も言っています。「先生」と呼ばれるだけの人にならねば、そういわれて、返す言葉がありません。ここに、教育の極意が潜んでいるんでしょうか。でも、意外にはっきりとしてもいるんです。「せんせー」と呼びたくなる人、誰にもきっと何人かいるでしょう、生身の人間ですよ。

投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。