
「生徒の心に生涯残り、生きる糧となる授業をしたい」との思いから、1950年、新制灘中学校で新入生を担当することになった時点から、「教科書を使わず、中学の3年間をかけて中勘助の『銀の匙』を1冊読み上げる」国語授業を開始する。単に作品を精読・熟読するだけでなく、作品中の出来事や主人公の心情の追体験にも重点を置き、毎回配布するガリ版刷りの手作りプリントには、頻繁に横道に逸れる仕掛けが施され、様々な方向への自発的な興味を促す工夫が凝らされていた。同年10月、東京教育大学(現:筑波大学)教授の山岸徳平が授業を見学し、「横道へ外れすぎではないか」との批判を受けたが、これこそがこの授業の最大の目的とする所であった。(Wikipedia)(13年9月11日死去)

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■120歳まで生き、死ぬまで授業したい
――「国語は人間の学ぶ力の背骨」とおっしゃってますね
国語をやっていけば、物事を考える根拠になっていく。自分の生活を豊かにしていく根拠になっていくわけです。数学は理論でしょ。社会は現象。でも国語は言葉ですからね。「銀の匙(さじ)」だろうが何だろうが、それをもとに横道にそれていくことで、言葉も知識も豊かになっていくわけです。
――スローリーディングの授業をされましたが、昨今は速読が話題で学校にも広がっています

世の中全体は、なんだかあわただしい気がしますわな。話し方一つでもそうでしょ。私は、教室中の子どもたちに聞こえるように、大きな声で一つ一つ言葉を選び、はっきり、ゆっくりと話すよう心がけてきた。だから、耳が遠くても、こっちの言っていることが相手に伝わらないことはない。
子どもって、ゆったりと遊びながら育っていくんですよ。遊びの中で学ぶのが一番。学校もその延長です。遊ばせる授業をすれば、子どもの方から進んで勉強に入ってくる。遊ぶひまも与えられないで、ガチガチ上から押さえ込む授業をしたら、子どもは受け身になるしか仕方なくなる。だから勉強も嫌になりイライラするんではないですか。
――「銀の匙」の授業は、灘中だから成功したのでしょうか
中学だからでしょう。公立だろうと私立だろうと、ああいうやり方なら、子どもたちは近づいてくる。いまの子は、帰っても塾やお稽古ごとで、自由になる時間が少ない。塾で自由に学べない子が、学校で自由に学べる、自分から行動できるようにし向けていけば、学ぶことが楽しくなるんですよ。

――いい国語教師とは
生徒と友だちづきあいみたいにしながら、一緒に遊んで、それが授業になるのが、プロですわな。そして最終的には、生き方と言うんでしょうかねえ、生きる能力を高めていく。そのために国語教師は存在するんでしょう。そして、教師と生徒が自由に学べるようにするのが、いい学校でしょう。
――120歳まで生きることをめざしていらっしゃるそうですが、これから20年間は?
「自分史いろはかるた」を48の文章にしていこうと思っています。それを書き上げたら、また、「銀の匙」の研究ノートの現代版を作ったり、和綴(と)じ本を作ったりしていけたらと思ってます。

――機会があれば再び教壇に?
そりゃあ、立ちたいですよ。昨年の灘校の授業も、希望者が多くて抽選になったようですし、終わった後ももう一回やってほしいという声があったそうです。私は国文学者でも、評論家でもない。寄り道だらけに生きてきた国語教師ですから、死ぬまで授業したいですね。(聞き手・宮坂麻子)
はしもと・たけし 1912年京都府生まれ。34年に旧東京高等師範学校を卒業し、旧制灘中学の国語教師に。21歳から71歳まで教壇に立つ。遠藤周作らが教え子。近著に「〈銀の匙〉の国語授業」(岩波ジュニア新書)など。(朝日新聞「人生の贈りもの」・12/04/20)
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橋本さんの授業論というか、そう教育観というものが、この新聞の短い記事(インタビュー)でも、過不足なくというのは大げさですが、読み取れるように想われます。言われていることはやさしく簡単に聞こえますが、それが実際に可能となるにはおよそ想像を絶した研究・研修の積み重ねがあったということでしょう。ぼくが興味をひかれたエピソードは学生時代に諸橋さんの「漢和辞典」のお手伝いをしたこと、そこから得た体験が教職で活きてきたと明かされていたことでした。(← この辞典は今も、ぼくの「愛読書」です)
大村はまさんについても同じことをぼくはいいました。いろいろな経験が積み重なりながら、筋肉となり脂肪となって骨格や体形を作るように、教師もまた、その栄養とする養分は数知れないものの中から得られるはずです。それを偏らないで吸収するうちに、自分らしさが生まれてくるのでしょう。(大村さんは、晩年でも週に三日は徹夜されていたと語っておられました)(これも何事においても必須条件ですね、いい恩師(教師)に出会うことです)
子どもは遊びながら育っていく。自分から行動するように仕向けて行けば、子どもは楽しみながら学ぶんだというくだりに、何度も首肯させられました。教師は運転手のようでもあるとぼくは思いますが、それは自動車が快調に動くように仕向けなければ、運転は楽にはならないでしょうし、同乗者も疲れるばかりです。あまり適切な例ではありませんが、教室の教師も、子どもを上手に動かすことができるようにならなければ、教師も子どもも楽しく学べないでしょう。「遊び」が極意です。窓外の景色に見とれているうちに、意外な意見や考えにいたることがあるのです。運転手に恵まれなければ、安心して窓の外など見ておれないですね。

どんなものにも「道」はあるのですが、それは驚くほど簡単であり、やろうと思えば誰だってできるものです。(自動車の運転のように)でもそれを長い時間をかけて丁寧に行うことが至難なのでしょう。交通違反を一度も犯したことのない人はどれくらいいるでしょうか。人生違反はどうですか。嘘をつかない、遅刻をしない、妬まない、侮らない、その他…、たまにだったら誰もができそうで、実際にはいつでも(つねに)できるものではないこと、それを実践し続ける「志(こころざし)」というものが求められるのかもしれません。つまりは、持続するこころざしです。
教職はどこにでもあり、またかならず必要とされる職業ですが、橋本さんたちのお仕事を見るにつけ、なかなか大変だからこそ、やりがいのある、やってみる価値のある仕事だと今更のように痛感しているのです。
(まさしく蛇足です。クリスチャンを見れば、「敬虔な」という修辞がつくのは何でか。敬虔とは縁遠い、キリスト教徒もいるはずなのに。橋本さんに関しても、たいていは「伝説の」という枕詞のような符丁がつけられます。ぼくにはよくわからない、悪しき習慣ですね。橋本氏の仕事に対して大いに敬意を欠いていると思う)(さらに蛇足です。「伝説」の解説 1 ある時、特定の場所において起きたと信じられ語り伝えられてきた話。英雄伝説・地名伝説など。言い伝え。「浦島伝説」 2 言い伝えること。言い伝えられること。また、うわさ。風聞。〔デジタル大辞泉〕)
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