完全なる人物を養成するの術なり

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 教育とは何ぞや、教育とは何ぞや。曰く完全なる人物を養成するの術なり。人物即ち人とは何ぞや。身体と精神との二者より成立して、其霊万物に長たるものなり。今之をして完全なる人物たらしめんには、其心力と体力とを育成するの術、即ち教育を施さヾる可らず。

 縦令ひ其心力と、体力とを育成するも、之を応用するの才能なくば、猶之を育成せざるが如し。又之を応用するは正邪の二道あり。苟も正道に就くに非ずんば、亦何の益あらん。

 故に教育とは人の心力と体力とを育成し、其諸力を正道に応用するの才能を得せしむるの謂ひにして、即ち完全なる人物を養成するの術なりと云ふべし。(伊澤修二述『教育学』明治15年10月) 

 日本で最初の「教育学」の著書だとされているものです。今日もこれと同じことをいっている学者は腐るほどいるんですから、伊澤修二の先見の明を評価すべきか、それとも「教育学」なんてものは時代感覚にはまことに疎い代物だというべきか。「教育学」はともかく、教育ってのはむずかしいですね。「完全なる人物たらしめる」とは、さしずめ「人格」と「体格」において完璧を期すということなのかな。でもそれは無理ですよ。体格は立派だけれど人格はどうも、という人がほんとに多いですね。ぼくは、井澤という先人は学校「教育」よりも学校「音楽」に寄与したという点で、大いにかどうかは怪しいけれども、評価しているのです。(彼についてもどこかで述べてみたいですね、なにしろ、この島社会の学校教育制度の恩人の一人ですから)

 伊澤修二(1851~1917)という人は、とにかく日本における学校教育の恩人です。信州は高遠の内藤藩(3万石)、進徳館出身。明治8年(1875)から4年間アメリカ留学。帰国直後に文部省音楽取調掛を作り、初代御用掛。この組織はその後東京音楽学校、東京芸術大学(音楽学部)となります。彼は愛知師範学校長(24歳)、東京師範学校長(29歳)、東京音楽学校長(38歳)、東京盲唖学校長、東京高等師範学校長(48歳)等を歴任、貴族院議員にもなりました。また、学校唱歌の導入に力を尽くした人でもありました。今も歌われる卒業式で歌われる「仰げば尊し」も彼の作品だといわれています。ここでは「紀元節」(明治21年)も。作詞は薩摩藩出身の高崎正風(1836~1912)。今でも「建国記念の日」に厳かに(?)歌っている人がいますよ。

 ついでにというのも気が引けますが、もう一つ日本初の軍歌「皇国の守」があります。「来たれや 来たれ」で知られています。作詞は外山正一(1848~1900)。彼は幕臣。「新体詩抄」(1882)の作者の一人。後の東大総長、文部大臣。漢字廃止、ローマ字採用論者。(右下写真)

 新体詩といえば、柳田国男、あるいは島崎藤村が並びます。漢詩に対して作られた名称。その後の「国語」誕生と密接な関係をもちました。

 学校唱歌はさまざまな効果を教育に及ぼした、というより唱歌を用いて尊王愛国の感情を「脳髄に感覚せしめ」たわけですね。国民国家を形成するためのエネルギーは凄まじいものだったことになります。

 この島社会の〈近代化〉には二つのヴェクトルがあったといわれます。「復古主義」と「文明開化」がそれ。時間の経過とともに、二つの方向が互いに交わるというよりも、禍福(吉凶)糾(あざな)える縄の如し、つねに入れ替わり立ち替わりして今日に至っているのではないでしょうか。「アマルガムの近代化」というほかないでしょう。

 「洋服に下駄を履くやうな」といったのは柳田国男さんでしたが、新旧入り乱れて一体となったのが、この国の実体でした。学校教育もまさしくそのとおりで、個人の尊重と集団の優位という、およそあり得ない方向をたどろうとしてきたのでした。これは〈文化〉と〈文明〉の葛藤だといってもまちがいではないでしょう。

 「違ったカルチュアの精神的作品を理解するときに、まずそれを徹底的に自己と異なるものと措定してこれに対面するという心構えの希薄さ、その意味でのもの分かりのよさから生まれる安易な接合の『伝統』が却って何物をも伝統化しないという点」(丸山真男『日本の思想』)、それがこの国の性癖であったのです。あるいは宿命であったかもしれない。

 敢えて言うなら、外発的なものと内発的に折り合いを付けてしまうということです。あるいは「前近代と超近代」の奇妙な接合こそが日本文化の粋ということになります。今日においてもその事態は変わらない。洋服に下駄はおろか、背広に一本差しの風はよく見られる風景です。何物も取り入れるが何物も自分の物にしない。異木間の接ぎ木であり、胡瓜の蔓に茄子をならせるような芸当、このような異文化の需要の仕方が日本の伝統になったのも、そこには明らかに「自己本位」が欠けていたからで、徹底した自己の欠如がこのような「未消化の伝統」を作ってしまったといえます。

 時代が過ぎていまではすっかり「この悪しき伝統」はなくなったといえるか。下駄や一本差しはすっかり見られなくなりましたが、パンにみそ汁みたいな和洋折衷の珍妙さはあちこちにみられるのではないでしょうか。それがいいとか悪いとかいうのではありません。それもまた「自己本位」が稀薄ながらも、島らしさの表れなのですから。音楽でも絵画でも、その他いろいろな分野で、いよいよ「接ぎ木文化」は隆盛を極めています。それはまた、世界の一方向を生み出しているとも言えそうです。「文化」が「文明」になるというのはこれまでにもいくらでもあったことです。

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