今週の「半開に微酔に」

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人間は何事も「ほどほど」がいいという。関西風に言い換えると、「ぼちぼち」となる。やり過ぎはアカンでえ。上や下やいうても、ちょぼちょぼでっせ。この「菜根譚」はいまだに隠れもしないベストセラーですなあ。 AIだの5Gだのと、やかましいことを言うてる暇に、えげつないことがあちこちで起こってますやん。また若い人が「自死」だとか。詳細は分かりませんけど、「ネット中傷」のせいだとも。いかにも悔しいことや、「ぼちぼち」ができなかったのでっしゃろか。(想像でものをいうのはよろしくない)季節外れの「コラム」です。くれぐれも味読を、「菜根譚」。
斜面 ほどほどにと思っていながら、つい度を越して…。お酒との付き合い方は難しい。どれくらい自分が飲めるか、まだ限界が分からない若い人はなおさらだろう。笑い話で済めばまだしも、そうばかりではない◆大学や職場での新人歓迎会の時季に合わせ、市民団体の「イッキ飲み防止連絡協議会」が展開する啓発キャンペーンは、ことしで20回目になった。急性アルコール中毒などを防ぐため、無理強いしたりしないよう呼び掛けている。息の長い活動に頭が下がる◆適度に楽しむ分には心を軽くし、ストレスを和らげてくれる。仲間と酌み交わし、会話が弾めば、お互いに親しみも増す。一方で、飲み過ぎるのは危ない。県外では、サークルの合宿で飲酒した学生が吐いた物を喉に詰まらせ、亡くなる例が最近もあった◆東京ではことし、花見をしていて急性アルコール中毒で病院に運ばれる人が昨年や一昨年に比べ、急増した。県内もこれから桜前線が次第に北上してくる。飲み過ぎて倒れたりするようだと、周りの人たちに迷惑を掛けてしまう。せっかくの楽しみに水を差す◆毎年、今ごろになると、中国の古い言葉を思い起こす。「花は半開を看(み)、酒は微醺(びくん)に飲む」。花は五分咲き、酒はほろ酔い加減で。どちらも満たされ切ってしまわないところに本当の味わいがあるという。そうありたいと、自戒を込めながら、かみしめる。(信濃毎日新聞・12/04/15)
花看半開、酒飲微酔。
此中大佳趣。
若至爛漫酕醄、便成悪境矣。
履盈満者、宜思之。(菜根譚 )(本により「異字」あり)(岩波文庫版による)
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●菜根譚=中国、明みん)代の末期に流行した「清言(せいげん)」の書。著者洪応明(こうおうめい)は、字(あざな)は自誠(じせい)、還初道人(かんしょどうじん)と号し、万暦(1573~1619)ごろの人。四川(しせん)省成都(せいと)府の出身。儒教的教養を基礎とし、そのうえに道教、仏教に通じて三教兼修の士となることは、明代中期ごろからの流行であったが、著者はその優れた一人であった。本書は、前集は222条、後集は135条、合計357条の「清言」からなる。前集は、主として世間にたち、人と交わる道を述べて、処世訓のような道徳的な訓戒のことばが多く、後集は、自然の趣(おもむき)と山林に隠居する楽しみを述べて、人生の哲理や宇宙の理法の悟了を説くことが多い。この人生の哲理、宇宙の理法は、儒仏道三教に通じる真理であり、それを語録の形式により、対句(ついく)を多用した文学的表現をするのが「清言」である。書名は、宋(そう)の汪信民(おうしんみん)の『小学』における「人常に菜根を咬(か)みうれば、すなわち百事をなすべし」からとったものである。中国よりむしろ、江戸末期の日本で多くの人に愛読された。洪応明にはほかに『仙仏奇蹤(きしょう)』4巻(『消揺嘘(しょうようきょ)』『長生詮(ちょうせいせん)』『寂光境』『無生訣(むせいけつ)』各1巻)の著がある。[藤原高男]『今井宇三郎著『菜根譚』(1967・明徳出版社) ▽今井宇三郎訳注『菜根譚』(岩波文庫)』(日本大百科全書(ニッポニカ)の解説)
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