善を生み出す力なのか、言論の自由を脅かすものか?
“キャンセル・カルチャー”についての議論が熱を帯びているが、誰が本当に正しいのだろう? 社会正義に役立つツールなのか、それとも一種の検閲なのだろうか? 活動家や心理学者、執筆者たちに話を聞いて、前に進む方法を探ってみた。

By Ella Alexander 2020/07/24 (BAZAAR)(https://www.harpersbazaar.com/jp/lifestyle/daily-life/a33316872/cancel-culture-a-force-for-good-or-a-threat-to-free-speech-200724-lift1/)
まず、“キャンセル・カルチャー”とは何なのか、ということから始めよう。なぜなら、人によって、対応が異なり、その結果、多くの意味を持つようになっているからだ。言論の自由に深刻な危険をもたらすという人もいる。また、「政治的公正が行き過ぎておかしくなった」新しい解釈と捉える人もいるし、不寛容な人が強制的に厳格な検閲を行うために使っている手法だという人もいる。

もしくは、恥ずべき行動をしたからその人を尊敬する気持ちがなくなったと言っているだけだという人もいる。何も新しい現象ではない。言論の自由は常になんらかの影響を及ぼすが、その言論が有害である可能性がある場合は特にそうだ。有名人の中には不正を働いたことで食ってかかられ、何十年もメディアから公然と批判されてきた人がいるし、企業の価値観に反する行いをしたセレブリティは外され、政治家は日常的に反対政党から責め立てられている。今日では、強大な権力から弱い立場にいる人を守るための手段だとも見られている。是非はともかく、キャンセル・カルチャーは社会の周辺に追いやられた人々が声を拡大し、現状のままでは不利になることに挑戦する道を与えているといえる。
それをもっとも純粋に定義したのが、好ましくない発言や行動をしたという理由で、その人や組織をボイコットすることだ。不快なことをした人が出ている映画はもう観ないとか、書いた本は読まないなど、支持をやめるのだ。キャンセレーション(取り消し)は契約を無効にすることに近く、それまではずっとファンだった人や物事との関係を断ち切ることだ。

それとは別なのが“コールアウト・カルチャー”で、間違いにハイライトを当て、害がある場合はそれを非難し、その人が同じ過ちを繰り返さないように、行いを正すよう求めることだ。公に辱めを受ける点ではどちらも同じで、社会正義を勝ち取る方法として使われてきた。どちらもこの6ヶ月で社会に対立を生んでいて、先日、J.K.ローリングがトランスジェンダーのコミュニティについて発言したことで、それが最高潮に達した。彼女は他の150人の学者やライター、作家たちと共に、「リベラルな社会が拠って立つ」言論の自由を脅かすことを根拠に、キャンセル・カルチャー(コールアウト・カルチャーがエスカレートしたものと考えられている)を非難する公開書簡を書き、「反対の見方に対する不寛容と公の辱めや村八分の流行を助長する」と異議を唱えた。自分たちには言論の自由の権利がないと言って、言論の自由を脅かしているものについて議論しているこの一文には興味をそそられる。(中略)
私たちは、自分の意見を聞いてもらうことが、かつてないほど容易にできる社会に生きている。ソーシャルメディアはそのためにある。私たちがやらなければならないのは、どちら側につくかにかかわらず、人の話を聞くことだ。言論の自由についての議論は二重構造になっている。“キャンセル”するにせよ、批判する権利をはねつけるにせよ、一方を黙らせることでは前進しない。あなたは間違っていると言われることと、削除されることは同じではないのだ。今こそ、他者の声を聞き、対処し、前に進む時だ。(Translation: Mitsuko Kanno From Harper’s BAZAAR UK)

???????????????????????????
ネットの時代標榜されてきましたし、それを歓迎する向きは多い。確かに情報やニュースの独占はろくなことをもたらさないし、いきつくところは、恣意的な情報操作というお定まりの罠に陥る。しかし、表現の自由や発言の機会が容易に確保されるようになると、本来生じないような事件や事故が発生するのを避けられません。表現の自由はあくまでも自由であるから、他人を非難する言辞を発表することも邪魔されないのはその通りですが、その結果、人命に危害が生じたりその恐れがあるような場合はどうなのでしょうか。二律背反ではありませんが、きわどい問題ではあります。

この問題は、ネット時代に特有なのではないと、ぼくは思っています。誹謗や中傷はいつの時代でもあったし、いつの時代でも非難されてきました。でもそれが皆無とならなかったのは歴史が示しています。この島社会でも海外と同様の事態がもたらされています。問題の所在はどこにあるか。英国のファッション誌(ハーパーズバザー)に興味を持っているのではありませんが、この問題に関して要領よくまとめられていたのが目にとまったので、紹介したくなったというわけ。これは問題の入口です。そこから先は、自らの思考力が試されますが、誤りを犯さないための訓練が必要かつ重要であると考えます。(タピオカなるものを賞味したことがありません)
(セレブあり、ファッションあり、占いありで、この雑誌を見るのが癖になりそう)(10月号はあす発売でーす)