生活じゃなく、文章のために生活が

《 文章を、生活から離れた技術としてとらえる態度、つまり美文意識は、官僚文化につきもののようである。文化が官僚化されるにしたがって、文章が美文化される。文章(表現)は、それを生み出したもの(生活)と関係なしにそれ自体で発展する傾向があるので、だからそれを引きしめ、絶えず生活とのつながりを反省していないと、糸の切れたタコのように、どこへ飛んでいってしまうかわからない。こうなった文章は、もはや文章とはいえないのだが、官僚文化のワクの中では、文章はどうしてもこうなるし、また、こうなったことを自覚することができない。一時代の文章に美文意識が支配的であるということは、その文化が、官僚文化、つまり生産性をもたない文化だということと切り放して考えられない 》

《…会計係が宴会費をひねり出すために架空の人間を紙の上で出張させるように、あらゆる文章の書き手たちは、かれらの美文意識から見て完璧な文章を志している。要するに、紙の上でツジツマがあっていればいいのだ。事実に当たって検証する必要はない。もしも事実に符合しないとすれば、それは事実のほうがまちがっているのだ。生活のために文章があるのではなく、文章のために生活がある。これが美文意識の生みだす倒錯観念である 》(竹内好「美文意識について」「文芸」所収 昭和二十六年七月)

まるで古証文のように、竹内さんの文章論を持ち出したのは、ほかでもない「官僚文化」と「官僚文章」をともに考えさせる事件がこの数年たてつづけに生じてきたからです。もちろん、これは官僚時代の初めから起こっていたことで、何も目くじらを立てる必要もない話であるという向きもあるでしょう。ぼくは若いころ、必要があって明治期の政治家・官僚の文書(文章)をたくさん読んでいました。大したものだと感じ入った文章は驚くほど少なく、たいていは「作文じゃないか」というものだったし、竹内さんの言われる「美文」調が勢いを持っていたようにも思う。

 まだ、学校教育が軌道に乗る前(日清戦争前頃)のことでした。その後、学校では「書き方」「綴り方」「作文」などという教寡黙を通して、おさない子どもの脳髄に「美文長」を叩きこむようになっていくのでした。以下に、時代の隔たりはありますが、学校教育に多大な影響を及ぼした「文章」論の大家の美文じゃな文章を紹介しておきます。

 《…世間で「あの人は教育がある。」といい、或は「ない。」という。その「教育ある」という義が余にはきわめて不透明である。「教育ある」とは学校を経過した義であろうか。或は文字力のある意味であろうか。或は又智識のある意であろうか。将又智徳の完備した立派な人になろうという態度をさすのであろうか。世は多く学校経過の義に解しておる。文字力ある義に解しておる。智識のある義に解しておる。しかし世には高等の学校を卒業した人で、自己の専攻した法律に触れて、縲絏(るいせつ)の辱しめをうける人が少くない。世には文字や諸学科の智識を悪用する者がないでもない。教育が若し学校卒業の文字力、智識等によって論ぜられるものならば、教育は社会の為に危険なものといわなければならぬ 》(芦田恵之助『読み方教授』1916年)

 《 多くの人々は、綴方の作品が伸びにくいのをこぼしている。しかし、或人々の場合には、作品が延びないというのには、まず第一には、児童には到底かけないことをかかせようとかかっているような、根本の無理が手伝っている。まずその点を反省しなければならない。つまり題材の問題である。われわれにしても、物をかくといえば、所詮、じぶんが実さいに見、聞き、感じ、考えたことしかかけるわけがない。要約すれば、われわれ自身が経験した事実でなければ叙出できない》《事実は書ける、概念、観念はかけない。かけても没個性的な、共有性のものに終わるのみで、作品としては何等の価もない 》(三重吉『綴方読本』1935年)

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 通常なら、ここで官僚の「美文」調を紹介すべきでしょうが、止めておきます。上に述べたようにぼくは反吐が出るくらい官僚の「悪分という美文(嘘八百)」を読んできました。だから今更、それをここに出すにはぼくのささやかな意地が許さない。二度と再び、「悪分といいう美文(嘘八百)」に手を染めるな、染めたくないという矜持です。目にするのも汚らわしいという感覚だ。「美文」がいまでは「のり弁に早変わり」する時代です。それが許されるんだから、驚天動地の禍だと、ぼくなどは考えている。「舐めた態度」というか、「舐められたもの」だと言おうか。嘘八百を書いて「情報開示」も白々しいが、「真っ黒に消し潰した」ものを開示するという、汚い根性には言葉もないのです。こんな事態に誰がした。

 こんなヤクザな文章(雑文・駄文)を書いてしまうのも、竹内先生の時代からははるかにゴミ溜めのような汚れた時代社会にぼくたちは「生かさぬよう、殺さぬよう」に、生殺しの常態におかれ、好き放題にアシラワレているという現状に狂気をこめて「呪いの一撃」を吐き出してやりたいのです。こんなに民衆が虚仮にされた時代があったでしょうか。

