桃太郎、今は神として鎮座する

 「ももたろう(桃太郎)」です。

 この話はご存知ですか。日本には驚くほどたくさんの昔話があります。こんにちではあまり好まれないのかもしれませんが、テレビもラジオも、新聞も雑誌もなく、もちろん学校なんかがなかった時代、おそらく江戸時代以前の長い歴史のなかでは、この昔話(昔語り)はきわめて重要な教科書であり、教育の材料であったといえます。老人から子どもに語って聞かせて、世の中に生きていく姿勢や態度を教えたと考えられます。あるいは大人もそこからなにかを学んだことでしょう。

 「勧善懲悪」という言葉があります。その意味するところは「善事を勧め、悪事を懲らすこと。特に、小説・芝居などで、善玉が最後には栄え、悪玉は滅びるという筋書きによって示される、道徳的な見解にいう。勧懲」(大辞泉)ということです。どんなに貧しくても正直に生きていれば、いつかはきっと幸福になるという教えもたくさんありました。

 「ももたろう」はどんな話だったのでしょうか。

 おおよその「あらすじ」は以下の通り。

 《ある村に子供のいない老夫婦が住んでいた。ある日、お婆さんが川で洗濯をしていると、大きな桃が流れてきたので、持って帰ってお爺さんと食べようと家に帰った。二人で桃を割ると中から男の子が生まれたので、『桃太郎』と名づけて大事に育てた。成長した桃太郎は、鬼ヶ島の鬼が横暴を働き、人々を苦しめていることを知ると鬼退治を決意し、両親から黍(キビ)団子を餞別にもらい、途中で犬・猿・雉を黍団子で誘って家来に従え、鬼ヶ島で鬼と一騎打ち、見事に勝利を収め、鬼が搾取した財宝を持ち帰った。》(『ウィキペディア(Wikipedia)』)

 話の成立

 《 桃太郎の事跡は、岡山県の吉備津彦・温羅伝説の他、愛知県犬山市など全国に多数あり、本家争いなど舞台についての異論もある。/ 成立以前の物語に原型を見ることもでき、特に鬼退治のくだりは大和王権が渡来の朝鮮半島からきた人たちとの間で武力衝突を起こしたものを、御伽噺やお話として脚色、伝承したものが元になったという指摘もしばしばなされる(桃は、また別の伝承などとの関連が指摘される)。/ 発生年代は正確にはわかっていないが室町時代とされ、江戸時代以降に広まったとされる。草双紙の赤本による『桃太郎』『桃太郎昔話』などが出版により広まった最初の版であるとされる。/ 明治時代初期までは桃を食べたおじいさんとおばあさんが若返って、二人から桃太郎が生まれたという話の方が主流であった。この他にも物語に差異のあるものが多数伝わっているが、巖谷小波により1894年に『日本昔話』としてまとめられたものがその後の語り伝えに大きく影響した。明治20年に国定教科書に採用される際にほぼ現在の形のものを掲載して以降、これが定着した。》

   解釈

 《 丑(うし)と寅(とら)の間の方角(北東)は「鬼門」と呼ばれ不吉な方位とされていることから、桃太郎率いる動物は、その逆の方位にあたる申(サル)、酉(キジ)、戌(イヌ)で不吉を押さえるという設定がされている(方位については十二支を参照)。サルは智、キジは勇、イヌは仁を表すなどという解釈もある。/ 第二次世界大戦の際には桃太郎は軍国主義というイデオロギーを背景に勇敢さの比喩として語られるなど、社会的な背景などにより多様な解釈がされてきた。現在では、暴力的な話だとして、鬼退治ではなく、話し合いで解決したことになっていたり、桃太郎というのはジェンダーバイアスを押し付けるとして主人公が「桃子」になっていたりと、様々な思惑から物語に改変が加えられている。》

 《「発表時の時代背景もあり、軍事色が強い感があるせいか、現在では歌詞が改変されたり、後半部を削除したりする場合が多い。》(ウィキペディア(Wikipedia)』)

唱歌「桃太郎」1911年の「尋常小学校唱歌」に登場。作詞者不明、作曲・岡野貞一。

 桃太郎さん桃太郎さん、お腰に付けた黍団子、一つ私に下さいな。
 やりましょうやりましょう、これから鬼の征伐に、ついて行くならやりましょう。
 行きましょう行きましょう、あなたについて何処までも、家来になって行きましょう。 
 そりゃ進めそりゃ進め、一度に攻めて攻め破り、潰してしまえ鬼ヶ島。
 面白い面白い、残らず鬼を攻め伏せて、分捕り物をえんやらや。
 万々歳万々歳、お伴の犬や猿雉子は、勇んで車をえんやらや。

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   桃の中から子どもが生まれるという話は「ちいさ子物語」などといって、他にもたくさんあります。「一寸法師」「瓜子姫」さらには「かぐや姫」などなど。その教えは「子宝に恵まれる」「小さく生んで、大きく育てる」という実際上の効用や、善因善果(まじめに生活していれば、幸福に恵まれる)の教えなど、さまざまな教育効果がそこにはこめられていたことでしょう。おじいさんとおばあさんが「子を産む」ということはないわけで、ここには「孝行息子」に恵まれるという善男善女の教訓があったといえるでしょう。

 かなり前に岡山駅前を歩いていて、びっくりするほどの「桃太郎像」に遭遇してじつにいやな気になったことがありました。グロテスク、そのものでした。これを街中に設置する意図はなんだったか、市の偉いさんに聞いてもわかりませんでした。神話の人物やおとぎ話の人物が劣島のいたるところに「勝手にふるまっている」という印象をぼくは持つのですが、どうしたものでしょうか。(「桃太郎」に関しても、神社がやたらにあちこちに存在します。まるで弘法大師さんみたいですね)

 唱歌「桃太郎」の歌詞はいかがですか。「ふるさと」の岡野貞一作曲ですが、三、四の歌詞はどうなんでしょうかですね。「作詞者不詳」が唱歌に多く見られますが、これは学校唱歌を導入する際に作られた会議で多くの人の意見が合体して出来上がったとかで、個人名を特定できなかったからだというのです。「鬼が島」はどこにあるのでしょうか。時代によって、そのありかが点々としていきました。

 「歌」が国威発揚に使われた一例でもあります。参考までに「蛍の光」を。

 文字通りに「お伽話」だったものが、世の中の変化(世情)に応じていかようにも変容させられてきた、そんな例はいくらでもあります。それには「功罪」がありそうですが、なによりも「歌が旗になる」という問題は指摘しておきたい。いまでは、その原初の意図は全く分からなくなりましたし、長く語られた来た物語も、ほとんど生活空間から排除されてしまいました。「桃から生まれた桃太郎」は罪はなさそうですが、そこには悠久の昔人の息吹や感情もまたこめられていたのだと考えると、いささかの感慨を否定できません。「昔話」は人類がまだ幼かった時代の名残かもしれませんね。

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投稿者:

dogen3

 「名もなく貧しく美しく」、ぼくにとって、それは生きる姿勢(流儀)の理想型ではありますが、現実には「名もなく貧しく醜悪に」、せいぜいがそんなところでしたね。「美しく」どころではなかったけれど、「名もなく貧しく」は断固として一貫してきたと思う。とても自慢できませんがね。