いちばん悪い時にも足場はある

「戦後民主主義」とはなんのことですか

 記憶は曖昧ですが、以下の話はこのブログのどこかで触れました。記述はしていないが、触れようとしました。すでに四十年前に書かれた文章ですが、今でも十分に参考になります。敗戦直後からさかんに「戦後民主主義」という言葉が流行しました。その反動かどうか、今日ではほとんど口の端に上ることはなくなりましたが、一時期の流行りは猖獗を極めていました。まるで猫も杓子もといった塩梅で、「戦前派」までが盛んに吹聴していたものでした。それを快く思わない人がいるのもまた、当然だし、ぼくも数の中に入るつもりです。「戦前、にも「戦中」にも民主主義はあったからです。戦後の文部大臣のごときは「天皇制民主主義」とまで言ったことがありました。「民主主義」はいたるところに存在するようです。独裁・専制とだって同居するのです。

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 「だから、戦後の初心に返るというのはあんまり好きじゃない。むしろ、戦中の初心に返ったらどうですかと言いたい。人間が生きているところに権力を批判しようという動きは必ずあるんで、そこからとらえていくことが重大なんじゃないでしょうか。

 戦後民主主義の型にもどろうと思ったって、そんなもの足場もなにもあったものじゃないですよ。いちばんわるいときにも足場はあるはずで、いまももちろんあるんです。だから、今の足場からやるのがいいだろうというふうにわたしは思いますね。

 戦中の民主主義の話として私が思い出すことが一つあるんです。京都に進々堂というパン屋があるんですが、その社内報に續木満邦という人が自分の戦争中の思い出を書いていたんです。

 この人はかなり年をとってから招集されたんですが、招集から十日後に二等兵のまま中国の前線に送られて、そこで訓練された。しばらくたってから、二月の寒いときだったそうですが、「あした、林に連れていく。スパイを木に縛りつけておくから、それを銃剣で突き刺せ。死刑にしろ」と言う命令が出たんです。肝だめしの訓練ですね。その晩、眠れないでベッドの上で考えた。逃げようかどうしようか。そして、明けがたになってようやく決断したんです。現場には行く、しかし、殺さないと。

1902年(明治35年)7月、内村鑑三第3回夏期講習会に集った人々。2列目右から7人目が内村鑑三。前列右から4人目が続木斉、3列目右端が有島武郎、5列目左から4人目が志賀直哉、最後列右から4人目が小山内薫等。(満邦氏は斉氏の四男。彼もまた内村派でした)(http://www.shinshindo.jp/

 朝になって林のなかに行くと、木にスパイが縛りつけられている。しかし、実はスパイかどうかわかりゃしない。裁判も何もないんだから。小隊長が「突け」という命令を出した。しかし、續木氏は動かなかった。「續木、なんだ!」って、名指しされたけれども、それでも動かなかった。そうすると小隊長が自分から寄ってきて、銃剣をとって尻をポカンと殴った。そして、兵営に帰ってから「おまえは犬にも劣るやつだ。軍靴をくわえて四つんばいで歩け」というわけで、兵営の庭を歩かされたそうです。人を殺さなかった續木氏を犬にも劣るやつだというセンスが実におもしろいんだけどね。

 續木満邦氏は去年(一九八二年)亡くなりましたが、日本人のなかにはそういう人がいるんだね。戦中にも、ある種の民主主義、権力の命令に対する抵抗はあるんですよ。そういう人は自分の尻の上に坐っていた人で、精神の現象学とは関係ないんです。「戦争が終わった、これから民主主義だ」なんていう人はどうかしてる。そんなふうに考えていたら、別の時代が来ると崩れるのはあたりまえでしょう。だから、戦争中にもどって考えなおしたらどうですかと言いたいし、…」(鶴見俊輔)

 別のところで鶴見さんはこの記事にふれて、つぎのように書いておられます。「不服従の作法」と題して。軍靴をくわえてはいまわったのは、彼だけではなかったそうです。

 「行儀について書こうとする」時、まず浮かんできたのは、續木さんの文章だった。

 「日本人でなくても残虐行為はするし、社会主義国の国民も残虐行為をすることは、第二次世界大戦とその後の三十五年間の世界史でわかった。

 しかし、日本人の行儀作法を考える時、残虐行為を命じられた時にもしないという作法を身につけた人(そういう人がたしかにいた)がどういうふうに育ったかを知ることが根本問題の一つだと思う。

 第二次世界大戦のころの日本では礼儀作法がやかましく言われた。敬礼、正座、靴のぬぎかた、電車内の席のとりかたは、戦後の今よりもずっときちんとしていた。それでも日本の国外に出ると、作法は根本のところが守られなかった」

 民主主義というのは礼儀作法のことだったのです。自分はどこにお尻をのせて坐っているのか。はたして、「自分の尻の上に坐っている」のか、それとも他人の肩や口車に乗っかっているのか。「集団の動きにかぎりなくゆずってゆく身ぶりとしての行儀と別に、集団の狂気から身を守る用意のある行儀が大切だ」と鶴見さんは言います。

 民主主義だ、平和だといっても、さて、自分はなんの上に坐って、ものを考えものを言っているのかということです。戦争中にも民主主義があったというのは特別な話じゃないわけで、それが外国から、他者から与えられたというほうがおかしいというか、まちがいなんじゃないか。もともと、「わたし(じぶん)」のなかに、そのような平等を求めようとする、あるいは権力の無謀に対する批判・抵抗の精神があるということに気づくことが大切なんだといいたいのです。誰彼の胸中には必ず理不尽なことに対する怒りや反抗の気分はあるのです。それをわざわざ隠すことはない。

 今日の状況をみれば、やたらに礼儀が廃れていると思われるのは、きっと礼義が死んでいるからにちがいない。いったい、何のための教育なのかと、あらためて問い直したい。自分がなければ、礼儀も生まれない。コロナ禍にも、民主主義は死なないで、つまりは生きているのです。「集団の狂気」に引き込まれない準備(用意)こそ、礼儀なのだから。ここで「礼儀」というのは、自分に対する注意深さを指しています。

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だまつて今日の草鞋穿く

しぐるるや死なないでゐる

水に影ある旅人である

しぐるるやしぐるる山へ歩み入る

木の芽草の芽あるきつづける  (種田山頭火)

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投稿者:

dogen3

 「名もなく貧しく美しく」、ぼくにとって、それは生きる姿勢(流儀)の理想型ではありますが、現実には「名もなく貧しく醜悪に」、せいぜいがそんなところでしたね。「美しく」どころではなかったけれど、「名もなく貧しく」は断固として一貫してきたと思う。とても自慢できませんがね。