キャンセル・カルチャーはなに?

スマートフォンに表示された各ソーシャルメディアのアプリのロゴ(2020年5月28日撮影、資料写真)。(c)Olivier DOULIERY / AFP
【8月10日 AFP】有名人、ブランド、指導者、一般の人など誰もが、不快な行動を非難する「キャンセル・カルチャー」に巻き込まれている。批評家らは、このような非難はやりすぎで、社会の二極化に拍車をかけると指摘する。
 
 物議を醸すツイートだったり動画だったり何であれ、人々はすぐさまソーシャルメディアで説明を要求し責任を追及するが、これらが「炎上」につながる可能性もある。
「キャンセル・カルチャー」は、個人や企業が不快なことを言ったり行ったりした場合、謝罪するか視界から消えるまで支援しないことで大勢が一致団結することをいう。
 
 ファンタジー小説「ハリー・ポッター(Harry Potter)」シリーズを手掛けた英作家J・K・ローリング(J.K. Rowling)さんは、トランスジェンダーについてのコメントが「キャンセル・カルチャー」の標的となった。(以下略)(https://www.afpbb.com/articles/-/3296531?cx_part=related_yahoo)

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 他人を批判するのも侮辱するのも、じつに安易に行われる風潮に対して、何ができるのか。あるいは放置しておけばいいのか。今のままでは、必ず法的な規制が(罰則を伴って)意図されることは容易に想定できます。「表現の自由」などというものは、他人を貶める言辞にさえも妥当すると、ぼくは考えていますが、それを受け止める側がどのように感じるかで、確実に様相は変わってくると思います。「キャンセル・カルチャー」はアメリカの文化であり、時代の流れだとしても、それによって大きく傷つくことがあれば、看過できないのは当然です。批判や侮辱を行う側の感受性こそが問われています。さらにこの問題については愚考していくつもりです。(ぼくはSNSやtwitterはまったくくしません。そもそもスマホとかいう機器を持っていないんです)

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投稿者:

dogen3

 語るに足る「自分」があるとは思わない。この駄文集積を読んでくだされば、「その程度の人間」なのだと了解されるでしょう。ないものをあるとは言わない、あるものはないとは言わない(つもり)。「正味」「正体」は偽れないという確信は、自分に対しても他人に対しても持ってきたと思う。「あんな人」「こんな人」と思って、外れたことがあまりないと言っておきます。その根拠は、人間というのは賢くもあり愚かでもあるという「度合い」の存在ですから。愚かだけ、賢明だけ、そんな「人品」、これまでどこにもいなかったし、今だっていないと経験から学んできた。どなたにしても、その差は「大同小異」「五十歩百歩」だという直観がありますね、ぼくには。立派な人というのは「困っている人を見過ごしにできない」、そんな惻隠の情に動かされる人ではないですか。この歳になっても、そんな人間に、なりたくて仕方がないのです。本当に憧れますね。(2023/02/03)