古い社会相の、ぼやけた写真

『子供の遊戯』(こどものゆうぎ, : Kinderspelen, : Children's Games)は、16世紀フランドルの画家ピーテル・ブリューゲルにより1560年に描かれた油彩画。現在、ウィーン美術史美術館に収蔵・展示されている。(Wikipedia)

 この「かごめかごめ」という児童の遊戯をみて、なにを感じるか。あるいは、そこでどのようなことをかんがえることができるか。それは「遊戯の意味(歴史)」を尋ねることであると同時に、「子どもとはなにものか?」という疑問に直面することでもあるはずです。子どもとは、単に幼い、半人前の存在ではない。大人になるための準備段階に生きているものではないというとらえ方は、この国では当たり前に見られました。いかにも不可思議な存在、それが、子どもに対する社会(大人)の視線であったといってもかまわないとおもいます。(既出部分を再掲)

 そのことを、柳田国男という人は「かごめかごめ」という遊戯をとおして考えようとしたんですね。

 《 若い男女の多く雇われた大農の家の台所で、冬の夜長の慰みに、あるいはまたなにか寄合いのなどに、仲間の中でいちばん朴直なる一人を選定して真中にすわらせ、これを取り囲んで他の一同が唱え言をする。多くは神仏の名をくり返し、また簡単な文言 もあります。こんな手軽な方法でも、その真中の一人の若者には刺激でありまして、二、三十分間も単調なをくり返すうちに、いわゆる催眠状態にはいってしまうのです。そうすると最初のうちは、『うん』とか『いや』とか一言で答えられることばかりを尋ねますが、後にはいちだんと変になっていろいろのことをしゃべるそうです。後しばらく寝かせておくと、いつの間にかもとのとおりに復すると申します 。》(同上)

 こんな報告もあります。山形県のという村で行われていた神事です。

 そこでは村のために必要な場合には「神降ろし」をするそうで、その様式は「かごめかごめ」とまったく同じであったというのです。

 柳田さんは子どもの遊びは、純粋に子ども用に作られ持ち伝えられたものではなく、「へたかもしれぬがやはり古い社会相の一つの写真が、ぼやけて今にのこっているものとして珍重すべきです」といわれます。

 《 一人のこどもに目を閉じさせて、丸い輪の真中にしゃがませます。手をつないだ大ぜいが、その周囲をきりきりと回って、はやしことばの終わるとともに不意に静止して、『うしろの正面だーれ』と問うのです。その答の的中したときは、名ざされた子が次の鬼となり、同じ動作をくり返すことになっていますが、もとはこの輪を作っているこどもの中の年かさの者が、他にもいろいろの問答をしたのではないかと思います。》

《 われわれが昔何の心もつかずに、次のこどもに引き渡しておいたこれらの遊戯は、こういうなつかしい先祖の記念であったのです。詞などの、地方によって相違のあるのも、何か隠れた意味がありそうです。もちろん語音には転訛が多く、また誤解をも伴うかもしれません。少なくともその間拍子だけは、伝わっていることと思います。》

《 私などの田舎(註 播磨)では「中の中の小坊は、なぜに背が低い」と申しておりました。これは当初からの呪文であろうとは思われませんから、たぶん中座の子が朦朧状態になっていて、何を言ってもかまわぬと見なして、ざれ言をする文句でありましょう。殊勝に目をつぶってその小坊主になっていた昔の自分を、思い出さずにはおれません。(同上)

◆参考資料

〇かごめ‐かごめ【籠目籠目】児童の遊戯の一。しゃがんで目をふさいだ一人を籠の中の鳥に擬し、周囲を他の数人が手をつないで歌いながらまわり、歌の終ったとき、中の者に背後の人の名をあてさせ、あてられた者が代って中にうずくまる。細取(コマドリ)。(広辞苑)

〇こ‐とり【子捕り・子取り】①子供の遊戯の一。一人は鬼、一人は親、他はすべて子となって順々に親の後ろにつかまり、鬼が最尾の子を捕えれば、代って鬼となる。子をとろ子とろ。(広辞苑)

〇「回りの小仏」日本の伝統遊戯の一つ。〈まわりまわりのこぼとけ〉〈なかのなかのこぼとけ〉〈なかのなかのじぞうさん〉,あるいは単に〈こぼとけ〉ともいう。〈かごめかごめ〉と同様の遊びで,子どもたちが手をつないで輪をつくり,その輪の中に目隠しをした小仏(地蔵あるいは小坊とも)が1人入り,まわりを子どもたちがはやしことばを歌いながらめぐり,歌が終わってかがんだところを小仏がその1人をつかまえ名を当て,当てられたものが小仏となる。はやしことばは地方によって違いがあるが,東京地方では〈まわりまわりの小仏はなぜせいがひくい,親の日にとと食ってまま食って,それでせいがひくいな,うしろにいるものだあれ〉とはやす。元来は小仏のほうも〈線香,抹香(まつこう),花抹香,しきみの花でおさまった〉といいながら任意のところから外の人を数え,その最後の者が次に中に入って小仏となった。肉親の忌日には精進(しようじん)せよとのいましめの意味を含むものと思われ,1760年(宝暦10)の土御門泰邦の《東行説話》では,転輪蔵(一切経をおさめる回転式書架)を1回転すれば経文を読んだことに相当する功徳(くどく)があるという故事に起源するという。(1998 Hitachi Digital Heibonsha)

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 子どもの遊びとは不思議なものです。縦(時間)につながっていることはいうまでもありませんが、それが横(空間)にもつながっているのですから、じゅうぶんにかんがえてみる価値がありそうです。子どもは「大人」でもあるのです。子どもの遊びを通して、大人たちがまじめにやっていた「神事」がかろうじて見て取れるというのが柳田民俗学の、一つの柱でもありました。「児戯に類する」とは「大人の行い」を宿しているというのでしょう。透視絵ですね。

 今ではすたれ切ったのも時代の流れです。再び復活することはあり得ないでしょう。もしあるとすれば、幼い子どもたちの些細な立ち居振る舞いのなかに、かろうじて看取できるかどうか、それくらいにぼくたちは歴史の暮れ方に生きているのかもしれません。歴史に生きる存在が、歴史の外に出てしまうとは、それは何を意味するのでしょうか。

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。