#みんなの国勢調査、ほんとに?

「こんな調査に金ばかり使ってー」つらつらお小言を聞かされる、作者さん(ORICON NEWA・2020-09-26)(https://www.oricon.co.jp/special/55202/)
 5年に1度の国勢調査が始まった。国の最も重要な統計調査で、人口および性別、年齢、配偶の状態、就業状態や世帯の構成などの把握のために行われる。この調査には“統計調査員”という調査票を配布・回収する役割を担う人々がいるが、最近では調査員になりすまして個人情報を聞き出そうとする不審な訪問者も多く、調査員が訪問すると、キツイ言葉を浴びせられたり、ないがしろにされたりする現状が…。そんな統計調査の様々な苦労を実録漫画にした投稿がSNSで話題に。作者のえむしえむふじんさん(@mshimfujin)に統計調査員の実情を聞いた。

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 拙宅にも調査員さんが来られました。腕章をまいた方でした。二回も。一回目は調査書を渡しに、二回目は送付方法を聞くために。(一回に、まとめられないんですか。きっと事情があるんでしょうね)「ネットですか、郵送ですか、あるいは、…」いまこれを書いている机の近くに置いたはずの書類の入った「封筒」が見当たりません。十月七日の締め切りですが、今回は出さないつもり。統計も調査も「滅茶苦茶」し放題の官邸や官庁です。おそらく偽造や捏造をしないとも限りません。「国勢」の調査なんてしなくてもわかっています。これまでの調査がどれだけ生かされた(役に立った)か、ぼくは知らされてきませんでした。何のための調査です?

 今緊急にやらねばならないのは「国政調査」だ。議員数や歳費問題、そのの適格性など、課題は山積している。

 「総務省統計局では、9月14日(月曜日)から、日本に住むすべての人と世帯を対象に「国勢調査」を実施します。/ 国勢調査は、生活環境の改善や防災計画など、皆さまの生活に欠かせない様々な施策に役立てられる大切な調査です。/ ご自宅に調査書類が届きましたら、ご回答をお願いいたします。/ 回答にあたっては、新型コロナウィルス感染防止のため、できる限りインターネットでの回答をお願いいたします。また、郵送での回答も可能です。
 皆さまのご協力をよろしくお願い申し上げます。」(総務省)

 「国勢調査票には「男女の性別」と「世帯主との続き柄」をマークする欄がある。しかし、1人目の欄で「男(女)」を選んで世帯主とし、2人目の欄でも「男(女)」を選んで「世帯主の配偶者」とする例について、高市総務大臣は「いわゆる同性パートナーの可能性があるものについては、国勢調査の婚姻関係とは区別する可能性があるので配偶者とはされないが、一方で同一世帯を構成していることを踏まえ『他の親族』に含めることとしている」と説明した。」(よく理解できぬ)(https://news.livedoor.com/article/detail/18899521/)

  ぼくは国政や地方選挙にはまず棄権しないで今まで来ました。理由は簡単、運動のためです。現在は山の中ですから、徒歩で投票場まで行くのに途方もない時間がかかりますから、車を使いますが、わくわくして「候補者」を選んだ記憶はありません。あくまでも自主トレのつもりでしたから、だれが当選しようが、何党(団体)が勝とうが負けようが関係なく生きてきました。国勢調査は「オリンピック」みたいなもんでしょう。わざわざやらなくてもいいもの、誘致してまでやるものかね。普段、それぞれの段階の行政がまじめにやっていれば、莫大な金をかけてまでやる必要のないものです。内閣支持率の調査程度でいいんじゃないですか。悉皆ではなく、百人とか千人とかの規模でさ。

●調査員は1人で50〜100世帯を受け持ち、50世帯の場合、報酬は平均3万9千円。 今回の調査費用は約650億円で、大半はこうした人件費だ。 2010年10月の国勢調査から、調査票に封をして調査員に手渡しするか、役所に郵送する方式に変わった。(朝日新聞より)(「官製マスク」よりは廉価だって。「湯水のごとく…」とは、このことか。防災計画や保育所新設のための調査だって、冗談だろ!)

