辞書は世に連れ、世は辞書に連れ

 「ことばと教育」、あるいは「ことばの教育」

金口木舌 辞書の序文や後書きには、言語に対する編著者の見識や編さん作業の経緯が記されている。編著者自身の辞書論や言語研究にまつわる体験を披歴したものなど読み応えがある▼近代的辞書の先駆けとなった1904年の「言海」を編んだ大槻文彦は17年に及ぶ編さん作業の苦労を奥書に刻んだ。現代の国民的辞書「広辞苑」の編者、新村出はこの奥書を「名文」と評している▼伊波普猷は38年の「琉球戯曲辞典」の冒頭で「辞書と呼ばれるには、余りに冗漫で、むしろ琉球語に関する随筆集ともいふべきものである」と控えめに書く。もちろん伊波はこの辞書にも沖縄への愛情と誇りをささげたに違いない▼伊波の薫陶を受けた仲宗根政善さんは83年の「沖縄今帰仁方言辞典」の序文に、ひめゆり学徒隊の引率教師として死線をさまよった沖縄戦体験を書き残した。方言を「民族の呼吸だ」と慈しむ伊波への敬慕と方言研究への熱意も文面からにじむ▼今年の菊池寛賞に決まった前新透さんは「竹富方言辞典」の序文で「言葉を忘れたら生まれ島をも忘れ、生まれ島を忘れたら親までも忘れる」と竹富の言葉で記した。生まれ島への愛惜は読む者の心を震わせる▼「竹富の人々の生活や文化のすべて」が根差す竹富言葉の保存を前新さんは力説する。それは辞書編さんを超え、島への愛情を後世へ伝える信念と責務を私たちに教えてくれる。(琉球新報・11/10/22)

●言海=国語辞書。大槻文彦(おおつきふみひこ)編、4冊(初版)。1889~91年(明治22~24)初刊。わが国で最初の近代的な組織の普通語辞書。収録語数3万9103語。1875年(明治8)文部省の命によりつくり始める。ウェブスターのオクタボ版にその構成を倣い、多年の労苦のうえ完成した。特色としては、(1)基本語も含めた普通語の辞書であること、(2)五十音順で配列したこと、(3)近代的な品詞の略号と、古語・訛語俚語(かごりご)の印をつけ、活用を示したこと、(4)語釈に段階づけをしたこと、(5)用例を載せたこと、などがある。これらは以後の普通語辞書の範となった。のちに『大言海』(冨山房刊)として増補された。巻首の「語法指南」は『広日本文典』、『広日本文典別記』(ともに1897刊)の基礎となった。[古田 啓](日本大百科全書(ニッポニカ)の解説)

●伊波普猷(1876~1947)言語学者,民俗学者。沖縄那覇の人。東大国文科卒。1910年沖縄県立図書館創設とともに館長となり郷土史料収集に努力。1925年再度上京,琉球語や沖縄史,特に大学以来のおもろさうしの研究に没頭。沖縄学の父とされる。柳田国男,折口信夫などが沖縄文化に注目する端緒となったのも伊波の仕事であり,沖縄研究は日本民俗学の形成に深くかかわることになった。主著《古琉球》《沖縄女性史》《琉球古今記》《をなり神の島》《おもろさうし選釈》《南島方言史攷》等。全集11巻がある。(百科事典マイペディアの解説)

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天声人語 小紙に連載されて人気を博した井上靖の小説「氷壁」は最後に主人公が山で落命する。主人公に目をかけていた上司が社員を前に悼辞を述べる。思わず口をついて出た「ばかめが!」の一語で締めくくるくだりは印象深い場面だ▼作中で井上は、この一語を吐いた上司の内面を練達の筆で描く。哀惜と喪失感、憤りがせめぎあう。せんだっても小欄に書いたが、「ばか」の持つニュアンスの幅はずいぶんと広い▼平野復興相が公の場で、津波被害について「私の高校の同級生みたいに逃げなかったばかなやつがいる。彼は亡くなりましたけど」と語ったそうだ。これも辞書そのままの意味ではなかろう。だが問題になり謝罪した。言葉をめぐる空気が、どうも息苦しい▼扱いが難しい言葉だけに、発言に逸脱感はあるにせよ、事例を調べる必要を述べた前後の文脈はまっとうだ。自民党幹部の言う「許されない」ようなものだろうか。むしろそうした反応に「やれやれ」の感がある▼言葉の切っ先は、ときに人を傷つける。無神経は論外だが、心地良い言葉を並べてことが済むものでもない。現実を見すえ、問い、答える言葉がリアリティーや闊達(かったつ)を欠けば、本日召集の国会論議も深まるまい▼思い起こせば、味わい深く人を「ばか」呼ばわりする達人はフーテンの寅さんだった。その寅さんにも「それを言っちゃあおしまいよ」の決めぜりふがあった。おしまいにはせぬ節度を保ちつつ、震災後を語り合う言葉の自由度を広く取りたい。(朝日新聞・11/10/20)

