香港で「白髪の行進」

「逃亡犯条例」改正案に抗議するため香港の立法会(議会)に向かってデモ行進する高齢者ら(2019年7月17日撮影)。(c)Anthony WALLACE / AFP(2019年7月18日)
  【7月18日 AFP】刑事事件の容疑者を中国本土に引き渡すことを可能にする「逃亡犯条例」改正案に対する抗議活動が続いている香港で17日、数千人の高齢者がデモを行い、政府に対する抗議行動をリードする若者への連帯を示した。/「白髪の行進」と呼ばれるデモは、高齢者の多くや信頼できる保守的な市民も、若いデモ参加者たちを支持していると親中派の香港指導部に示すのが狙い。厳しい暑さの中、高齢者らが長い列をつくって香港市内を行進する光景は、年配の人々を敬う文化が根付いている香港では強い印象を与えた。
  参加者の中には「若者よ、父も外へ出る」と書かれたプラカードを掲げる人や、立法会(議会)の外に設置されたメッセージボードに「子どもたちよ、あなたたちは独りではない」と書き込む人もいた。/ ある女性参加者(55)はAFPの取材に対し、1997年に香港が中国に返還されて以降、自由が失われていくことへの抵抗を自分たちの世代は十分に行ってこなかったと指摘し、「若い人たちが私たちにこれ以上沈黙するべきではないと気付かせてくれた」と述べた。(c)AFP

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 ちょうど一年前の香港の一つの現場です。以来、さまざまな抵抗や抑圧があって、ついに中国は「国家安全維持法」なる「事態法」を施行するにいたりました。多くの若者は運動を離れ、またある人々は香港を離れると宣言し、それを実行した人もいます。大きな圧力にひとたまりもなく、押しつぶされ、ついには「言論の自由」のない国家に併呑されてしまうのか。予測は困難ですが、奪われた自由は必ずとりもどされると、ぼくは確信しています。香港の行方と同時に、台湾の動向にも注視せざるを得ない。一国二制度は台湾政策として導入されたものでした。強権は、必ず崩壊するという運命にあります。「歴史」そのものは権力の崩壊史でもあります。(勘繰りにすぎませんが、中国共産党内では熾烈な権力闘争が続いているはずです。強権発動は権力争いの一環であると、ぼくは観ています。あまりにも「覇権」を争いすぎているのが現下の中国です)

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 ここ一週間ほどは列島に梅雨前線がすっぽりと居座って、驚愕するほどの雨を降らせ、そのために各地で甚大な被害がもたらされています。いつもながら、多くの尊い人命が失われました。亡くなられた方には衷心より哀悼の意を表したいと思います。その昔、寺田寅彦だったか、「災害は忘れたころにやってくる」といいましたが、近年は忘れないままに「やってくるんだ」という恐ろしさ。原因は複雑ですが、人災的要素が隠せないのは本当でしょう。拙宅付近の道路も、昨秋の風水害による崩落や崩壊が修復されないままで、一年経過しました。「備えあっても憂いあり」です。専守防衛怠りなく、ですね。(福岡や熊本方面に友人知人がいます。もちろん、中部地方にも。くれぐれも無事であることを願っているよ)

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投稿者:

dogen3

 毎朝の洗顔や朝食を欠かさないように、飽きもせず「駄文」を書き殴っている。「惰性で書く文」だから「惰文」でもあります。人並みに「定見」や「持説」があるわけでもない。思いつく儘に、ある種の感情を言葉に置き換えているだけ。だから、これは文章でも表現でもなく、手近の「食材」を、生(なま)ではないにしても、あまり変わりばえしないままで「提供」するような乱雑文である。生臭かったり、生煮えであったり。つまりは、不躾(ぶしつけ)なことに「調理(推敲)」されてはいないのだ。言い換えるなら、「不調法」ですね。▲ ある時期までは、当たり前に「後生(後から生まれた)」だったのに、いつの間にか「先生(先に生まれた)」のような年格好になって、当方に見えてきたのは、「やんぬるかな(「已矣哉」)、(どなたにも、ぼくは)及びがたし」という「落第生」の特権とでもいうべき、一つの、ささやかな覚悟である。(2023/05/24)