毎日が非戦の日、平和は家庭から

昨年、東京都内で行われた講演会で特攻隊の経験を語る岩井忠正さん(左)と忠熊さん。中央は忠正さんの長女直子さん=岩井直子さん提供(東京新聞・下につづく)
兄弟で旧日本海軍の特攻隊に志願し、生き残った百歳と九十七歳の二人が、終戦から七十五年を迎えるのを前に、当時を振り返る「特攻 最後の証言」を出版した。「戦死を覚悟するぐらいなら、なぜ死ぬ気で戦争に反対しなかったのか」。悔恨と、二度と悲劇を繰り返さないという思いを込めた。(梅野光春)/ 兄の岩井忠正さん(百歳)=東京都武蔵野市=と弟の忠熊さん(97)=大津市=が「記憶が確実なうちに若い人に伝えたい」と、昨年十一月に都内で二人そろって講演した内容を基に、対談形式でまとめた。/ 二人は学徒出陣で一九四三(昭和十八)年十二月、海軍に入隊。「この戦争でほとんどの兵士が死ぬと考えていたので、特攻隊に志願した」という。慶応大生だった忠正さんは人間魚雷「回天」と、機雷を付けた棒を持って海に潜る「伏龍」の訓練を受けた。出版した本では、あいさつをしないだけで殴られ、潜水中に気を失って入院したなどの軍隊生活を回想している。(2020年8月8日 16時00分 (8月8日 16時00分更新))

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 この島社会が、連合国軍に敗戦してから七十五年が経過しました。「戦後」七十五年というのが普通の表現ですが、ぼくは「敗戦後」は、すなわち、即「戦前」に当たるといい続けてきました。したがって、今もなお、来るべき(来てほしくない)戦争の「戦前」をぼくたちは生きていることになります。ある国の隷属国になって七十五年、この島人は香港を、まさしく「対岸の火事」とみていていいのか。今に生じている「香港事態」はこの島の現状を示しているとさえ、ぼくには感じられます。「対岸とは此岸のこと」なんです。

 ここに、二人の兄弟、ともに元特攻兵だった二人が「戦死を覚悟するぐらいなら、なぜ死ぬ気で戦争に反対しなかったのか」と肺腑の言をつづられています。ぼくは未知の先輩二人に対して、深甚の敬意を表したいと思っています。どんな戦争も愚かだし、再び戦火を見てはならないと、敗戦後を生き延びてきた世代のぼくは、心底より念じている。しかし、この島は戦場とはならなかったが、幾多の戦争状態をこれまでに経験してきた。爆弾が炸裂、艦砲射撃がうなりをあげている、その下で日常を破壊され、大切な人々のいのちを奪われている無辜の民が無数にいることを知りながら、ぼくたちは手をこまねいて傍観しているのです。

 「終戦記念日」を、年に一度の悔悟と、「不戦の誓い」をくりかえす日にしないためにも、戦争に連なる「平和の道」をぼくたちは心して歩かなければならない。コロナ禍の今も、この当たり前に存在している「道」は廃墟につながる道なのかもしれないのです。ぼくには毎日が「非戦の日」であり、何よりも「平和は家庭から」とかみさんとは不戦(非戦)条約を提携つしています。ときどき破棄したくなりますが、いやいや、と我慢というか、忍従というか。平和はなかなか一筋縄ではいかないね。

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと 下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです