

学問のすゝめ=福沢諭吉の著。明治5 (1872) ~1876年に,ときに断続的に出版された 17編の小冊子で,のち1巻にまとめられた。第1編冒頭の「天は人の上に人を造らず,人の下に人を造らずと云へり」の一句は有名。実学をすすめ,自由平等と分限の関係を説き,個人の自由から国家の自由独立に言及し,学問の必要性を強調している。本書には,旧思想 (封建的儒教主義) の打破に急なあまり,往々矯激の言がみられ,世の非難を招いたこともある。しかし,一般には新時代の指導原理を明快平易に説いたものとして歓迎された。初版約 20万部,97年頃までの流布部数約 340万という数は,その影響の大きさを示している。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説)
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学問とは、ただむつかしき字を知り、解し難き古文を読み、詩を作るなど、世上に実のなき文学を言うにあらず。これらの文学も自ら人の心を悦ばしめ随分調法なるものなれども、古来世間の儒者和学者などの申すよう、さまであがめ貴むべきものにあらず。古来漢学者に世帯持の上手なる者少なく、和歌をよくして商売に巧者なる町人も稀なり。これがため心ある町人百姓は、その子の学問に出精するを見て、やがて身代を持ち崩すならんとて親心に心配する者あり。

無理ならぬことなり。畢竟その学問の実に遠くして日用の間に合わぬ証拠なり。されば今かかる実なき学問は先ず次ぎにし、専ら勤むべきは人間普通日用に近き実学なり。…一科一学も実事を押え、その事に就きその物に従い、近く物事の道理を求めて今日の用を達すべきなり。右は人間普通の実学にて、人たる者貴賤上下の区別なく皆悉くたしなむべき心得なれば、この心得ありて後に士農工商各々その分を尽し銘々の家業を営み、身も独立し家も独立し天下国家も独立すべきなり。(福沢諭吉『学問のすゝめ』初編)
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世には名前だけはよく知られていても、まったくそれがなんであるかを承知しないものが実にたくさんあります。書籍でもそうで、さしづめ『学問のすゝめ』などはその典型でしょう。これもまた、学校教育の弊害がもたらす最たるものの一つです。「福沢諭吉」と『学問のすゝめ』が結び付けられれば〇(合格)、そんなことばっかりしてきたんですから。「ゲーテ」と『若きウェルテルの悩み』が直結すれば、それが魚なのか野菜なのか、何も知らなくても構わないというていたらくです。実学と虚学といいますが、まず虚学のすゝめこそ、明治以来の学校教育が盛んにしてきたお経(般若心経)のようなものでした。意味も中身もわからないけど、ありがたい、わからないからありがたいという始末です。
それに真っ向から反対したのが諭吉先生の『学問のすゝめ』でした。なんとそれは、学校の教材(教科書)だった。この本を小学生や中学生が読むなどということは、今では考えられもしません。もっとも、それを「どのようにして読むか」が問われなければ始まらないのは言うまでもない。意味も理屈も知らないままで棒暗記させられてきた「教育勅語」の悪しき前例があるからです。読めればいい、理解はできなくとも、これが学校教育の看板でした。ひどい看板もあったもので、看板倒れもいいところ。ほんとに「看板に偽りあり」でした。この悪癖は今も治っていない。「あらゆる試験問題」を検討するまでもありません。(「学問」とは「教育」という語と同じ意味で用いられています)
「このたび余輩の故郷中津に学校を開くにつき、学問の趣意を記して旧く交わりたる同郷の友人へ示さんがため一冊を綴りしかば、或る人これを見ていわく、「この冊子をひとり中津の人へのみ示さんより、広く世間に布告せばその益もまた広かるべし」との勧めにより、すなわち慶応義塾の活字版をもってこれを摺り、同志の一覧に供うるなり。」 明治四年未十二月
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