途方もない無責任の連鎖、今も…

「思わざる失態」を演じるな――終戦の5日後、憲兵隊司令部から各部隊に注意を促す通達がなされた。終戦前日に命じた文書焼却についての念押しで、それが実に微(び)に入(い)り細(さい)をうがっているのがすごい▲引き出しの奥にはりついた文書はないか。棚の奥に落ちたもの、焼却物の焼け残りや周囲への散乱、私物の本へはさんだものはないか……箇(か)条(じょう)書(が)きで点検を求め、なかには「机の動揺止めの為(ため)脚下等に挟みたるもの」まで挙げている▲終戦時の文書焼却は軍だけでなく、内務省、外務省などでも行われ、市町村の書類にも及んだ。内務省の焼却は三日三晩に及び、外務省は8000冊を焼いたという。明治国家は軍人や役人の戦争責任を煙に変えた炎とともに滅んだ▲コロナ禍という世界的試練の中で迎える終戦から75年の節目である。行政文書による記録を義務づける「歴史的緊急事態」に指定されたコロナ対応だが、果たして後日の検証や将来の感染症対策に資する記録がなされているだろうか▲疑うのは、今の政府の公文書管理のでたらめを見てきたからである。さらに振り返れば、外国の文書公開で自国の密約外交を知った日本の「戦後」だった。75年を経ても、日本人はその事績を公文書で検証できる政府を築けないのか▲途方もない無責任の連鎖が引き起こした先の戦争であった。その内外の戦没者の魂を鎮める日、どんな為政者も官吏も、いつか必ず文書で立証される歴史の法廷に立ってもらう民主政治の原則を心に刻みたい。(毎日新聞2020年8月15日 東京朝刊)

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 今年の八月十五日の「余禄」です。内容はまことに仰せの通りで、空恐ろしくなるような退廃の歴史をこの島社会は歩んでいることが如実に判然とします。公文書というものは存在しない、一政府や官庁の一存で消したり変えたりで来る「上書き放題」の私文書遊びをしているようなものです。ぼくは、公文書や統計、あるいは白書や報告書の類いは、情けないのですが、ほとんど信用してこなかった。実に悲しいサガというほかありません。まず疑う、これが身に沁みついてしまいました。もうこの疑念は消しようがないと、ぼくは諦めています。

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 戦死した兄の供物は「ゆずの枝」だけだった。『お国のために働いてこい』と送り出した母の後悔を語り継ぐ「この子が戦いに巻き込まれないように、声を大きくして戦争反対を叫べよ」。長男を出産したとき、母から託された言葉。母は2人の息子を戦争で失った。https://www.huffingtonpost.jp/entry/75th-anniversary-of-the-end-of-world-war-ii_jp_5f31d1afc5b6fc009a5c38a0?utm_hp_ref=jp-homepage
「死んでしまうとしたら、この思いを書いておかなきゃ。戦争のこと、もう誰も知らなくなる」
長野県千曲市の田中頌子(たなか・のぶこ)さん(90歳)は2017年から18年にかけての冬、長い間心の中にしまっていた戦争体験を記録し始めた。
2017年の秋に体調を崩した頌子さん。「もしかしたら冬を越せないかもしれない」。いよいよ死を意識したとき、後世にどうしても伝えたい記憶があった。戦死した兄のこと、そして息子を失った母が人知れず流した涙のこと。「伝えなければ」。20枚の原稿用紙に思いを託した。(同上)
(田中頌子さんご提供)母・とみさん

 「戦争」をどのように体験したか。田中さんのような辛酸をなめた方は無数に居られた。それに対して、国はいかように報いたか。小さいころ、多くの家の玄関の柱に「遺族の家」という札がかかっているのを、不思議なものを見るように見ていたことを、よく覚えています。それがなんであるか、当時はわからなかった。「遺族」という家が何とたくさんあるものかという頓珍漢を犯していたのです。結婚して、かみさんの父が若くして「戦死」したことを知り、小石が入った木箱があったのを記憶しています。何の呪(まじな)いかと訝った。そん時にして、ようやく事情が分かったというくらい、目がよく見えていなかったす。

 「お国のために」という身振りはせねばならぬが、本心・本懐はそんなものじゃなかったという心持をぼくは、今こそ大切にしたいと念願しています。「振り」はよくない。国であれ地方であれ、権力の側はまず信用なりません。おのれ(私一個)の空間・領域をそれらに足蹴にされてたまるかという気概ばかりを膨らませて、ぼくは生きてきたし、生きています。そのせいかどうかしらぬが、まことに歪な人間になった。

 途方もない無責任の連鎖は、戦前戦後を一貫して、一度として途切れることなく連綿と続いています。それはまるで人民を舐めつくすシロアリの「万世一系」のようでもあります。その「シロアリ」を延々と養成してきたのが✖✖だったとしたら、ぼくは死にきれないね。

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 古い上衣を着たままで、再生の道?

