
私の両親は、昔の尋常小学校しか出ておらず、文字もまともに読み書きできなかった。両親は自らの無教養さを正当化するためか、私に「勉強でけへんかってもええ、体さえ丈夫やったらゆうことないわ」と、あまり勉強を強制しなかった。だから、私はそのことをいいことにして、絵ばかり描いていた。
いつの間にか、絵描きになる夢を抱いていた私を、父親は芸人と同様に、極道者がなる職業だと決めつけながらも、この事は絶対口にせず、半ばあきらめと、この種の職業にあこがれもあったのだろう、私を絵の世界に進ませようと決心していたようだ。だから父は、学校の成績が悪くても、絵描きには算数や国語ができなくてもいい、という風に、私にとっても自分達にとっても都合のいいようにいってくれた。父と私との連帯は、ますます学校教育と断絶していった。

私は絵を描くという創造行為により想像力を養うことができたので、たとえ数学ができなくても、アイデア一つで一流の商売人になる自信もあるし、国語が弱かったお陰で、言語に代る視覚面が得意になり、時には言語以上のことを視覚で表現する術も学んだのではあるまいかと、少々うぬぼれてみることもある。(横尾忠則)

〇1936年兵庫県生まれ。美術家。1969年パリ青年ビエンナーレ展版画部門でグランプリを受賞し、1972年にニューヨーク近代美術館で個展を開催。その後もパリ、ベネチア、サンパウロ、バングラデシュほか各国のビエンナーレに出品するなど国際的に活躍。1997年兵庫県立近代美術館、神奈川県立近代美術館、2001年富山県立近代美術館、原美術館、2002年東京都現代美術館、広島市現代美術館、2003年京都国立近代美術館、2005年熊本市現代美術館、2006年カルティエ現代美術財団(パリ)、2008年世田谷美術館、兵庫県立美術館、フリードマン・ベンダ・ギャラリー(ニューヨーク)など国内外の美術館で個展を開催。1995年毎日芸術賞、2000年ニューヨークADC Hall of Fame受賞。2001年紫綬褒章受章。2006年日本文化デザイン大賞受賞など多数。また小説『ぶるうらんど』では2008年度泉鏡花文学賞を受賞した。主な作品集・著書に、『インドヘ』、『コブナ少年』(ともに文春文庫)、小説『ぶるうらんど』、『人工庭園』(ともに文藝春秋)、『温泉主義』(新潮社)、『隠居宣言』(平凡社新書)、『Y字路』(東方出版)、“Tadanori Yokoo:Tokyo,December 2005”(Thames&Hudson)。(新潮社編)
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もともとぼくには人と競争したいとか、
大成したいとか、
郷里に錦を飾りたいとか、
そういう気持ちはあんまりありません。
成功したいと思ったおかげで
うまく結果が出たように思ってる人が
いると思うけど、
ぼくもゼロではないですよ。
でも、いちばんなりたかったのは
郵便屋さんですから、
成功欲など必要ないしね。(横尾)
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横尾さんという人は実に正直な方だと思います。自分に正直というのが一番ぼくには好ましい傾向なんです。若いころに横尾さんは突っ張っているというか、背伸びしているという雰囲気を感じたのですが、ぼくの間違いだったかも。あるいは「小心」な人だったのかもわかりません。(「アホになる修行の極意」より)

昔、雑誌に載せたいと言われて、 小学校の通信簿を取り寄せたことがあります。 先生が保護者に対して、 コメントをする欄があったんだけど、 そのコメントが、1年生から6年生まで、 いっさい変わってなかったの。 担任の先生は年によって変わるのに、 コメントがぜんぜん変わらない。 1年生の先生の書いたものを2年生の先生が めんどくさいからうつしたのかもわかんない。 でも、6年生まで先生は ほぼ同じことを言ってるわけ。 「これはこの子の短所だから直してほしい」 という注文です。 「人にちょっかい出す」 「キョロキョロ横見をする」 「幼児語が抜けない」 「わがまま」 もうひとつは 「優柔不断」
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