●井上靖(1907-1991)旭川市生れ。京都大学文学部哲学科卒業後、毎日新聞社に入社。戦後になって多くの小説を手掛け、1949(昭和24)年「闘牛」で芥川賞を受賞。1951年に退社して以降は、次々と名作を産み出す。「天平の甍」での芸術選奨(1957年)、「おろしや国酔夢譚」での日本文学大賞(1969年)、「孔子」での野間文芸賞(1989年)など受賞作多数。1976年文化勲章を受章した。(新潮社編)(註 大学は八年かけて卒業。在学中に結婚し、子どももいました。就職の同期には、むのたけじさんがいた、柔道何段だったか。自伝的小説にも柔道に打ち込む姿が。『北の海』ほか)

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 本日の二つのコラムは、いずれも「ことば」を問題としてあつかっています。なんでもないようで、ことばというのはわたしたちの生きている証となるものだともいえます。ことばを軽んじる人は、みずからを軽んじていることに気がつかないのです。人は言葉から成り立っているとも言えます。だから、成り立ちが怪しい輩もたくさんいるのです。「募集」と「募る」は異なる言葉(意味)だと強弁したり。ごまかしや虚言をくりかえすのは、コトバというものが、自身の裡に育っていないからです。言葉が軽いというレベルじゃない。言葉が当人に寄り付かないという恐ろしい事態が進行しているのです。いったい、そんな人物をだれが信じられるのでしょうか。

 何のための教育か、としばしば自問してきましたが、それはことばの力を侮らないためであり、みずからのことばを育てるためだといってもすこしもおかしくないと思うのです。

 ここに示した事象や人物それぞれにいろいろな思いが、ぼくにはあります。の些細な事柄を言うのは避けますが、やはりこんな人に出会っていたり、こんな本(辞書)に遭遇していてよかったな、という感慨はありますね。『言海』は愛読書の一つです。「民主主義(デモクラシー)は下克上か」とあったり、「文明は西洋かぶれだ」などと、おどろくほど個性(独走・独創)的解説に驚喜した経験があります。その他はいずれまた。

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 こちらが責任を持つ、という無責任

 学校はだれのものなんだろうか

 いったい、学校はだれのものでしょうか。子どもを教育するところ、いや教師の職場である、とんでもない、国家が発展するために作られた制度だと議論は沸騰するのかも知れません。じつに奇妙な話です。学校教育が始められてから一三〇年以上も経過していながら、いまだにこのような疑問がときとして大まじめに出されるのです。

 考えてみれば、こんな疑問は不思議でもなんでもないのかもしれません。だれかのものと決めつけようとすることこそが奇妙だといえます。ひとそれぞれに、自分の立場にたって、学校教育を論じようとするのですから、だれもが納得する結論がでることはないといってみたらどうでしょうか。ようするに、どのような視点から学校を見る(論じる)かが重要だといってみたくなります。

 子どもの成長や発達を願う立場からみれば、学校は子ども(その関わりでいうなら、親たち)のためのものだといえます。教師がいてこそ、子どもの成長や発達に資する教育が可能となる(そのように懇望してやまない)というなら、それは教師がいなければなりたたない組織であると考えられましょう。しかし、子どもの成長を可能にする教師の役割を容認するにしても、けっして個々人の努力や情熱だけでは一日だって維持できないのはいうまでもありません。それがじゅぶんに達成されるためには莫大な経費や施設・設備が欠かせないのです。