 駄文を綴っていると、だんだん腹が立ってきます(血圧が上がる)ので、ここらでよします。そうさ、よしなよ。

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 一隅を照らす此れ即ち国宝なり

 (ニッポン人脈記)自転車でいこうよ(承前)

http://www.arrow-one.com/

 ■1600人の足 いやまだまだ

 障害であきらめていた人たちに、自分の力で自転車を走らせる喜びを。

 1979年、36歳で東京都荒川区に小さな作業場を開いた堀田健一(ほったけんいち、69)はその後、足立区に工場を移し、妻和子(かずこ、70)と2人で奮闘した。体に備わった筋力を生かせる乗り物こそ、よりよく生きる手立てだと信じて。/ 相変わらずお金はない。それでも、「いよいよだめだ」という時になると、不思議と自転車を予約したお客さんが内金をもってきてくれて食いつなぐことができた。

 堀田夫婦はこの33年間で、3歳から90歳まで1600人の人たちに会い、2千台近くをつくってきた。/ 手でペダルを押す手動式、坂道を上るためのモーター付き、腕が不自由な人のために足で方向を操作できるもの……。考案した自転車は数十種類に及ぶ。/ 夫婦にとって、完成品を車で届けに行く時のドライブが一番の楽しみだ。「距離は遠くとも心は近く」。北海道でも九州でも、どこでも行く。

 納車の際、堀田はサドルやハンドルの位置を微調整し、伴走しながら乗り方を伝える。大丈夫、乗りこなせると判断して初めて引き渡す。そこまでが仕事だ。/ 頼者がくれた感謝の手紙は、段ボール何箱分になったろう。「息子が友だちと一緒に通学できるようになった」「世界が変わった」「もう自分の足そのものです」

 大阪市に住む西村綾子(にしむらあやこ、54)は7年前から電動機能付きの踏み込み式三輪自転車に乗っている。8年前に病気で左足を失い、義足で杖をつくように。それまで5分で行けた最寄り駅も30分近くかかるようになった。/ 1年後にインターネットで堀田のことを知り、思い切って工場を訪ねた。堀田の自転車に乗って、駅までまた5分で行けるようになった。「スーパーに行って、コンビニに行って、普通の主婦をして……失った日々の暮らしを取り戻すことができました」。車体はいつも、夫がぴかぴかに磨いてくれている。

 神様はやはりどこかにいて、がんばりを見ているのかもしれない。/ 長いトンネルの先に、光があった。/ 2006年1月、堀田は賞を受けた。時計会社のシチズンが主催する「シチズン・オブ・ザ・イヤー」。社会に貢献し、感動を与えた「無名の良き市民」をたたえるというのが賞の趣旨だ。活動が徐々に新聞で取り上げられるようになり、「この人こそ」と選ばれた。/ 貧乏暮らしから突然表彰式の舞台に立ち、堀田はほおをつねりたい気分だった。/ 賞金の100万円はすべて工場の機械の更新にあてた。工程をある程度効率化して月に5、6台は生産できるようになり、食べるにこと欠く暮らしからはようやく抜け出した。

 堀田には友がいる。京都府宇治市で電動車いすをつくる西平哲也(にしひらてつや、61)(⇒)。15歳の時、九つ違いの弟が全身の筋力を失う病気になり、助けたい一心で車いすをつくり始めた。弟は19歳で亡くなったが、重い障害のある人が自活できるよう、その後も工夫をこらしてつくり続ける。/ 堀田さんと初めて会ったのは30年前、障害者向けの製品の展示会でした。出品者は堀田さんと私だけ。お互い粘り強いなあ」

 古希を迎える堀田は最近、残された時間に何をすべきか考えるようになってきた。いま、標準型の製品に設定している値段は1台16万円。ぎりぎりの価格だが、これでいいとは思っていない。もっと安くして、もっと多くの人に届けたい。/「じゃあどうしたらいいか。これまでの蓄積や工夫を書いた私なりの答案を残し、誰かが意志を継げるようにできたらいいのかな」/ いやいや、まだまだ。(西平さんの紹介記事)

 「私も西平さんも、愛用者から『自分が死ぬまでは生きていて』って言われてる」 まだこれからさ――。13坪の作業場に、笑い声が響いた。(但見暢)(朝日新聞・13/03/01)

