自分のもの、それは自分の働きだけ

 ここで、わたしたちの現在の生活ぶりにとって、ひじょうに象徴的な物語を紹介します。(承前)

 ロシアの作家だったトルストイ(一八二八~一九一〇)が書いた『イワンのばか』という民話集(岩波文庫版)に「鶏の卵ほどの穀物」と題された、文庫本で六ページ足らずのきわめて短い話があります。その内容は以下のようなものです。 

 あるとき子どもたちが谷間で「まん中に筋のある、鶏の卵ほどの穀粒」のようなものをみつけた。通りがかりの人が子どもからいくらかの金額で買って町にもっていって、珍しい品物として王さまに売りわたした。王様は何人もの賢人(物知り)を集めて「これはいったい何なのか」と調べるように命じたが、だれもそれがなんであるのか答えられなかった。ところが、その不思議な物を窓際においたところ、鶏が飛びあがってつっついたので、どうやらそれはなにかの穀物の粒(種)だと見当がつきました。

 「王さま、これは裸麦の穀粒でございます」

 このように答えた物知りたちに命じて、「いつどこでこんな穀粒ができたのか」を調べさせました。しかし、いくら調べても、彼らにはわからなかった。

 「わたくしどもにはお答えができかねます。…これはやはり、百姓どもにたずねてみるよりいたしかたなかろうと存じます」

 それを聞いて、王さまはうんと年寄りの百姓をさがしてくるように命じた。やがてひとりの老百姓が連れてこられました。「青い顔をした、歯の一本もないその老人は、二本の撞木杖にすがって、やっとはいって来た」のです。彼は耳も聞こえず、目もよく見えなかった。

  「これじいよ、おまえはこれがどこでできたものか知らないか? おまえ自身でこんなふうの種子を、自分の畑にまいたことはないか、それともまた、どこかでこんな種子を買ったことはないか?」

 問われたことをようやく理解したその老人は、「いいえ、こんな穀物をうちの畑に播いたことはございませんし、とり入れたことも、買ったこともございません。わたくしどもが穀物を買いました時には、みんなもっとずっと小さなものばかりでございました。これはどうしても、わたくしのおやじにきいてみなければわかりません」と答えたのでした。

 そこで、王さまは人をやってその老人の父を呼びにつかわした。「このたいへんな年寄り」は、一本の撞木杖にすがってやって来た。王さまは穀粒をみせながら、前とおなじことをその「たいへんな年寄り」にたずねた。

 彼は「こんな種子はわたくしの畑に播いたことはございませんし、とりいれたこともございません。また買ったこともございません」自分たちの若いころには「金」というものはまだできていなかった。人はみんな自分が収穫した穀物をたべていたし、必要なときにはたがいに分け合っていたともいうのでした。

 「なんでも、おやじから聞きましたところでは、おやじの時代には、今よりもずっといい穀物ができて、打ちべりも少なけりゃ、穀粒もずっと大きかったということでございます。おやじにたずねてみるがええかと思いますが」

  王さまはまた人をつかわして、その老人の父親をさがさせた。連れてこられた老人は杖もつかず、らくらくと歩いて王さまの前に進みでた。目もよく見えたし、耳もよく聞こえた。

  穀粒を見せられた老人は「わたくしはもう長いこと、こんな昔の種子は見たことがございません」といって、それを噛んでみてからいった。

 「たしかにそれでございます」

  「ではな、じいよ、ひとつわしに、そんな穀物はいつどこでできたものか、教えてくれ、おまえは、自分の畑にそんな穀物をまいたことはないか、また、どこかでそれを買ったことはないか?」と王さまたずねた。

  その老人は次のように答えました。

  「わたくしの世ざかりには、こんな穀物はどこにでもできていましたです。わたくしなぞは生涯この穀物をたべてきましたし、人にもたべさせてきました。わたくしはこれを、自分でもまきますれば、とり入れもし、打ちもいたしました」

  王さまはさらにたずねた。

 「では、じいよ、ひとつわしに話してくれ、どこでおまえはこんな穀物を買ったか、それとも自分で自分の畑にまいたか?」

  そう聞かれて、老人は笑いだしました。

 自分の時代には穀物を売るとか買うなどといった、そんな罪なことはだれもしなかった。金なんかだれも知らなかったし、穀物もだれのところでも欲しいだけあったのだから、といった。

 「ではな、じいよ、おまえはこんな穀物をどこで播いたか、おまえの畑はどこにあったか、それをひとつ話してくれ」

 「わたくしの畑は、神さまの地面でした。どこでも、犂を入れたところが畑でございました。土地はだれのものでもありません。自分の地面などということは、言わなかったものでございます。自分のものというのはただ、自分の働きということだけでございました」

 そこまで聞いていて、王さまはどうしても二つのことをたずねたくなりました。

  一つは「昔はこういう穀物ができたのに、今はなぜできないのか」

 もう一つは「おまえの孫は撞木杖を二本ついて歩き、お前の息子は一本ついて歩くのに、おまえは、杖もつかずにらくらくと歩いて来たばかりか、目はそのとおりはっきり見えるし、歯は丈夫だし、言葉もてきぱきして、愛想がいい。それはいったいどういうわけか」

 そこで三人のなかでもいちばんの年寄りだった、その老人はいった―

 (さて、不思議な老人は王さまにどのように答えたのか。答えはそれぞれに出せるでしょうから、一つとは限らない。正解は「一つだけ」というのはこの島の学校が微塵も疑わない信仰ではありますね。その方が採点も楽だし、子どもも納得するし。でも本当は納得なんかしちゃだねなんだ。したがって、ここでトルストイとは別個の回(解)答をするのも一興でしょう。肝心なことは「現場」はどうなるのでしょうか、という一点に尽きますね。あなたにとって、「現場」はどこですか。それは、なんですか。「イワンのバカ」ばっかりですね、この世は。

投稿者:

dogen3

 毎朝の洗顔や朝食を欠かさないように、飽きもせず「駄文」を書き殴っている。「惰性で書く文」だから「惰文」でもあります。人並みに「定見」や「持説」があるわけでもない。思いつく儘に、ある種の感情を言葉に置き換えているだけ。だから、これは文章でも表現でもなく、手近の「食材」を、生(なま)ではないにしても、あまり変わりばえしないままで「提供」するような乱雑文である。生臭かったり、生煮えであったり。つまりは、不躾(ぶしつけ)なことに「調理(推敲)」されてはいないのだ。言い換えるなら、「不調法」ですね。▲ ある時期までは、当たり前に「後生(後から生まれた)」だったのに、いつの間にか「先生(先に生まれた)」のような年格好になって、当方に見えてきたのは、「やんぬるかな(「已矣哉」)、(どなたにも、ぼくは)及びがたし」という「落第生」の特権とでもいうべき、一つの、ささやかな覚悟である。(2023/05/24)