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『国体の本義』(昭和十二年五月三十一日 文部省)

第一 大日本国体 一、肇国

 大日本帝国は、万世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ。これ、我が万古不易の国体である。而してこの大義に基づき、一大家族国家として億兆一心聖旨を奉体して、克く忠孝の美徳を発揮する。これ、我が国体の精華とするところである。この国体は、我が国永遠不変の大本であり、国史を貫いて炳として輝いてゐる。而してそれは、国家の発展と共に弥々鞏く、天壌と共に窮るところがない。我等は先づ我が肇国の事事の中に、この大本が如何に生き輝いてゐるかを知らねばならぬ。/我が肇国は、・・・即ち古事記には、/天地(あめつち)の初発(はじめ)の時、高天(たかま)ノ原(はら)に成りませる神の名(みな)は、天之御中主(あめのみなかぬし)ノ神、次に高御産巣日(たかみむすび)ノ神、次に神産巣日(かみむすび)ノ神、この三柱の神はみな独神(ひとりがみ)成りまして、身(みみ)を隠したまひき。/とあり、・・・かゝる語事(かたりごと)、伝承は古来の国家的信念であつて、我が国は、かゝる悠久なるところにその源を発してゐる。(以下中略)/結語  世界文化に対する過去の日本人の態度は、自主的にして而も包容的であつた。我等が世界に貢献することは、たゞ日本人たるの道を弥々発揮することによつてのみなされる。国民は、国家の大本としての不易な国体と、古今に一貫し中外に施して悖らざる皇国の道とによつて、維れ新たなる日本を益々生成発展せしめ、以て弥々天壌無窮の皇運を扶翼し奉らねばならぬ。これ、我等国民の使命である。(以下略)

 はたして歴史的な文献となって倉庫におとなしく収まっているのかどうか。敗戦時にいちばん問題になったのは「国体の護持」でした。その護持されるべき「国体」とは「国体の本義」のなかで涙ぐましいほどに縷説(ウソ八百を並べて)されています。「大日本帝国は、万世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ。これ、我が万古不易の国体である」と。だれにも文句は言わせない、完全かつ荒唐無稽な神話をでっちあげた「国家」観、これがこの国の麗しい「本義」だというのでした。

 あまりにも古色蒼然、がちがちの「日本主義」に窒息しそうなので、脇道にそれて深呼吸、精進落としをしたくなります。先祖帰りというかなんと言いますか、「朝日社報」は社主(社長)がひたすら叱咤激励、新聞もまた一億一心、「新聞報国に玉砕の決意」と、人民を煽りに煽ったのです。

 昭和二十四(1949)年に発表された(西條八十詞・服部良一曲)「青い山脈」の二番、三番の歌詞を示しておきます。後に映画化。原作は石坂洋二郎さん。新しい時代の到来ともてはやされた流行の先陣を切った感があった歌であり映画でした。

古い上衣(うわぎ)
よ さようなら
さみしい夢よ さようなら
青い山脈 バラ色雲へ
あこがれの
旅の乙女に 鳥も啼(な)
く

雨にぬれてる 焼けあとの
名も無い花も ふり仰ぐ
青い山脈 かがやく嶺(みね)
の
なつかしさ
見れば涙が またにじむ

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 戦前・戦後は一本道でつながっていたのです。そんなことは当たり前だといわれればその通りで、もしそこに決定的な違いがあるとしたら、それは「敗戦に至る戦争」をそれぞれがどのように体験したか、あるいは受け止めたか、そのけじめというか決意のようなものがあるかないか、その違いでした。「古い上衣よさようなら」、と気軽く着替えて心身ともに新たになったという錯覚がほとんどの人に働いたのでしょう。この時期、ぼくはまだ虫けらのような存在でしたから、世の中がいかにして回転・浮遊していったのか、皆目わかりませんでしたし、学校に入ってからはなお混とんとしていました。確かにひもじい思いをいつも持ちながら、貧しい生活に安閑・安穏としていたのは、ぼくにかぎっては事実でした。「反省なら、サルでもする」と言ったり、「反省はするもので、させられるものじゃない」という気が強くしましたし、いまでもそういう心持を維持しているのです。

 物心がついて、一人で出歩くようになってから、気が付くとぼくはこんな歌を口ずさんでいました。じつに頽廃的だといわれもしました。驚くなかれ、まだ就学以前のことだったと思う。この歌のほうに、ぼくははるかに深く動かされました。なぜか、後年になってその理由に納得したのでした。(「星の流れに」清水みのる詞・利根一郎曲・菊池章子歌)(昭和22年(1947年)東横映画「こんな女に誰がした」主題歌)(こんなことは学校では教えてくれなかった)

(一)星の流れに 身をうらなって
   どこをねぐらの 今日の宿
   荒む心で いるのじゃないが
   泣けて涙も かれ果てた
   こんな女に 誰がした
(二)煙草ふかして 口笛ふいて
   あてもない夜の さすらいに
   人は見返る わが身は細る
   町の灯影の わびしさよ
   こんな女に 誰がした
(三)飢えて今頃 妹はどこに 
   一目逢いたい お母さん
   ルージュ哀しや 唇かめば
   闇の夜風も 泣いて吹く
   こんな女に 誰がした

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