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 前回も書いたように、ぼくはこのような企業をいくつも探してきました。理由は特にあるわけではありません。こんな生き方をしている人がひたすら好き、それだけです。きっかけがあったようななかったような。もともとが機械ずき、ものつくりが好きだった。自分で何か作る、どんなに小さなものでも自分でつくることに興味を覚えていました。こころざしが弱かったのか、およそ異なる方面で糊塗をしのぐようになりました。後悔があるともないとも言えませんね。それしかしてこなかったのですから。しかしやはりものつくりの仕事ぶりにはいつも魅かれてきたのも、自分でやれなかったことの言い訳だったようにも思われてきます。大工さんも死ぬほど好きでした。電気屋さんも。

 こんな言い方は間違っているようにもとられそうですが、「国宝」という観念がいつも浮かんできます。この言葉を使った人は最澄です。『山家学生式』にあります。「「国宝とは何物ぞ、宝とは道心なり、道心有るの人を名づけて国宝となす。故に古人言わく、怪寸十枚是れ国宝に非ず、一隅を照らす此れ即ち国宝なり」この言葉を何十回何百回も眺めてきました。面倒なことは言いません(言えません)。堀田さんや西平さんに見られる「奉仕の心」とでもいうのか、本当に求められる人の心、それに触れられると、ぼくのような貧相な人間でも、一瞬ではあれ、すこしは役に立つ人間になりたいと錯覚する、そんなことをくりかえしてきました。金塗れ、拝金主義が人心を蝕んでしまったような、塵芥の中に開く蓮華などというと抹香臭くもなりますが、そんな「道心」を持った気になるのです。

 二人はなおご健在です。「一隅を照らす」とは「足元」を明るくするばかり、スカイツリーの類なんかではありません。そんな人がすこしでもおられれば、この世は闇から明の世界になるはずです。いつでもきっと「一隅を照らす」人がいます。その真似事でもしてみたいですね。

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 科学は実事求是、保身を図らない

山東省青島の紡織谷で防疫をテーマとする壁画を見る市民。最も大きな「鍾南山像」は高さが5メートル、幅が3メートル(2020年5月5日撮影)。(c)People’s Daily/黄傑顕
【9月28日 People’s Daily】84歳の鍾南山(Zhong Nanshan)氏は現在、中国広州医科大学(Guangzhou Medical University)付属第1医院国家呼吸器系統疾病臨床医学研究センター主任。医療、教育に従事して60年。鍾氏は「人民大衆の健康と命を守ることこそ、私たち医者の使命」と語る。
 ある友人が声をひそめて「君は判断ミスが怖くないのか。少しでも間違いがあれば、中国工程院院士の名誉にキズがつくぞ」と警告した。これに対して鍾氏は「科学は実事求是(事実に基づいて真理を求める)だ。保身を図ってはいけない。保身を図れば、患者が害を受ける」と静かに言った。(以下略)(https://www.afpbb.com/articles/-/3306932)

 今回の「新型コロナウィルス」感染者がこの島で確認されて以来(一月の、東京で認められた屋形船の乗客と乗員)、ぼくは中国の武漢由来とされた発生源に関して、いくつかの報道を軸にして(素人なりに)問題の所在を調べようとしてきました。そのさいに、まず出会ったのが鐘先生の姿でした。約十日間で千人規模の病院建設を指導していた時のものです。彼は2003年に発生した「重症急性呼吸器症候群(SARS)」の療法を確定した人としても知られていました。それは、「超人的」と言いたいほどの行動です。(参照・https://www.afpbb.com/articles/-/3267989;https://toyokeizai.net/articles/-/328431)

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 ここで彼我の比較云々というのではありません。言っても始まらないし、現実に、この島社会には「コロナ対策」に関して、誰がどのようにして何を目途として実施しようとしているのかわからないという以上、可能な限りでこの社会の現状に沿った方途が求められているからです。「見よ!この現実を」です。

 八十歳を超えてなお、虎のようなというべきか、虎視眈々と「敵」ににじり寄り、正体を明らかにすべく奮迅の活動をされている鐘南山氏に畏敬の念すらいだいています。このウィルスがどういう性質を持っているのか、それにはどういう対策が効果があるか、今この島で取られている効果的な方法の源にもなっている、一人の科学者であるといえます。