 ここまできて、学校はけっしてだれだれのものと、所有者を特定できないことがわかります。そんなことはあたりまえだといわれそうですが、この国における学校教育がつねに問題をかかえており、ときには驚くばかりの愚劣な議論が政治の領域でなされるのをみるにつけ、学校は「俺のものだ」という我が物顔の主義主張がまかり通ってきたともいえるのです。

 教育の政治的中立性とはどういうことか。いかなる党派であれ、ある種の政治権力が学校教育を、どのような方法を使おうとも、支配することをいさぎよしとしない、民主主義社会のためのひとつの原理を示すものだと考えられます。国家権力であれ、一人ひとりの教師のそれであれ、はたまた子どもや親たちの意向であれ、それらが学校教育をかたよった方向に導かないためにはこの原理をないがしろにしてはならないことを教えています。

 ではなぜ、このような原理が大きな価値をもつのか、もたされているのか。いうまでもなく、特定の権力(勢力や党派といってもいい)が学校教育を牛耳り、そのあり方をきわめていびつなかたちにゆがめてしまうことがあったからです。その具体例はあげるまでもないでしょう。学校教育をみずからの思想や教義のための道具とした事例は枚挙にいとまなしです。明治以降の学校教育史とは、一面ではまさしく学校・教育が政争の具とされてきた歴史でもあったし、その流れは今日においてもまったく変わりません。

 時には、「学校はおれのもの」だという、驚くべき錯誤を信じて疑わない虚仮がいるのだから、油断も隙もあったものではないのです。どこを叩けば、かかる頓馬が飛び出してくるのかしら。誰のものでもない、みんなのものだという「公共」という概念すらもたないから意識もないのか。考えてみれば、恐ろしいことです、こんな輩が宰相だというのですから。何かと心配する文科大臣(虚仮の子分だとされます)を前にして、「こちらが責任を持つ」といったそうです。「責任」という言葉を使えば、「責任」を果たしたことになると心底思いこんでいるんですね。驚愕すべき頽廃のきわみ、薬石効なしですな。(「責任」=責任という語を用いること、という奇怪な辞書があるらしい、非売品だ)

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 世間の批判をかわすために、「学校一斉休校」を宣言するというとんでもない暴挙を行ったのは、まさしく、学校・教育の政治的利用の最たるものです。子どもの教育や親の事情など一切関係なく、おのれの評判(支持率)を死守するためだけに、こんなに愚かなことができるというのも前代未聞でしょう。これは才能のなせる業なんですか。

 いともかんたんに、かかる蛮行を許してしまうという現行の教育行政の体たらくをぼくは糾弾したい。これまで営々と築いてきたものがまったく砂上の楼閣ならぬ、張りぼてだったということが白日の下にさらされた瞬間でした。誰一人抵抗するものもなく、てもなく響宇高に追い込まれ、果ては休校先陣争いのごとき惨状を呈していました。二度と再び、口先だけの政治屋に翻弄されないだけの矜持を持たなければ、話になんないね。 

 マスクを数百億円使って、求めてもいない人民に配布するという破天荒の愚策をやった人間を長い間支持してきた島社会です。数え上げればきりがない野放図なバカさ加減を提灯持ちよろしく「よいしょ」してきたのは誰だったか、と問えば、天から唾が落ちてきます。まだ懲りずに「go toキャンペーン」だってさ。コロナ禍にやられたのかしら。今や都心は「エピセンター」になっているというのに、です。人民の死は、災害であれ、なんであれ、すこしも構うものか、という「悪辣非道」の万世一系かとも思ったりします。それに抵抗したい。抵抗しなければ。

 「一斉休校」、それはまさしく能天気なPMの「スクールジャック」でした。いったい学校はだれものもか、という問い自体が意味をなさないくらいに、落ちるところまで落ちたのです。ぼくは「教育は私事である」と思って、これまで生きてきた人間です。「一旦緩急あれば、義勇公に奉じ」「天壌無窮の皇運を扶翼すべし」といった犠牲礼賛、滅私奉公奨励、皇室尊崇を強いる学校教育は破棄されたのではなかったか。この期に及んで、まだそんな寝言をお前は言ってるのか、と嘲笑されるのが落ち、そんな時代にぼくは生きている。歴史が明治と陸続きであることは否定できないが、心機一転、気分一新、生まれ変わろうとする志(再生への意欲)はとっくに失われたのか、端からなかったのか。

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