ジャーナリズムは第四権力かね

朝日新聞(大阪版)2017/08/19) この「批評」を読むと、やっぱり新聞は「第四の権力」(いや「第一」かも)であるといいたくなります。

 「ジャーナリズ第四の権力」だというのはいかなる意味か。前記「社説」に述べられているのは、その一つの考え方だといえますが、はたしてそうか。権力を特権といいかえたらどうでしょう。だから多くの人は特権にすりよるのでしょう。木鐸ということばがありました。「社会の木鐸」などと使われたりしました。その原意は「(1)[礼記(明堂位)]木製の舌のある鉄でできた鈴。中国で、法令などを人民に示すとき鳴らしたもの。金口木舌(きんこうもくぜつ)。(2)[論語(八)]世人を覚醒させ、教え導く人。「社会の―」」(広辞苑・第五版)というものでした。金口(きん‐こう=(1)器物の口部を金属で作ったもの。 (2)〔仏〕⇒こんく。(3)よい言葉を出す口。立派な言葉。また、他人の言葉の尊敬語)(広辞苑)という似たようなことばもあり、金口木舌(きんこう‐もくぜつ=言説で社会を指導する人物。木鐸(ぼくたく)(広辞苑第五版)などと使われた。「金口木舌」は琉球新報のコラムとして健全な木鐸ぶりを示しています。ぼくは長年にわたって、そのはっきりした音色に好んで耳を傾けて来た。

 戦後にGHQは検察の民主化の方途として「検事公選制」を主張したことがありましたが、当時の「司法省」の反対で実現に至らなかった。「法制度上、検察官の行為をチェックするのは本来、裁判所の仕事だ。今回の村木厚子さんへの無罪判決でも明らかなように裁判所がしっかりチェックしていれば検察の暴走は止められる。しかし、裁判所はこの数十年の間に、検察官のチェックをするどころか、検察の行為を追認する機関に成り下がった」(魚住昭氏、朝日新聞「オピニオン」・10/10/02)

 その魚住氏によると検察官が勾留請求をした場合に「却下」した割合は75年には1.60%だったのが86年には0.29%に、保釈率(起訴から判決までに被告が保釈された割合)は72年には58.4%だったが、2003年には12.6%だったという。同じ記事で、元東京地検特捜部長を務めた宗像紀夫氏(リクルート事件の主任検事だった)は「特捜部のような政官財の巨悪を摘発する専門組織がなければ、日本社会の腐敗や劣化は進行するだろう。しかし、特捜部が、現在のように誤った筋読みの下で、ゆがんだ捜査手法で暴走するならば、有害で不要な組織といわざるを得ない。特捜部の組織改編は不可避となろう」といわれる。

2019(令和元)年版「犯罪白書」

 そして、魚住さんともども「取り調べの全面可視化(録音・録画)は避けられないのではないか」とも指摘される。

 立法も司法も行政も、まるで踵を接したように崩壊の寸前にあるようです。ことが人権や権利に関わるからこそ、その崩壊過程を座視するわけにはいかない。制度を構成・運用するのは人間であるのはまちいありませんが、その人間が判断力や思考力をいちじるしく欠いているが故に、わたしたちはみずからの自由(権利・人権)をみずからの力で死守するほかありません。さて、その方策はいかにして。

 上に立つ人間が狂っていたち腐敗していたりしたら、その下に仕える人間はどうすればいいのか。今回、大阪地検で生じた異様な事態は、しかしけっして大阪地検だけもなく、まして検察にかぎらないところに、この列島に君臨してきたもろもろの制度(権力・権威)の劣化の惨状が見て取れます。その状態は目を覆うばかりなのです。

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 前田検事を証拠隠滅罪で起訴、懲戒免職に

 郵便不正事件で証拠品のフロッピーディスク(FD)を改ざんしたとして、最高検は11日、大阪地検特捜部主任検事・前田恒彦容疑者(43)を証拠隠滅罪で大阪地裁に起訴した。

 前田容疑者は「FDを意図的に改ざんした」と容疑を認め、改ざんの動機について「立証上の唯一の傷を消したかった」などと供述しているという。

 法務省は同日付で前田容疑者を懲戒免職とした。

 調べによると、前田容疑者は、厚生労働省元係長・上村勉被告(41)(公判中)が発行したとされる偽の証明書を巡り、昨年7月13日、FDに記録されていた偽証明書のデータの最終更新日時を「2004年6月1日」から、特捜部が描いていた事件の構図に沿う「04年6月8日」に改ざんした疑いが持たれている。(読売新聞・10/10/11)

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 このように報道する記者が当の検察庁の人間と酒を飲んだり雀卓を囲んでいたらどうなるか。どうにもなるまい。おそらく今回の東京高検のK氏のようなケースはいたるところに、いつ何時でもある(あった)に違いありません。検察のみならず警察署関係だって同じ穴の狢。マスコミと権力が「ズブズブの腐れ縁」が続いているからこそ、マスコミは「第四の権力」と図星を指したのでしょう。特権意識は、職業よりも「地位」「身分」によることが多いのは、その地位や身分についた途端に、にわかに「特別の利益や功利」が付着するからです。椅子とかポストというが、そこに座る人間をかぎりなく堕落・腐敗させる、麻薬のようなあるいは痺れるばかりの法悦(電気椅子か)が沁みだしているのでしょう。

 そう考えると、あちこちに「電気椅子」が据えられているのがわかります。難関大学や一流企業なども、その類かもしれないですね。人は挙って、この「電気椅子」に腰掛けたがるのは、痺れ具合がたまらんからでしょう。(まるで脊柱管狭窄症罹患者のようだ)こんな椅子に座ることを、ぼくはとっくに御免被ってきましたが、それでも周囲には「電気椅子派」がたくさんいましたし、痺れ程度はそれほどでもないが、痺れるならどこでもいいという痺れ「なまず」願望派も後を絶たないのが、この小さな島社会の縮図です。

 第四どころか、第五・第六・第七、第八以下、権力へのたゆまぬ意志を固めている「控え」は引きも切らずです。それを「援助」する商売もますます盛んであります。前途洋々なのか、あるいはお先真っ暗なのか。(こんなことを言っている間にも、感染者数増加劣島に嵐と酷熱が)(承前)

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。