 なかなか終息(収束)が見えない不安感ばかりが拡大しています。あるいはこの先も、今あるような状況が果てしなく続くのでしょうか。わが身は自分で守るというのは当然ですが、政治や経済に翻弄されない、まともな生き方をして生活をまっとうしたいものです。(世界の感染者が何百万人、死者が百万人超かなどと、「人命」を無機質な数字に閉じ込めて事足れり、としてしまう報道まがいに、ぼくはうんざりする以上に慨嘆させられています。それに輪をかけるように、「死なば死ね」と言わぬばかりの心ない政治指導者(なのかしら)が跳梁しているさまには肝をつぶすほかありません。人命尊重が「お題目」だけの、不良政治や政治家には瞬時に退場してもらいたいと、無謀かつ無駄な願いを募らせています。

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 医師の仁愛の心は往々にして、ささいな言動に表れる。「これほどのお年で、疲れませんか」との問いに対しては、鍾氏はいつも「病気を治して人を救う。疲れなんか感じませんよ」と笑顔で答える。(同上、9/28付け記事)

 「医は仁術なり」というのは、元来が、文明においては、島社会の本家筋にあたる華の国の姿勢でもあったでしょう。いまでは失われたかにみられていた「規範」「光明」というものを目の当たりにした気がしています。 

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 「すべての国民の皆さま」に自分…

菅義偉首相の名刺は1枚1万円、政治家の名刺が転売市場に流出するワケ 9/25(金) 週刊SPA!(画像はメルカリより)菅義偉氏の首相就任をきっかけに、意外なものが高額転売されるようになった。それは「菅氏の名刺」である。/ 日本人の名刺好きは、海外のビジネスパーソンの間では有名だ。本来、名刺というのはただのアドレスカードに過ぎないのだが、日本ではそれが特別な意味を帯びる。政治家の名刺となると尚更だ。従って、菅氏の名刺もネットフリマで高値がついている。(以下略)(https://news.yahoo.co.jp/articles/daa6e6c996e8dc5026b303e230129133d0133989)

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 オークションというものをぼくはしたことがないから、どういう心理で売ったり競ったりするのか知りません。最初、この写真を見て「菅✖✖」が¥15.000かと勘ちがいしました。大変な時代になったもので、なんでもセリにかけるのですから、それだけ買う人がいるというわけです。売買ゲームの時代、素人も玄人も「売ってなんぼ」の時代なのか。数か月前には「マスク」で数百万円も稼いだ御仁がいたという話題があふれていました。盗んだ品物を売りに出す盗人猛々しい輩もいる。消毒液(イソジン)まで宣伝する知事(痴事か)がいるんですから、なにも驚かないですね。

(これも「競売」か)

 でもアッと驚くのは、「すべての国民の 皆さまが輝く日本に。」という売り言葉です。「キャッチ」とも言いますが、どういう意味なのか、ぼくにはよくわからない。だから「買わない」に決まっているさ。「一億総活躍」「すべての女性が輝く社会づくり」なども不真面目・不謹慎そのもの、じつに人民を愚弄しているし、愚弄テスクだね。こういうコピーを、いけシャーシャーと人前に突きだすのは勇気があるのか、それとも人さまを舐め切っているのか。ぼくには覗き趣味ないつもりですけれど、首相官邸は「伏魔殿」になり下がって久しいというほかありません。そこの主はどんなに下品で無知蒙昧であるかを天下に示し続けてきました。

 今の政治や経済(政治家や企業人)に欠けているのは、他人をいささかも尊敬できないという一点です。「自分は偉い」とか「自分は優れている」と他人を見下す習癖が幼少のころからついた人間は、よほどでないかぎりは、この習性は終生、治らないと思います。(へそを曲げて生きてきた人間として、ぼくは「すべての国民の皆さま」に入りたくないし。入れられたくありません)

 誠意のかけらなどと言いますが、誠意に「かけら」なんかありません。あるかないか(有か無か)、それだけです。政治家に何か(例えばモラルなど)を求めるというのは、ないものねだりといいますか、藪蛇と言いますか、つまり、滅茶苦茶、やってはいけないというのでしょう。悲しいけれども、現実ですね。

 ものを右から左に移すだけ、それで商売が成り立つ時代・社会になりました。(この原型は「商事だった」会社でしょう)

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 ふるさとは遠きにありて思ふもの

(写真は共同通信)