 ぼくはそのすべてをなにかに帰するつもりはないのですが、多少は事情を知っているつもりでもあるので言いうのです。かなりな部分、それも本質のところで「学校教育」の空洞・堕落・頽廃化が、現状の官僚・政治家どもにあっては、人民に対する敬意の念が跡形もなく失われてしまった主因であろうと感じ入ってきました。他人を蹴落とす教育、勝てば官軍といわぬばかりの成績至上主義、他人を蔑む悪意の助長、その他言うも無残な学校教育や教師の死屍累々たる実践の墓場に、官僚文化の「華が咲いている」という顛末をぼくは、目を開け、耳をこじ開けて感じ取らなければならないと覚悟しているのです。(左の写真は、「学歴」を虚仮にし、都民を虚仮にし、自分を貶めた「某痴事」。これもまた、学校教育の仕掛けた陥穽にハマった「犠牲者」ですね。彼女は「いかなる美文派」なんでしょうか)

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 民間の学問、人権としての学問

対談「民間学」のすすめ(三省堂)

鶴見 武谷三男の『特権と人権』(勁草書房)は重大なことを言ってるんだけど、左翼全盛時代の三段階論ほどもてはやされていない。今だからこそ重要なんだ。「特権としての学問と人権としての学問」ということです。助手から教授にと、これ、特権なんだよ。大学にいると、それが特権だということが分らなくなるんです。

 だけど問題は、人権としての学問というのは、少なくとも自分の暮しに目を開いて、役に立たなくてはいけない。少なくとも楽しませなくてはいけない。自分がしゃべっていて面白い講義でなければならない。新しく考えたこと、面白いことっていうのは、声が自然にのってくるわけです。古い講義をしていたら、自分が面白くないからダメなんだ。そういう、少なくとも自分を楽しませる、自分の暮しの展望を開く。これが人権としての学間なんだ。

佐高 だから今、大蔵官僚の腐敗とか、さまざまな問題が出てきてますね。大蔵官僚の中島義雄という、たかりをやった人は江田五月と同期で丸山真男のゼミの出身なんですね。あの人たちって、まさに特権としての学問だけで、人権としての学問は残念ながら身につけてなかった。そういうアカデミズムの学問に対する、解毒剤でもあるわけですね、この民間学は。

鶴見 そう、民間学というのは人権としての学間なんだ。それへの道を開こうという一歩。一歩にすぎないんです。はるか向こうに、理想形としてのイシがいるんだ。イシはいた。彼を目指して歩く、その方向の提示だ。  

(鶴見俊輔氏と佐高信氏との対談です。学問が、特定の人々に占有されて久しいし、特定の占有者の学問でないと、「評価」されないという悪弊を産んで実に久しい。あるいはそれは「学歴社会」の進行と軌を一にしていたか。日常生活万般から、自然環境問題に至るまで、在民間の学問というほかない研究調査の歴史が、この島社会の今日を大本でで作ってきたにもかかわらず、ぼくたちは「民間」や「民間学」に親しみが少なくなったのはどうしてか)

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 「民間学」という言葉は、鹿野政直がその著書の題名にはじめて使った。それまでに「民間史学」という言葉はあったが、鹿野は、その考え方を史学よりも広くとり、柳田国男らの民俗学、柳宗悦らの民芸研究、今和次郎の考現学にあらわれた共通の学風としてとらえた。

 この一三〇年の日本の民間学を実際以上に大きく見ることを戒め、しかしとにかくこの期間を通じて民間学の流れがつづいてきたことによって、官学にしのびこみ易い大勢順応主義に別の色合いをそえていることを認めて、これからの時代に対して、ゆっくりと、学問の気風の転換をもとめる。(三省堂 「民間学事典」一九九七年「刊行のことば」)

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(*シオドーラ・クローバー 『イシ―北米最後の野生インディアン』岩波現代文庫)『ゲド戦記』(邦訳、岩波書店)を書いた作家のル=グウィンはクローバーの娘。シオドーラの夫だったアルフレッド・クローバーはドイツ生まれの文化人類学者。ヤシ族のたった一人(最後)の生存者であったイシと運命的に出会い、彼が再現して見せたイシ族の生活やモノの見方考え方を含めて、それが偉大な文化であることを教えられた。彼の死語、残されたメモや夫からの聞き書きをもとに、シオドーラが書いたのが「イシ」という書物です。一読をすすめたいですね。そこに、「一人の賢者がいる」という風情があります。

 イシ族を含めて、先住民族を撲滅・殲滅したのはアメリカ人(白人)であったのは、いうまでもありません。「文明」がどんなに野蛮であるか、一目瞭然です。ぼくたちは、その強大な影響下にあるのです。(筆者註)

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