子どもの知恵を呼び覚ますのが大人

「アテネの学堂」(ラファエロ作・ヴァチカン美術館蔵)ヴァチカン宮の「署名の間」にあるフレスコ。正面中央右がアリストテレス、左がプラトン。(二人の腕の向きに注目)その左八人目あたりの黄土色の着衣がソクラテスとされる。その他、ここに描かれているのは当代を代表する哲学者たちだった。

 大江健三郎さんの講演の一部から。

 (ギリシアの哲学者のプラトンという人はその師匠であったソクラテスを主人公にしてたくさんの対話篇を書きました)そのなかに『メノン』という作品があります。他の都市国家から来たメノンという人と、ソクラテスがこのように話したという本です。『メノン』は、ソクラテスが死ぬ三年前にこういう対話があった、という仕方で書かれています。ソクラテスは七十歳で死にましたから、三年前というと大体いまの私ですね。いまの私はあのソクラテスの年齢なんですよ(笑)。

 ソクラテスをつうじてプラトンは、『メノン』という本でどういうことをいっているかというと、人間の徳、人間の一番大切なもの、その人の生きている社会で役に立つ知恵、英語のvirtueという言葉とつうじるものですが、力として役に立つ徳ということですね。人間の資質の本当に優れているところ。それは人間に生まれつくものか、そうでなくて教育することができるものかということを議論している本なんです。

 そこに、生徒は先生にとってどういう関係にあるかということを書いたところがあります。(中略)

 それで根本にあるのは、ソクラテスがこう考えていることです。プラトンもそう考えているわけです。子供はみんな本当の知恵を持っている、先生が知っていることを子供に教えるんじゃない。そうじゃなくて、子供が知っているけれども、自分ではっきり知っているとわかっていないことをはっきりさせてやる。それが、教えるということだと。もともと子どもは知っている。子供には知恵がある、それを呼び覚ましてやること、それが教育だ、というのがソクラテスの考え方、つまりこの本を書いたプラトンの考え方ですね。だから教育の現場では、生徒が先生に質問するよりも、先生が生徒に質問することのほうが多いんだ、とソクラテスはいうんです。このことは重要です。君はどんな問題を持っているのか、きみには何が大切なのか、きみは何がわからないと思っているのか、ということを子供たちに発見させてやる。それが教育だ、というんです。(大江健三郎「きみたちにつたえたい言葉」『鎖国してはならない』所収。講談社刊、2001年)

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  このくだりはとても有名なものです。一辺が二プウスの正方形、その二倍の面積をもつ正方形はどのようにして求められるか。それをメノンの家の小さな「奴隷」に尋ねます。彼は学校に行ったことがありません。その彼に向かって、ソクラテスは幾何の問題を提出したのです。棒切れを使い、土間に図を書いて「問答」を続けていく。

 結論をいうと、次のようになります。それはソクラテスの言でもあります。

 「この子供は自分と話しているうちに、いまの図を作って考えて行って二倍の正方形の作り方が正しいということを自分でわかっていた。それは教えたんじゃない」「子供が学んでそれを発見したのだ。かれは本当に自分が知っていたものに気がついたのだ。それが本当の、子供が新しいことを発見してゆく仕方だ」(大江)

 「皆さんが、学校で学ぶことも、たいていさきに自分でわかっていること、自分で知っていることなんです。たとえば『なぜ人を殺してはいけないか』というようなことを、大人がこのごろ訊ねるしょう。それは子供が生きてゆく上で、ちゃんと自分で知っていることです。そして守っていることでしょう?いまなぜ自分が人を殺さないかということは、自分の心のなかではっきり知っている。あらためて質問するなら、それを子どもたちが自分の言葉でも表現できるようにする。ソクラテス式にそれをたすける話しをしてゆく、ということが必要です。ただ『なぜ殺さないか』という質問をして、そのまま答えを待っている先生は間違っているんです。子供と話しながら先生が、あるいは親が、『なぜ自分が人を殺さないのか』、それを本当は自分が知っていると、子供の心のなかではっきりしてくる方向に向かわせる。そこへ子供たちの考える運動を導いてゆくのが先生の教え方、父親の教え方だということを、もう二千三百年も前のソクラテスが教えていたわけです。それが重要だと私は思うんです」(大江)

 なんかじつに簡単な方法だと思われそうですが、なかなか、そうじゃないでしょう。先ず時間がかかりすぎる。(これは「問答法(対話術)」 という)教師の仕事は「教えないで、質問する」ことだと再三いってきました。ここでもまた、同じことがいわれています。「教えないで、訊ねる」これにはどのような仔細が背後に隠されているのか。じっくりと考えてみる必要がありそうです。『メノン』をくりかえし読むことが何よりです。

 「ものを知る」というのは、すでに知っていて、それを忘却しているのだから、うまく思い出す、つまり「想起する・させる(アナムネーシス)」のだというのです。(*哲学におけるアナムネーシス (ギリシア語: ἀνάμνησις )とはプラトンの認識論的・心理学的理論で使われる概念。日本語では想起という訳語が与えられる。この概念はプラトンの対話篇の中でも『メノン』および『パイドン』で発展させられ、『パイドロス』でもそれとなく言及されている。wikipedia)

 記憶を失ってしまったというのは正しくないので、どのような記憶でも、脳内に保存されているのだが、それをうまく取り出す(思い出す)仕組みが機能していないから、それを手助けする人や働きが求められるというのです。ここに「教育」(問答法→産馬術(生み出す)((maieutikē の訳語)」の役割があり、教師や親の仕事があるのです。教え込むのではなく、引き出す。思い出させるということ、「あっ、そうだったのか」という具合に。そのとき、「生みの苦しみ」が必ず伴うのです。

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● ディアレクティケ(英語表記)dialektikē=問答法ないし弁証法を意味するギリシア語。ディアレクティケの創始者はエレア派のゼノンとされ,その方法は相手の主張を仮説として認め,その仮説が矛盾した結論を導くことを証明して相手を論破する争論的性格のものであった。しかしプラトンはそれを真の意味での問いと答えの弁証法として哲学そのものの方法にまで高めた (『国家』『クラテュロス』) 。一方,アリストテレスは真の前提から出発する演繹体系として分析論から区別して,一般的に承認された見解に基づく推論をディアレクティケと呼んだ (『分析論前書』) 。またストア派では「真と偽および真偽いずれでもないものを問いと答えのうちに弁別する知識」と定義されている。以後中世末期までは一般的にいってディアレクティカ (ラテン語形) は論理学の一部あるいは論理学そのものであった。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説)

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投稿者:

dogen3

 毎朝の洗顔や朝食を欠かさないように、飽きもせず「駄文」を書き殴っている。「惰性で書く文」だから「惰文」でもあります。人並みに「定見」や「持説」があるわけでもない。思いつく儘に、ある種の感情を言葉に置き換えているだけ。だから、これは文章でも表現でもなく、手近の「食材」を、生(なま)ではないにしても、あまり変わりばえしないままで「提供」するような乱雑文である。生臭かったり、生煮えであったり。つまりは、不躾(ぶしつけ)なことに「調理(推敲)」されてはいないのだ。言い換えるなら、「不調法」ですね。▲ ある時期までは、当たり前に「後生(後から生まれた)」だったのに、いつの間にか「先生(先に生まれた)」のような年格好になって、当方に見えてきたのは、「やんぬるかな(「已矣哉」)、(どなたにも、ぼくは)及びがたし」という「落第生」の特権とでもいうべき、一つの、ささやかな覚悟である。(2023/05/24)