 初優勝、バンザイ! 正代の故郷・宇土市も興奮 花火20発も彩る 

 初優勝、バンザイ-。大相撲秋場所千秋楽の27日。優勝争い単独首位の関脇正代(28)=本名正代直也、時津風部屋=が歴史的な勝利を決めた瞬間、故郷熊本県宇土市の市民体育館ecowin宇土アリーナのパブリックビューイング会場に地鳴りが響いた。応援グッズを身に着けた後援会メンバーやまわし姿の相撲少年ら200人余りは、県出身力士初の快挙を大喜びした。/ 正代が会場の大画面に姿を現すと、ボルテージも最高潮に。自然と「正代」コールが湧いた。そして行司の軍配が返り、激しく動き回る翔猿に土俵際に追い込まれると、悲鳴が上がった。だが、しぶとく回り込んで難敵を突き落とした瞬間、歓喜に変わった。(熊日新聞・2020/9/27 22:02 )

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 昔(栃若・柏鵬時代)ほど相撲に興奮はしなくなりましたが、時には線香花火のように燃え上がることもあります。このニュースで何がぼくを引き付けたかというと、お国贔屓というか、郷土意識です。熊本は何かとぼくにも縁のある土地柄でしたが、それはともかく、何かにつけ地域対抗意識のような雰囲気が今でも濃厚に残っているのでしょう。「都市対抗」というのはよくないね。村や町は排除されていますから。地方意識の持続化に一役も二役も買っているのは「大相撲」と「N●K」です。まるで「のど自慢大会」のように「地方場所」は盛り上がる。現下のコロナ禍であれば、なおさらにそうなります。閉塞感の打破ですか。加えて熊本地震や豪雨災害で立て続けに打撃を受けてきた熊本だけに、その感が強い。ここは「火の国」といわれます。「火の女」は石川さゆりさんはじめ、たくさん。(熊本の友人は狂喜乱舞しているかもしれない)

 ネットでしか見ませんが、正代は入幕したころから「強くなる」と予感していました。そんなふうに思える力士は数えるほどですが、二か月ごとの本場所で年に六場所、過酷な土俵が続くので怪我人が多発しています。遥かの昔には、「一年を二十日で暮らすよい男」という江戸川柳があったほどに、春秋の二場所、それぞれ十日間ずつの興行でした。また、「無事これ名馬」という格言みたいなものがありますが、「無事これ名力士」というのでしょうか。ともかく、この優勝で熊本が少しでも元気になったとすれば、正代の功績は大大です。地方の時代などというフレーズは、今や絶えて聞かれなくなりましたが、「愛国心」などという人為的なものより、よほど郷土主義は健全だと思います。これが本来の「愛国心」(My Country)の原初・根源じゃないでしょうか。「郷土思い」「古里・故里」への郷愁、それが人を忍耐強くも優しくもするのです。

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 つかず離れず四十年、気になる関係

 異化と同化について

 《…福田定良は法政大学に行って林達夫に接するのだけれども、どうしてもあわないんだな。一生懸命勉強して、林達夫の教えたものをいくらか学ぶんだけれども、いまにいたるまでほとんど四十年たっているんですが、どうしても林達夫の歩いた道というか、その学問には納得できないんです。…つまり、自分が同化できない相手というのは、えらいのかもしれないですよ。それにつかず離れず、つまり四十年、気になる相手であったわけですね。しかし、これは自分の学風ではないと、いま自分が五十過ぎて思い定めるわけだけれども、その自覚に達せるのは林達夫の影響なんですよ。そこのあたりにわたしは感心したなあ》(鶴見俊輔座談『学ぶとは何だろうか』)

 ある種の教育(者)には同化を促すよりも異化(反発)をひきおこしてしまうことがあるのでしょう。あんな教師のいうことなんか聞くものかとか、親父の顔を見るのもいやだ、という具合に。これもまた一つの教育です。同化教育とは別種の教育なんですね。ここで問題となるのは、同化教育一辺倒でもいけないし、異化する(反発を招く)教育だけでも駄目なんじゃないかということです。異化・同化両々あいまって、というのがいいのじゃないか。教育というよりは人との交わりの問題だと思うんですけれども、ある時期に強烈な感化・影響を受けて、それが自分の生涯を決めるほどのものだったということがあるでしょ。その反対に、どうにも我慢できないくらいいやな教師に出逢うこともあります。どちらも一回かぎりのものなのかもしれないんです。この関係が持続することはきわめてまれだと思います。ここに教育、ことに学校教育の限界、また救いもがありますね。

 卒業してしまえば、それで終わり。それをこえて関係がつづくということはまずありません。これも考えてみれば不思議な話です。教師と生徒が教室や学校のなかだけに縛られない交流というものがもっとあってもいいし、それがいかにして可能かという道を探ることも、教育の重要な意味なのではないか。このことに関して、鶴見俊輔さんが教師と生徒の一つの関係のありようを話されたとみていい。異化か同化か、それが問題なのではなく、異化と同化をあわせもつ関係というか、異化と同化がまるであざなえるなわのごとくに、からみあいながら相互交渉を重ねていった一つのケースを話されているんです。

(福田定良さんには独特の雰囲気がありました。飄々というか、悠揚迫らずというか。ぼくはほとんどのものを読んだといえるかもしれません。いつでも肩ひじは張っておられなかったように生きた方でした。その師であった林達夫さんにもいろいろと学ぶことができました。ある種の「教養」の瑞々しさといってもいいかもしれません。博学多識、博覧強記とはこんな人の事を言うのだと、若い時に遥か彼方を眺めるように、まじめに読んだことでした)

 これはまことにまれな場合であるかもしれません。一代の碩学、林達夫に接して、しかもその内部にまで入りこむことができなかった、これまた哲学の徒である福田定良。つかず離れず四十年、これくらいの交渉、それも同化一辺倒でもなく、異化作用だけでも続くはずもないのです、 「それはほんとうの意味での交渉があったということ」だと鶴見さんはいわれます。このような交渉の持続が「人間の教育」だといわれるのじゃありませんか。  

 それは学校教育では望むべくもないということになるのでしょうか。教育にも人間的要素があるのだということを願うのなら、これくらいの時間をかけてその成果というものをつむぎだすことが大切じゃないか。教えられつづけて、期限(卒業)がくればお終いというのでは、あまりにもあっけないという気もします。また、だからといってだれかれにも、福田と林のような関係を期待することもできない。では、どうすればいいのかという具体的な問題に直面しますが、鶴見さんの話をもう少し聞いてみましょう。

 《つまり、同化というのは、なんとなく壇の上に立って直線的に教えるでしょう。異化というのは反発してはじき合っちゃうわけだけれども、同化と異化をともにふくむような相互交渉というのか、それはある時間をともにしなければ、なかなかそういう教育効果というのはあらわれないんですよ。どちらが教育するかわからないけれど、ある時間をとおしての成熟ですね》(同上)

 同化と異化を同時に含む関係(つきあい)、あるいは親子の関係に近いかもしれない。ぼくには親父とのつながりにおいて、この微妙な結びつきがわかるように思えます。親子だからできて、他人同士だから不可能であるとは言わない、福田・林関係は特例であるにしても、そのような寄りながら離れながらという、そんな関係は決して稀ではないようにも考えているのです。教え、教えられるという交々の交わりがどうすれば可能か。作為が働くとも思えないし、自然に生まれるというものなのか。いや、はじめはぎこちなかったけれど、時間の経過に応じて、つかず離れずの関係が滋味を帯びてくるのかもしれません。ぼくは、一人の人間と可能な限り長くつきあう、その中に教育というものが生まれてくるのだといい続けてきました。あるいは、そこに生まれるのが「教育である」と。

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●福田定良 1917-2002 昭和後期-平成時代の哲学者。大正6年4月6日生まれ。昭和21年法大教授。徴用労働者として南方戦線に投入された体験記「めもらびりあ―戦争と哲学と私」を23年に発表。45年の学園闘争で大学をやめる。だれもができる哲学を主張,生活者の感覚に根ざした哲学を追求した。平成14年12月11日死去。85歳。東京出身。法大卒。本名は瀬川行有。著作に「民衆と演芸」「仕事の哲学」など。(デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説)

●林達夫 1896-1984 昭和時代の評論家。明治29年11月20日生まれ。昭和4年から岩波書店の「思想」を編集。戦後は中央公論社出版局長などをへて平凡社「世界大百科事典」編集長をつとめる。すぐれた識見とひろい視野をもつ啓蒙(けいもう)家として活躍。31年明大教授。昭和59年4月25日死去。87歳。東京出身。京都帝大卒。著作に「歴史の暮方(くれがた)」「共産主義的人間」など。【格言など】政治くらい,人の善意を翻弄し,実践的勇気を悪用するものはない(「新しき幕明き」) (デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説)

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