民間の学問、人権としての学問

対談「民間学」のすすめ(三省堂)

鶴見 武谷三男の『特権と人権』(勁草書房)は重大なことを言ってるんだけど、左翼全盛時代の三段階論ほどもてはやされていない。今だからこそ重要なんだ。「特権としての学問と人権としての学問」ということです。助手から教授にと、これ、特権なんだよ。大学にいると、それが特権だということが分らなくなるんです。

 だけど問題は、人権としての学問というのは、少なくとも自分の暮しに目を開いて、役に立たなくてはいけない。少なくとも楽しませなくてはいけない。自分がしゃべっていて面白い講義でなければならない。新しく考えたこと、面白いことっていうのは、声が自然にのってくるわけです。古い講義をしていたら、自分が面白くないからダメなんだ。そういう、少なくとも自分を楽しませる、自分の暮しの展望を開く。これが人権としての学間なんだ。

佐高 だから今、大蔵官僚の腐敗とか、さまざまな問題が出てきてますね。大蔵官僚の中島義雄という、たかりをやった人は江田五月と同期で丸山真男のゼミの出身なんですね。あの人たちって、まさに特権としての学問だけで、人権としての学問は残念ながら身につけてなかった。そういうアカデミズムの学問に対する、解毒剤でもあるわけですね、この民間学は。

鶴見 そう、民間学というのは人権としての学間なんだ。それへの道を開こうという一歩。一歩にすぎないんです。はるか向こうに、理想形としてのイシがいるんだ。イシはいた。彼を目指して歩く、その方向の提示だ。  

(鶴見俊輔氏と佐高信氏との対談です。学問が、特定の人々に占有されて久しいし、特定の占有者の学問でないと、「評価」されないという悪弊を産んで実に久しい。あるいはそれは「学歴社会」の進行と軌を一にしていたか。日常生活万般から、自然環境問題に至るまで、在民間の学問というほかない研究調査の歴史が、この島社会の今日を大本でで作ってきたにもかかわらず、ぼくたちは「民間」や「民間学」に親しみが少なくなったのはどうしてか)

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 「民間学」という言葉は、鹿野政直がその著書の題名にはじめて使った。それまでに「民間史学」という言葉はあったが、鹿野は、その考え方を史学よりも広くとり、柳田国男らの民俗学、柳宗悦らの民芸研究、今和次郎の考現学にあらわれた共通の学風としてとらえた。

 この一三〇年の日本の民間学を実際以上に大きく見ることを戒め、しかしとにかくこの期間を通じて民間学の流れがつづいてきたことによって、官学にしのびこみ易い大勢順応主義に別の色合いをそえていることを認めて、これからの時代に対して、ゆっくりと、学問の気風の転換をもとめる。(三省堂 「民間学事典」一九九七年「刊行のことば」)

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(*シオドーラ・クローバー 『イシ―北米最後の野生インディアン』岩波現代文庫)『ゲド戦記』(邦訳、岩波書店)を書いた作家のル=グウィンはクローバーの娘。シオドーラの夫だったアルフレッド・クローバーはドイツ生まれの文化人類学者。ヤシ族のたった一人(最後)の生存者であったイシと運命的に出会い、彼が再現して見せたイシ族の生活やモノの見方考え方を含めて、それが偉大な文化であることを教えられた。彼の死語、残されたメモや夫からの聞き書きをもとに、シオドーラが書いたのが「イシ」という書物です。一読をすすめたいですね。そこに、「一人の賢者がいる」という風情があります。

 イシ族を含めて、先住民族を撲滅・殲滅したのはアメリカ人(白人)であったのは、いうまでもありません。「文明」がどんなに野蛮であるか、一目瞭然です。ぼくたちは、その強大な影響下にあるのです。(筆者註)

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。