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前回は「竹取物語(かぐや姫)」と「桃太郎」を引き合いに出して、いくつかのことを考えようとしました。今回は子どもの遊びです。それも歌いながらの遊び(遊戯)についてすこしばかり詮索をしてみようという趣向です。
こんな歌を歌いながら、友だちと遊んだことはありませんか。「かごめ かごめ」です。かごめは「かがむ」か。

かごめ かごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀と滑った 後ろの正面だあれ
いったいに子どもの「遊び」にはよくわからないことがたくさんあります。隠れん坊や鬼ごっこはそれなりにわかりやすいとおもわれますが、はたしてどうでしょうか。
こんな遊び(遊戯)を発明したのはだれか、またそれはいつごろだったのか。いまではほとんどわからなくなってしまいました。「かごめ かごめ」というはやしことばすこしずつちがってはいますが、多くの地方で歌われ遊ばれた形跡があります。
「夜明けの晩に つるつる滑った 鍋の鍋の底抜け 底抜いてたもれ」(この歌詞の奇妙さは,なんとしたことか。「夜明けの晩」ってどういうこと? 鶴と亀と滑った、入試にか)

江戸時代の後期(天保15・1844年)に著された「幼稚遊昔雛型」という子どもの遊びをあつめた書物にも「かごめ かごめ」がでています。作者は万亭応賀。静斎栄一による挿絵がつけられています。
万亭応賀1818(文政元)~1890(明治23)
合巻(ゴウカン)作者・戯作者。本名は服部孝三郎・長三郎、別称は春頌斎・長恩堂。常陸国下妻藩に出仕。
再び、柳田国男さん。その柳田さんがつぎのように書いています。

《 小さい者がいろいろの大きな問題を提出いたします。夕方などにわずかの広場に集まって「かーごめかごめ籠の中の鳥は」と同音に唱えているのを聞きますと、腹の底から 国文の先生たちを侮る心が起こります。こんな目の前の、これほど万人に共通なる文芸が、いまなおそのよって来たる所を語ることあたわず、かろうじていわけない者の力によって、忘却のからまぬかれているのです。何かというと、「児戯に類す」などと、自分の知らぬ物からは回避したがる大人物が、かえってさまざまの根無し草の種を蒔くのに反し、いまだ耕されざる自然の野には、人に由緒のない何物も成長せぬという道理を、かつて立ちどまって考えてみた者がありましたろうか。(柳田国男『小さき者の声』)
かーごめ かごめ かーごのなかのとーりは…
歌詞の意味はもう不明になりました。いまどき、こんな遊びをする子どもたちは幼稚園や学校以外ではほとんどみられなくなりました。
この「かごめかごめ」という児童の遊戯をみて、なにを感じるか。あるいは、そこでどのようなことをかんがえることができるか。それは「遊戯の意味(歴史)」を尋ねることであると同時に、「子どもとはなにものか?」という疑問に直面することでもあるはずです。子どもとは、単に幼い、半人前の存在ではない。大人になるための準備段階に生きているものではないというとらえ方は、この国では当たり前に見られました。いかにも不可思議な存在、それが、子どもに対する社会(大人)の視線であったといってもかまわないとおもいます。(つづく)
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