
〇正義のかたち:裁判官の告白/2 木谷明さん、30件超す無罪判決
◇「再審開始すべきだと思った」--「白鳥事件」の悔い原点
痴漢冤罪(えんざい)事件を描いて昨年ヒットした映画「それでもボクはやってない」で、周防正行監督が参考にした元裁判官がいる。

「無罪言い渡しに喜びを感じていた、と言ったら監督に驚かれましたよ」と笑う法政大法科大学院の木谷明教授(70)。現役時代に30件以上の無罪判決を言い渡し、すべて確定した。自分の判断で無辜(むこ)の人を刑罰から解放できたのが喜びだった。有罪判決を出した映画の中の判事の対極に立つ。その原点には「幻の再審」がある。
確定した判決の審理をやり直す再審。その開始条件を緩和したのが最高裁の「白鳥決定」(75年)だ。

1952年1月21日、札幌市警本部(当時)の白鳥一雄警部が射殺された。日本共産党札幌地区委員長(94年死亡)が、国外逃亡した実行役に指示したとして逮捕・起訴され、最高裁で63年、懲役20年が確定する。委員長は65年再審請求。札幌高裁に棄却されるが、異議を申し立て、同高裁の木谷さんの部に舞台は移った。
50冊を超す記録を読み、唯一の物証だった2発の弾丸に疑問を持つ。確定判決は「事件が起きた52年1月上旬に札幌郊外の山中で試射した弾丸」と認定したが、発見されたのは、事件の1年7カ月と2年3カ月後だった。発見されるまで土に埋まっていたのに腐食がない。新たな鑑定書も「長期間土中にあれば、弾丸の表面にひびが入る」と指摘しており、証拠の捏造(ねつぞう)を疑った。
木谷さんは当時、裁判官3人のうち最も経験の浅い判事補である。合議で、先輩2人に審理のやり直しを訴えたが、理解してもらえない。再審は「開かずの扉」。開始は、真犯人が現れた場合などに限られていた。
「再審開始すべきだと思った。私の実力不足だった」と木谷さんは悔やむ。決定に「弾丸の疑惑」を盛り込ませたのが精いっぱいだった。その4年後、「白鳥決定」が出る。
決定は「疑わしきは被告人の利益に」の原則が、再審でも適用されることを明確にうたった。検察側の証拠で考えても「犯人らしい」という程度にとどまるなら被告に有利な無罪に、疑問の余地なく確信できる時だけ有罪に--。裁判員制度でもこの鉄則は揺るがない。
木谷さん流の表現では「検察官が有罪と認めさせる十分な証拠を出したか」が裁きの基準だ。弾丸に感じた「証拠捏造」の可能性も忘れず、証拠を深く吟味した結果が、多くの無罪判決につながった。

裁判員が臨む法廷では、過去の事件を完全には再現できない。だから、と木谷さんは説く。「裁判で絶対的な真実を発見することは不可能と割り切ることが必要。想像で証拠を補ってはいけない」=つづく
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■ことば ◇白鳥決定
白鳥事件で最高裁は75年、再審請求の特別抗告を棄却するが、確定判決に合理的な疑いを生じさせる新証拠があれば、再審を認める緩やかな基準を示した。これを追い風に財田川、免田など死刑事件でも再審が一時相次いだ。しかし、名張毒ぶどう酒事件で名古屋高裁が一度出た再審開始決定を取り消すなど、扉は再び閉じつつある。(毎日新聞 2008年3月22日 東京朝刊)
●白鳥事件=1952年札幌市警察本部の白鳥警備課長が殺害された事件。警察は日本共産党関係者の犯行とみて捜査し,1955年共産党地区委員長らが起訴され,控訴・上告を経て1963年に懲役20年の刑が確定した。これに対して再審請求がなされ,1975年最高裁判所はこの特別抗告を棄却したが,決定理由の中で,従来の再審開始の要件を大幅にゆるめ,全証拠の総合評価の方式および〈疑わしきは被告人の利益に〉の原則の再審請求への適用を説いた。このいわゆる〈白鳥決定〉は,その後の再審請求実務・理論の展開に大きな影響を与え,実際,いったん死刑が確定した事件についての再審無罪の判決がいくつか出た。しかし最近では再び再審請求に対して厳格な対応がとられつつあるという批判がある。(百科事典マイペディアの解説)
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●再審請求=判決が確定した事件について、法に定められた事由がある場合に、判決を取り消して、裁判の審理をやり直すよう申し立てること、およびその手続き。再審を請求できる事由としては、虚偽の証言や偽造・変造された証拠などが判決の証拠となったことが証明されたとき(刑事・民事)、有罪の言い渡しを受けた者の利益となる新たな証拠が発見されたとき(刑事)、脅迫などの違法行為によって自白を強要された場合(民事)などがあり、刑事訴訟法・民事訴訟法にそれぞれ規定されている。刑事事件で再審が開始された場合、刑の執行を停止することができる。死刑確定後に再審によって無罪となった事件に、免田事件、財田川事件などがある。(デジタル大辞泉の解説)
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白鳥事件は法律的には決着がついています。しかし事件の真相は「藪の中」にあります。戦後の混乱期に発生した数々の「事件」、松本清張さんの「昭和史発掘」の格好の主題となりました。三鷹事件、松川事件、下山事件、白鳥事件等々、これらは当初から「真犯人」は別にいると疑われたのでしたが、裁判では「共産党活動家」たちの共同正犯であるという見方が強く主張されていました。各事件ごとにていねいに論述すべきものですが、ここでは詳細は省きます。ようするに、いったん出された判決後に「新たな証拠」が出されれば、「再審」を認めるべきであるという判断が出された意義は大きい。

いまなお「再審請求」が続けられている事件はいくつもあります。まずは「狭山事件(無期懲役刑が確定)」、さらには「袴田事件(死刑確定)」などです。両事件とも事件発生以来、半世紀以上も経過しました。三審制の先に、再請求裁判が認められています。その「再審開始」の確率はきわめて恣意的であるとぼくには思われる。上の表にも見られますように松山事件の再審無罪確定が84年でした。以来三十五年以上も再審の扉は閉ざされてきました。なぜでしょうか。裁判の決定(判決)に誤りがなくなったからでもないでしょう。あまりにも「再審無罪」が続くとどうなるか。「いいかげんな裁判をするな」という、裁判(官)不信が澎湃として起こってくるのは目に見えています。だから、というのはいかにも恣意的です。「疑わしきは被告人の利益に」という大原則は曲げられてはならない。
「(神ならぬ)人」が「人」を裁く。微塵の過ちも許されないとしたら。しかし、どんなに手を尽くしても、過ちは必ず生じるとすれば、どういう方法(制度)が後に残されることになるのか。
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