

子供には子供なりの矜持とルールがあるのだ 『手をつなぐ子ら』 [1964年/35mm/モノクロ/100分] 監督・潤色:羽仁進 脚本:伊丹万作/潤色:内藤保彦/撮影:長野重一 出演:佐藤英夫、森原幸雄、植田元求
私は、幼い子どもの頃から、あまり「教育」には期待していませんでした。私の子ども時代は、軍国主義が教育を支配していました。私は、学校とは別に自分なりに、「学習」しつづけて今日にいたっていると、思っています。
戦後の日本で、もっと望みのある教育を受けた方の中には、もう一度、教育に理想を取り戻そうと努力しておられる方も少なくありません。
それとは別に、「自分で学習していく」道を、自分なりに作っていくことも、もう少し真剣に考えられてよいのではないでしょうか。

逆にいえば、ひとりひとりの人間が、それぞれに自分なりの学び方を考えて見る、そのような努力をつみ重ねていくうちに、見失われていた教育の可能性が見えてくるのかもしれません。(羽仁 進「自分なりに学ぶ方法を考えて見る」)
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羽仁さんは1928年生まれの映画監督です。教育、それも学校教育に対してどのような姿勢をとるか、それは人それぞれであるのだと思います。学校を受けいれる人もいれば、羽仁さんのように拒否する(実際に、娘の未央さんはこの島の「義務教育」を経験されておられません)人もいます。学校教育に依存すればするほど、「自分なりの学び方を」を育てることができないようです。逆にいえば、「自分なりの学び方」を見つけないように学校教育を受けさせてきたともいえるわけです。だからこそ、学校にあまり自分を預けないことが肝心なんですね。

テレビの草創期、羽仁さんはよく出演されていて、独自の思想やモノの見方を展開されていました。どこからこんな奇抜な発想が出てくるのかと、ぼくは大いに興味を唆されました。父君の羽仁五郎さんの書いたものをいくつか読んでいたこともあって、この独特の思考法は「親譲りなのだ」と思ったりしました。まだ、状況が呑み込めていなかったんですね。たしかに、ぼくは大いに刺激されたことでした。九十歳を超えてさらに、「現役」であり続けておられます。
(羽仁さんの監督作品などは、「シネマヴェーラ渋谷」などを参照。http://www.cinemavera.com/preview.php?no=191)最近ではNHKの「ETV特集」の「「映画監督 羽仁進の世界 〜すべては“教室の子供たち”からはじまった〜」がありました。(https://www.nhk.jp/p/etv21c/ts/M2ZWLQ6RQP/episode/te/LXV7QMLQ17/)
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〇羽仁進=映画監督。東京生れ。父は歴史家の羽仁五郎。1949年自由学園卒業後,共同通信社をへて岩波映画製作所の設立発起人の一人となる。厚生省をスポンサーにしたPR映画《生活と水》(1952年)で監督デビュー。小学校2年生の授業風景を撮った記録映画《教室の子供たち》(1955年),ドキュメンタリー・タッチの劇映画《不良少年》(1961年)で注目される。以降,劇作家清水邦夫と組んだ《彼女と彼》(1964年)を発表するほか,《ブワナ・トシの歌》(1965年,渥美清主演)と《アンデスの花嫁》(1966年)ではオール海外ロケを行った。〈シネマ・ベリテ〉の手法を取り入れた《初恋・地獄篇》(1968年),ミュージカル《恋の大冒険》(1970年)などの作品もある。ドキュメンタリーの視点から対象を掘り下げて観察する作風が特徴。(百科事典マイペディアの解説)(上の写真は「教室の子供たち」)
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