古い上衣を着たままで、再生の道?

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『国体の本義』(昭和十二年五月三十一日 文部省)

第一 大日本国体 一、肇国

 大日本帝国は、万世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ。これ、我が万古不易の国体である。而してこの大義に基づき、一大家族国家として億兆一心聖旨を奉体して、克く忠孝の美徳を発揮する。これ、我が国体の精華とするところである。この国体は、我が国永遠不変の大本であり、国史を貫いて炳として輝いてゐる。而してそれは、国家の発展と共に弥々鞏く、天壌と共に窮るところがない。我等は先づ我が肇国の事事の中に、この大本が如何に生き輝いてゐるかを知らねばならぬ。/我が肇国は、・・・即ち古事記には、/天地(あめつち)の初発(はじめ)の時、高天(たかま)ノ原(はら)に成りませる神の名(みな)は、天之御中主(あめのみなかぬし)ノ神、次に高御産巣日(たかみむすび)ノ神、次に神産巣日(かみむすび)ノ神、この三柱の神はみな独神(ひとりがみ)成りまして、身(みみ)を隠したまひき。/とあり、・・・かゝる語事(かたりごと)、伝承は古来の国家的信念であつて、我が国は、かゝる悠久なるところにその源を発してゐる。(以下中略)/結語  世界文化に対する過去の日本人の態度は、自主的にして而も包容的であつた。我等が世界に貢献することは、たゞ日本人たるの道を弥々発揮することによつてのみなされる。国民は、国家の大本としての不易な国体と、古今に一貫し中外に施して悖らざる皇国の道とによつて、維れ新たなる日本を益々生成発展せしめ、以て弥々天壌無窮の皇運を扶翼し奉らねばならぬ。これ、我等国民の使命である。(以下略)

 はたして歴史的な文献となって倉庫におとなしく収まっているのかどうか。敗戦時にいちばん問題になったのは「国体の護持」でした。その護持されるべき「国体」とは「国体の本義」のなかで涙ぐましいほどに縷説(ウソ八百を並べて)されています。「大日本帝国は、万世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ。これ、我が万古不易の国体である」と。だれにも文句は言わせない、完全かつ荒唐無稽な神話をでっちあげた「国家」観、これがこの国の麗しい「本義」だというのでした。

 あまりにも古色蒼然、がちがちの「日本主義」に窒息しそうなので、脇道にそれて深呼吸、精進落としをしたくなります。先祖帰りというかなんと言いますか、「朝日社報」は社主(社長)がひたすら叱咤激励、新聞もまた一億一心、「新聞報国に玉砕の決意」と、人民を煽りに煽ったのです。

 昭和二十四(1949)年に発表された(西條八十詞・服部良一曲)「青い山脈」の二番、三番の歌詞を示しておきます。後に映画化。原作は石坂洋二郎さん。新しい時代の到来ともてはやされた流行の先陣を切った感があった歌であり映画でした。

古い上衣(うわぎ)
よ さようなら
さみしい夢よ さようなら
青い山脈 バラ色雲へ
あこがれの
旅の乙女に 鳥も啼(な)
く

雨にぬれてる 焼けあとの
名も無い花も ふり仰ぐ
青い山脈 かがやく嶺(みね)
の
なつかしさ
見れば涙が またにじむ

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 戦前・戦後は一本道でつながっていたのです。そんなことは当たり前だといわれればその通りで、もしそこに決定的な違いがあるとしたら、それは「敗戦に至る戦争」をそれぞれがどのように体験したか、あるいは受け止めたか、そのけじめというか決意のようなものがあるかないか、その違いでした。「古い上衣よさようなら」、と気軽く着替えて心身ともに新たになったという錯覚がほとんどの人に働いたのでしょう。この時期、ぼくはまだ虫けらのような存在でしたから、世の中がいかにして回転・浮遊していったのか、皆目わかりませんでしたし、学校に入ってからはなお混とんとしていました。確かにひもじい思いをいつも持ちながら、貧しい生活に安閑・安穏としていたのは、ぼくにかぎっては事実でした。「反省なら、サルでもする」と言ったり、「反省はするもので、させられるものじゃない」という気が強くしましたし、いまでもそういう心持を維持しているのです。

 物心がついて、一人で出歩くようになってから、気が付くとぼくはこんな歌を口ずさんでいました。じつに頽廃的だといわれもしました。驚くなかれ、まだ就学以前のことだったと思う。この歌のほうに、ぼくははるかに深く動かされました。なぜか、後年になってその理由に納得したのでした。(「星の流れに」清水みのる詞・利根一郎曲・菊池章子歌)(昭和22年(1947年)東横映画「こんな女に誰がした」主題歌)(こんなことは学校では教えてくれなかった)

(一)星の流れに 身をうらなって
   どこをねぐらの 今日の宿
   荒む心で いるのじゃないが
   泣けて涙も かれ果てた
   こんな女に 誰がした
(二)煙草ふかして 口笛ふいて
   あてもない夜の さすらいに
   人は見返る わが身は細る
   町の灯影の わびしさよ
   こんな女に 誰がした
(三)飢えて今頃 妹はどこに 
   一目逢いたい お母さん
   ルージュ哀しや 唇かめば
   闇の夜風も 泣いて吹く
   こんな女に 誰がした

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと 下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです