教師になる、一人前になる

 私の先生 背中押す「できるよ」の魔法…岡村孝子さん  シンガー・ソングライター

 人見知りで、いつも父の背中に隠れているような子どもでした。そんな私に、人前に出るきっかけを与えてくれたのが、愛知県岡崎市立矢作西小学校6年の時の担任だった筒井博善先生(故人)。当時50歳代後半で、一人ひとりの児童によく目配りしてくださる先生でした。

 新学年が始まって間もない音楽の授業。ピアノが苦手な先生は、「代わりに弾いてくれないか」と私を指名しました。「できません」と何度も断ったのに、先生は「絶対にできるから、やってみなさい」と励ましてくれました。両親から音楽の先生を目指していることを聞き、引っ込み思案な私に活躍の場を与えてくれたのでしょう。

 学芸会でも、準主役のお姫様の役をくださいました。その時も「できるよ」と背中を押してくれました。とても恥ずかしかったけれども、大勢の前で演じる喜びも味わいました。

 先生が体調を崩して2~3週間入院したことがありました。退院して登校した日の朝の光景が、今も忘れられません。職員室に駆けつけ、窓の前にひしめき合いながらクラス全員で先生の姿を探しました。振り向いた先生が笑いかけてくれた時、涙が出るほどうれしかったのを覚えています。

 それまでは「どうせダメだから」とあきらめがちだったのに、先生に「できるよ」と言われると、「ひょっとしてできるかも」と自信が湧いてくる。私にとって「魔法の言葉」でした。先生に出会わなければ、人前で自分の音楽を聴いてもらうシンガー・ソングライターを目指すこともなかったかもしれません。(聞き手・保井隆之)

プロフィール  おかむら・たかこ 1962年、愛知県岡崎市生まれ。82年に女性デュオ「あみん」として「待つわ」でデビュー。85年からソロ活動を開始。「夢をあきらめないで」などヒット曲多数。7月16日に東京・中野サンプラザホールでコンサートを開く。(読売新聞・13/07/01)

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 学校と私 : 格差拡大に怒り覚え−−NPO法人「さいたまユースサポートネット」代表理事・青砥恭さん

 35歳で教員になりました。大学を出て法学研究室に入所した後も、研究者として哲学を勉強するか、法律の実務家(じつむか)を目指すかで迷っていました。娘が生まれ、パートナーが教員だったこともあり、研究活動を継続できる高校教員になることを目指しました。教員免許取得のため通信教育を受講しながら、埼玉県の採用試験に合格。当時としては年齢制限ぎりぎりでした。

 教員になるまでは、研究室生活の合間に、東京の小学校で宿直をする仕事をしていました。職場の仲間は、警備員、校務員、給食調理員という現業の方々でした。シングルマザーが多く、女性が一人で子育てすることの大変さを知りました。この数年間が私の社会認識を育ててくれた時代で、人生の転機(てんき)だったと思います。

 教員生活が始まってから部活動でラグビーをしたり、生徒とキャンプに行ったりしましたが、楽しい思い出ばかりではありませんでした。

 二つ目に勤務した学校で「退学決議(けつぎ)事件」が起きました。クラスで一番元気でリーダーだった生徒に対し、ホームルームの時間に「退学」と言い出した生徒がいて、あっという間に「賛成」と決議されたような形になりました。他の生徒に使い走りをさせているような「強い生徒」だったので、一部の生徒のうっぷん晴らしだったように思います。ところが、この「退学」と言われた生徒が新聞社に連絡して報道され、私は「いじめ」を放置(ほうち)した教員として、つらい時期を過ごしました。

 最近、このクラスの卒業生が私のNPOのボランティアとして参加し「あの頃、先生は今と同じように、生徒に向き合っていました」と話してくれました。生涯で最もうれしい言葉です。

 その事件があった頃、中退する生徒や学力の低い生徒が多い「教育困難校」に、貧困層の子供が多いという話を友人の教員から聞きました。貧困や格差を学校と教育が解決するどころか、一層拡大させている理不尽(りふじん)さと不公正さに怒りを覚え、その後の子供の貧困研究になったと思います。

 ただ、そうであっても学校は子供が学び、仲間を作る本来的な居場所です。そこを忘れてはいけません。【聞き手・木村健二】

■人物略歴 1948年、松江市生まれ。元埼玉県立高教諭。居場所のない若者、生活保護受給世帯の子供の支援に取り組む。著書に「ドキュメント高校中退」など。(毎日新聞・13/05/20)

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 例によって旧聞を二本。はじめは子どもの側からのもの。岡村孝子さん。「あみん」時代のものはよく聴いていました。『待つわ』はつねにぼくの中に流れていました。(いつまでも待つわ)いろいろな経験を経て、活動を再開。病魔に襲われたと知りましたが、回復されたかどうか。この記事の「筒井先生」、きっと教師はだれかに(自分は知らないかもしれませんが)影響(良悪で)を与えているのですね。「誰かの教師に、だれもがなる」といったのはニーチェ。反面教師という言葉の存在をそれは教えてくれます。ぼくには「いい影響を与えてくれた教師」はいなかったが、反面教師は五万といました。(原因はぼくの性悪によるところは大です)岡村さんのように、長く記憶と胸中にとどめてもらえるなどというのは「教師名利」に尽きるのでしょう。大声を出さないで、静かに子どもに何かを残す、いいですね。

 青砥さん。彼の場合、むしろ「生徒」に教えられ、育てられたというのかもしれません。このように、生徒を見ることができるのもまた、教師の必須の資質でしょうか。教師にとって学校(教室その他の場所)はかけがえのない「現場」です。建築現場や臨床の現場などとおなじように、そこから人の幸福も不幸も生まれるのですし、そこからしか生まれない。現場を大事にするというのは、どんな意味でしょうか。青砥さんの経験が如実に示しています。今回の「コロナ禍」に遭遇して、「子どもの貧困」がさらに白日の下にさらされました。政治や行政が目をふさいでいる間に、事態はさらに悪化の一途をたどっているといわざるを得ません。一人の教師にできることは限られています。ではどうするか。

 青砥さんが自らの活動を以て示しておられます。

 採用試験に合格し、教師生活に入る、それを多くの人は「教師になる」といいます。それで間違いはないのですが、「大工になる」というのも、恰好(上辺)を取り繕い、必要な道具を持つだけではだれにも認められないように、上手に「住める家」を建てて初めて、一人前の大工として評価されるのです。その伝でいうと、「一人前の教師になる」のはいつか。引用で示したお二人の経験が明らかにしてくれていると、ぼくには思われるのです。毎日が修行ですね。まるで雲水の如し。

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 こほろぎよあすの米だけはある

 『草木塔』(昭和十五年版)から、いくつかの句を。

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 家を持たない秋がふかうなるばかり

 行乞流転のはかなさであり独善孤調のわびしさである。私はあてもなく果もなくさまよひあるいてゐたが、人つひに孤ならず、欲しがつてゐた寝床はめぐまれた。

 昭和七年九月二十日、私は故郷のほとりに私の其中庵を見つけて、そこに移り住むことが出来たのである。

 曼珠沙華咲いてここがわたしの寝るところ

 私は酒が好きであり水もまた好きである。昨日までは酒が水よりも好きであつた。今日は酒が好きな程度に於て水も好きである。明日は水が酒よりも好きになるかも知れない。

「鉢の子」には酒のやうな句(その醇不醇は別として)が多かつた。「其中一人」と「行乞途上」には酒のやうな句、水のやうな句がチヤンポンになつてゐる。これからは水のやうな句が多いやうにと念じてゐる。淡如水――それが私の境涯でなければならないから。(昭和八年十月十五日、其中庵にて 山頭火)

炎天かくすところなく水のながれくる
 
日ざかりのお地蔵さまの顔がにこにこ
 
待つでも待たぬでもない雑草の月あかり
 
風の枯木をひろうてはあるく
 
向日葵や日ざかりの機械休ませてある
 
蚊帳へまともな月かげも誰か来さうな
 
糸瓜ぶらりと地べたへとどいた
 
夕立が洗つていつた茄子をもぐ
 
こほろぎよあすの米だけはある
 
まことお彼岸入の彼岸花
手がとどくいちじくのうれざま
 
おもひでは汐みちてくるふるさとのわたし場
 
しようしようとふる水をくむ
 
一つもいで御飯にしよう
 
ふと子のことを百舌鳥が啼く
 
山のあなたへお日さま見おくり御飯にする
 
昼もしづかな蠅が蠅たたきを知つてゐる
 
酔へなくなつたみじめさはこほろぎがなく
 
はだかではだかの子にたたかれてゐる
 
ほんによかつた夕立の水音がそこここ

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 いつのころから山頭火に親しんだか。おそらく大学入学直後だったように思います。友人の弟がお寺に入り坊さんになったという話を聞いた折、山頭火が話題になった。それからしばらくは夢中で読んだ。そのころ、ぼくは柳田国男さんにも魅かれていたが、二人に共通する点もあったと思う。細かいところは省きますが、要するに「家庭不和」からの悲劇がまだ幼い子どもを襲ったということでした。家の不幸は、柳田さんが「民俗学」を志した一因になったし、山頭火には後々まで影響を及ぼし続けたのです。

 まだ十歳かそこらで、山頭火(種田正一)は母を失った。『草木塔』(昭和十五年版)の「序詞」に「若うして死をいそぎたまへる / 母上の霊前に / 本書を供へまつる」と記されています。母への思慕、それが彼に「行乞」一途の生き方を求めさせたといえるかもしれません。青春時代には病気煩いを託ち、自殺の試みもあったようです。その後、結婚するも失敗し、ついには「出家」を果たすのでした。

 この島には「無用者の系譜」とでもいうような「生活の流儀」が間断なく続いてきました。人によっては、その嚆矢を西行に求めたりします。長明などもその系列でしょう。近代になってからも輩出しています。出家あるいは家出。いずれも似たようなものであり、人恋しいという点では変わらない。山頭火や放哉もその列に加えるのはまちがいかもしれませんが、ぼくは、いまのところはそのようにみなしているのです。半僧半俗、いや反僧反俗とする方が、彼ら(山頭火と放哉)の生き方(思想)により近いのかもしれません。

 この島では在家仏教という一派もあります。また在野にいて「妙好人」と称されるべき善人も各地に存在してきました。さて、山頭火は、さしずめいかなる境地を目指した「漂泊の人」だったのでしょうか。定住と漂泊もまた、一つの生き方の流儀だったのです。芭蕉でさえも家を出て、家に帰ります。(旅に病んで夢は枯野をかけ廻る)

 得度したのが四十を超えてからでした。1925年のこと。いわば世間を熟知してから後の「転生」であった。すっかり世の中と縁を切るためではなく、むしろ、よりよく世間と付き合うための手段・方策としての出家だったと、ぼくには思われてきます。「ふと子のことを百舌鳥が啼く」と、山頭火は心の奥を隠さない。あるいは別れた妻にも恩義こそあれ、恨む筋合いではなかったのです。家を捨てるというのは、いったいどういう仕儀であるか、かみさんに縛られているぼくはよく理解できない境地です。しかし、「行乞」という行為自体も、人恋しさの埋め合わせであったと、山頭火の歌詠みの「詠みぶり」から邪推しているのです。ここに心友(禄平さん)が前になり後ろになり、応援してくれているし、山頭火も当てにもしている様子を知れば、なおさら、世間恋しい出家得度だったのです。

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*行乞=十二頭陀(ずだ)の一。僧侶が乞食 (こつじき) をして歩くこと。托鉢 (たくはつ) 。

*頭陀=衣食住に対する欲望を払いのけること。転じて、あらゆる煩悩 (ぼんのう) を払い去って仏道を求めること。また、そのための修行。(デジタル大辞泉)

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 新しい貧困を克服するために(承前)

 (直前の駄文(「新しい「貧困病」の処方箋は?」)で、一定の時間の経過とそこに生み出される経験を伴った行動を表す「動詞(学ぶ・遊ぶなど)」というものにとって代わって、単純な「名詞(学習・教育・卒業)」が重用される時代になってかなり久しい時間がたったという意味のことを言いました)

 これはどういうことか。おそらくは自らの思考や行為の一つ一つを具体的な問題にしなく(できなく)なっているのです。学生に関して言えば、たいていは「履修(単位取得)」や「卒業(修了)」だけが関心事なのだから。一年間の授業のなかで自分はどんなことを考え、どんな点に興味をもった(もたなかった)か、その結果、その授業で自分はなにを学んだ(学ばなかった)か、これをはっきりと表現できる学生はおどろくほど少数であろうと思われます。とにかく自分は教室に入っていた(「受講」していた)から「単位取得」は当然、その程度のものです。すべての学生がそうではないにしても、なにを「学んだか」という自己評価がないのはなぜかと、(ぼく自身の学生生活に比して)いつもふしぎに思っててきました。内容よりも結果、この価値観が社会全体に蔓延していると思うのです。

 それは学校教育の最大の欠陥であり、悪弊であるといえます。なにをどこまで学ぶか、学んだか、それをきめるのは子どもではなく教師です。自分ではよくわからないけど、試験の点数がいいから「頭がいい」のだと思い、数学の点数が高いから数学が「できる」とみなされる。教師が下す評価、それが「自己評価」となってしまうのです。

 自分が何者であるかを判断するのは他者。社会的に高い評価を得ているとみられる他者の評価であればいっそう好ましい。高い学歴や学校歴が求められる所以です。じつに奇怪な話であり、「新しい貧困」の病因がこんなところにもありそうです。苦労(苦学)しないで欲求(卒業)を満たしても、そこにはこころからの充足感はない。表面的には満たされているが、いつもどこかに不満が残る。

 このような状況を生みだしたのは一人の教師や一つの学校、さらには単一の社会や国家の意図によるものではない。それをはるかにこえた「近代産業経済」の規模の驚異的な拡大によってもたらされた事態だからこそ、状況は社会にとっても個人にとっても深刻だと思われるのです。社会・国家における「経済・物質」面での豊かさの追求が個人の成長にとって深甚な脅威となってしまっているのだと、ぼくはいつでも嘆きながら呻吟しながら、島の行く先には心を痛めていました。

 すべての物品が市場に集められます。極端なことをいえば、自分の住んでいる地域でとれた野菜や果物までもがいったんは大きな市場に運ばれ、そこから地域のスーパーや商店に配送されるのです。地産地消などということがいわれだしたのは近年の話ですが、それ以前は(それも想像できないくらい長い期間にわたって)、当たり前のこととして地域で生産されたものは地域で消費されていたのです。ぼくたちが摂食する食品類から季節感が失われましたが、その見返りにいつでもどこでも欲しいものが手に入る便利さを獲得したというわけです。いつでも「旬」というのは、どこにも「旬」がないことを意味します。

 市場にあまりにも依存するとどのような事態が生じるかという問題があります。代価さへ払えばなんでも手に入るというのは、自分で欲しいものを手に入れるために時間と工夫をまったく必要としないということです。自分の手足をつかわなくとも、つまり汗水たらすことなくある種の豊かさ(満足)を実感できます。しかし豊かであるにもかかわらず、どこかで満たされない感情もいだかされてしまいます。自力で行動しないで、想像力も創造力も用いないで、身の回りにたくさんの物品を取りそろえられるのがわたしたちの経験している「豊かさ」です。

 それはまた、市場にたよらなければ日常生活がなりたたないということをも示しています。品物に囲まれながら満たされない気分をぬぐえず、つねに無力感に襲われているということでもあるのです。「ゆたかさ」は「貧しさ」の別名ではないか、とぼくは思い続けてきました。その「貧しさ」から、ぼくの自由ではないのです。

 現代社会人をとらえているのは「新しい貧困」病だとイリイチはいいました。ぼくたちは市場に閉じこめられて生きるしかありません。満たされない気持ち、自分ではなにもできないという無力感、それは「あまりにも根が深く、まさにそのゆえに、それは容易に表現されえないのです」

 今春からの「コロナ禍」で、ぼくたちは「マスク」や「消毒液」、さらには「トイレットぺーパー」などまで「品不足」だと報道され、それを手に入れるために狂奔させられたのは、記憶に新しいところです。(付和雷同というのかね)市場(マーケット)の言いなりに、右に左にと振り子運動を余儀なくされていました。いまでも「真偽定かならぬ」情報に右往左往させられているのです。ぼくだけの感想ですが、今までに流されたコロナ感染問題に関する「広報・公報(中央・地方ともに)」には、いかにも嘘だ、眉唾だと思われるものがかなりありました。今もあります。そのためにかけがえのない「いのち」を失った人もいたといわなければなりません。一方からしか「情報」が流れてこないし、その真偽を自らが判断できないというのは、まことに不便であるし、危険でさえもあるのです。この問題は「コロナ問題」だけに限りません。

 イリイチ(1926~2002)がこのように指摘してから半世紀が過ぎました。経済の豊かさと精神の貧しさということならだれだって口にしますが、それがどんなにひとりひとりの存在の根っ子を腐らせているか、それを語る人はあまり多くはない。徐々にむしばまれているのです。それを止めるのは、なにかと「身を寄せすぎる」姿勢を正すことでしょう。自分のことは自分で、それを当たり前に実行するほかなさそうです。

 教育、それも学校教育が子どもの成長や発達にとって紛れもない危機となっている時代にぼくたちは生きているのです。その危機の度合いは年々強くなってくるのはなぜですか。自らが判断し、決断し実行する度合いが少なくなるのと反比例しています。この時代にあって、何かを指摘すれば、いつも同じ問題(課題)に逢着しています。それは仕方がないというのではなく、それは当然なのだというべきでしょう。手足を縛られていて「君は自由だ」をいわれても、それを実感できないというのは不幸そのものではないでしょうか。自分は何に縛られているのか。犬の首輪とリードは明らかに目に見え手で触れます。でも、ぼくたちの首輪やリードは姿を現さない。まずは、首輪を外すことでしょう。それを科しているのは「学校」かもしれないし「会社」かもしれませんね。現下の状況から、何かが生まれると期待するのです。

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 酒と薬で、マイルスに殴られた

Miles Davis (left) and John Coltrane are shown performing at the Olympia Theatre in Paris on March 21, 1960. Already a budding solo star, Coltrane never again toured as a sideman.(Photo by Jean-Pierre Leloir / Courtesy of Columbia Legacy)
(https://www.youtube.com/watch?v=8VE_dP90V84
Left to right: McCoy Tyner, Archie Shepp, John Coltrane and Bob Thiele, 10 December 1964. Photograph: Chuck Stewart

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 John William Coltrane(1926-1967)ジャズの演奏楽器で、ぼくはサックスが大好きです。「だれの演奏が?」と聞かれると、答えに窮します。奏者は綺羅星の如く、ですから。でも最近はコルトレーンに指を折る。その透明に研ぎ澄まされた奏法は、この年(古希をはるかに過ぎた)になると、いかにも愛おしいという気がするのです。遅すぎる活躍の時代と早すぎた死の訪れ(享年四十)。ぼくは(だけではないでしょう)、息づかいを聴くかのように、彼の演奏(シーツ・オブ・サウンド・Sheets of Sound)に魅かれています。 My Favorite Things. & A Love Supreme. どなたも一度は聞かれることをお勧めします。グレン・グールドと同じように、ぼくはコルトレーンが聞かれなくなる時が来ることを、今は少しばかり恐れています。死の前年に来日。大学生のぼくには敷居が高すぎた、入場料はいうまでもなく。「10年後、どんな人間に?」と尋ねられ、「聖者になりたい」と答えたという。 また「最も尊敬する音楽家は?」に対し、「オーネット・コールマン」といった。(コールマンは彼の四歳年下でした)来日した当時、ぼくは都はるみにイカレていました。無邪気・無残でしたね。(ジャズへの志向は、わが兄貴の影響が甚大でした)

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 新しい「貧困病」の処方箋は?

 《いまわれわれの目のまえでは、ふだんわれわれが使っていることばのなかにほとんど気づかないような変化が起こっています。つまり、諸々の活動を満足させることをかつて意味していた動詞に代わって、ただ受動的に消費すればいいようにお膳立てされたパッケージを意味する一連の名詞が用いられるようになっているということです。たとえば、「まなぶ」〔という動詞〕が「単位〔学歴、資格〕の取得」〔という名詞〕にとって代わられているように、です》(イリイチ「現代的意味での貧困」)

  この時代に猛威を振るっているのは、はたしてどんな「病気」なのでしょうか。おおよその症状をあげてみます。

一 自分で自分のことができない

二 市場に依存しなければ生きていけない

三 無自覚だから、病状に気づかない

四  患者の国籍・学歴・性別・年齢は不問

 この現代文明病とも称すべき疾病に「新しい貧困」という病名をつけて診断を下したのはイリイチという近代社会の「精神科医」でした。(彼は〇二年に亡くなりましたが、死因は「新しい貧困」病ではなかった)現代(文明)社会に生存している大半のひとびとは死に至る病にかかっています。「新しい貧困」という現代病と、「古い貧困」という慢性病に、です。しかし、新旧の「貧困」は根本のところで密接につながっているのす。

 自分のことが自分でできないという、現代の「無能力(貧困)」は、ぼくたちの生活のあらゆる面に浸透しています。いや、それはぼくたち自身を蝕んでいるといいたいほどです。卑近な例を出しましょう。二十四時間営業のコンビニエンスストアやファミリーレストランはいたるところに進出しています。自分で作らなくても、何個かのコインで食事をパックで手に入れられる。いってみれば、「生・老・病・死」のすべてがパック商品になっているのです。「万物のパッケージ化」時代の到来。

 なにごとも専門家(業者)に委ねて、自分(素人)はひたすら消費するだけという構図です。「作る喜び」を押しのけたのは消費しなければならぬという強いられた強迫観念です。「自分」を失うという場面があらゆる領域で生じているのです。「作る」という行為は「購入」という受動的な生活態度にその役割を奪われたといえます。自分の手で作り、自分の足で歩くという身体機能を奪われてしまったのです。それはかならず、意識の劣化や頽落をもたらす。

 しかし、このような無力感や貧しさはそれとしてはっきり自覚できないのがほとんどで、満たされているけれども、なにかもの足りないという不安・不満に駆られる。自分はなにがしたいのか、自分の望んでいるのはどんなことか、意識はいつでもモヤのなかに閉じこめられているので、自分の進むべき方向がみえないのです。ある日突然に意外なかたちで表出する行動によって、なにがしたかったか、したくなかったかが自他に明らかになるというわけです。この時代に続発している事件や事故がこのような状況を示しているといえそうです。そんな行き場のない事態に対して、イリイチは「新たな貧困」と名づけたのです。その傍らで、旧貧困はさまざまな症状の引き金にもなっています。

 なんでもないような指摘にみえますが、深いところでは個々人の成長が危機に直面している状況を告知している。動詞が消えて名詞、それも一連の普通名詞が幅を利かせる、それはわたしたちの生活や行動のいかなる変化を暗示・明示しているのか。 「教育」ということばには「教える」と「育てる」という二つの働き(動詞)がこめられています。しかし「教育」という語に代用されてしまえば、ほとんどのひとは「教育」とは「学校教育」のことであり、学校では専門家である教師から「教育を受ける」のが生徒の役割だとされてしまう。授業を受ける、講義を受けるという具合に、子どもの態度は「受動」をもって旨(第一)とするのが常識(センス)だとされてしまうのです。

 病院がたくさんあるということは、「病人(患者)」が多く生み出されるという意味であり、たくさんの学校を誇るというのは、自分で学ぶことを放棄した人間が五万といる社会であることを物語る。自分の脚で自分の頭で、と自立して生活することが途方もなく困難な時代をぼくたちは生きながらえているのです。(この項、つづく)

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 イリイチの指摘はすでに四半世紀か、それよりもはるか前の事態を指してのことでした。それ以降、事態はさらに進行してきたといえるでしょう。核家族化、少子化、高齢化、情報化などは、それぞれが分離しているように思えますが、じつは根は深いところでつながっています。そしてこの進行のベクトルを反転させるのはきわめて困難です。その理由にはいくつかの問題が指摘されそうですが、まず第一は「人の意識」です。一方向に誘導された「意識」はそれ以外の道を取ることを拒否するのでしょう。IT化、AI化とか情報化がどういうものかは深く考える必要もなく、ようするに「スマホ」を駆使する時代なんだというだけの話(ではない)。今大変な事態が生じているのですが、ぼくたちには無関係だとたかをくくっています。「個人」「私的領域(プライベート)」はかぎりなく狭小化され、消されようとしているのですが。

 短文、単語、写真などで言語(主張)の代用ができる交流の道具の氾濫は何を示しているか。簡潔、簡単がより価値を持たされた時代、それは誤解や行き違いを生み出すのが当然の時代であり、交流しない(できない)存在を多量に生産する社会の出現でもあるでしょう。それに「反対なんだ」というわけでもないけれど、ぼくはこのブログ(雑文と駄文の塊集)を始めておよそ四か月、原稿(400字)枚数でいうと千枚ほども書いたことになります。くだらない・つまらないことですね。もっと短く、それはぼくにこそ当てはまる。「推敲)なしの書下ろし、これからは時間をかけて「推敲」を重ねます。 

 これをもっとも望んでいたのは為政者でしょう。それにまとわりついている官僚や行政者、あるいは経済人たちでした。今この島で生じている幾多の問題を並べてみれば、事態は明らかになります。ものいわぬ「人民」を「全農の為政者」が好き放題にに操っている・支配している構図です。コロナ禍はこの間の事情をはしなくも白日の下にさらしています。「お上」が金を恵んでくれると、暢気に喜んでいる場合ではないのです。もとをただせば「税金」ですから、恩義を感じる必要はあろうはずもない。その人民のなけなしの「税金」を悪質連合どもが「私腹肥大化」の絶好の機会を「中抜き」「ピンハネ」に夢中なんです。いったい、これはいつから始められた「悪の連鎖」なのか。ぼくの簡単な感想を言えば、きっと「満州事変」以来のことです。(これは愚痴ではありません。いま米国で、一冊の「政権内幕暴露本」が話題になっています。それを読むまでもなく、「税金泥棒」の筆頭は米国政権だったのです。その悪権力に、島社会の中小権力は「おこぼれ」にあずかっただけです)

 いまこそ、この百年の「歴史」を知る必要があります。「日露戦争」後に、この島社会は坂道を転げ落ちてきたのです。いままだ、ぼくたちはコロナ禍の最中にいます。目に見えない、手でも触れられない「異物」(コロナウイルスの大きさは直径100ナノメートル(1nm=1mmの100万分の1)ほどとされる)にぼくたちは震撼させられています。これはさらに続くでしょう。ワクチンの開発が「恐怖」の終焉をもたらすかどうか、また新たなウイルスが発生するかもしれない(必ずある)。さらには「生物兵器」の名のもとに開発がさらに進められるでしょう。

 恐怖の種は尽きないのです。これを機に、歴史に学び、歴史を学ぶ。自らの生活を見つめ直すよすがにしたい。

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 みかんの花咲く丘

 すべての被爆者を冒涜し、広島を売り、日本を売る、安売りマーケットの店じまいです。「広島サミット」なる催しが終…

 三権分立して、互いに凭れあう

 以下の記事は旧聞(十年一昔の前)に属しますが、指摘されている内容はなお新鮮かつ重要であると思われますので、ここに掲載することにしました。

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 週のはじめに考える 腐敗を防ぐ市民の目

 市民の目が届かない権力は必ず腐敗します。主権者の「知る権利」に奉仕する自由なジャーナリズムは、民主社会の基盤であり腐敗防止に不可欠です。/「権力は腐敗する」と言ったのは十九世紀の歴史・哲学者であるJ・E・アクトンです。近代国家では、この「権力=腐敗」を前提に制度上の工夫をいろいろしてあります。/ 代表的な例が日本国憲法も採用している三権分立制です。立法、行政、司法という三つの権力がそれぞれ独立し、監視し合い、牽制(けんせい)し合って、相手の勝手な振る舞いを防ぐ仕組みです。

◆“暴走”は問題の矮小化

 それでも権力は腐敗します。国民の目が届きにくいところで、違法な、あるいは不当な権力行使が行われるようになります。/ 大阪地検の特捜部検事による証拠のフロッピーディスク(FD)改ざんを、単なる個人の暴走と見るのは問題の矮小(わいしょう)化でしょう。/ 上司は内部告発を無視して改ざんを隠ぺいした疑いがあります。容疑者に対する虚偽自白の強要、保存すべき取り調べメモの廃棄など、ほかにも不祥事が次々明るみに出ました。FD改ざんは検察組織の腐敗の象徴なのです。/ アクトンは冒頭の言葉に続けて「専制(絶対)権力は絶対的に腐敗する」と言い切りました。/専制権力は言い過ぎとしても、検察は強大な力を持っています。人の身柄を拘束でき、起訴・不起訴を決める権限をほぼ独占し、起訴相当の事件でも事情によっては起訴しないことができる「起訴便宜主義」も認められています。/ この力の大きさ、怖さを自覚しないでゆがんだ正義感に酔ったり功名心に駆られると、逮捕された検事の前田恒彦容疑者らのように、権限を恣意(しい)的に利用し違法行為をすることになりかねません。

◆“監視”で生まれる緊張

 検察は情報公開に極めて消極的で、検察の意に反する報道をした記者にしばしば「出入り禁止」と称して取材拒否します。/ 透明度が低く、内部の空気がよどんでいる組織は、必ずといっていいほど腐敗が起こるのです。/ それを未然に防ぐための最も有効な手段は、市民による監視を徹底することです。外部の風にあたり、監視されていると意識することで公権力側に緊張感が生まれ、腐敗防止に役立ちます。

 情報公開法を制定するなど市民を公権力の内部に立ち入りやすくする諸施策が、一九〇〇年代から大幅に進展しました。司法とその関連分野でもさまざまな改革が行われました。

 裁判所には裁判員制度が導入され、裁判官指名諮問委員会、家庭裁判所委員会など外部の声を生かす制度もできました。/ 刑務所には有識者が視察して意見を述べる刑事施設視察委員会が設けられました。警察の事務執行は有識者で構成する警察署協議会が監視するようになりました。/ しかし、検察に関しては、不起訴にした事件について検察審査会が「起訴相当」と二回議決すれば強制起訴、となったほかはめぼしい改革がありません。/ ほとんどの検察関係者は「公益の代表」たる立場を守って適正に職務を遂行していますし、検察の仕事は人権にかかわる事項が多いので微妙な要素もありますが、積み残された改革「検察の透明化」を実現しなければなりません。/ まず、最高検による改ざん事件の捜査、調査結果を第三者が検証するのは当然です。検察以外のさらなる透明性向上も必要です。国民の知る権利が実質化し、「権利としての監視」の目が統治機構の隅々に注がれてこそ主権者として公権力を正しくコントロールできるのです。

 情報公開制度の充実に劣らず重要なのは、国民から信頼される、健全で強力なジャーナリズムの存在です。/民主主義が定着し、国家、社会の運営に主権者の意思がきちんと反映するためには、権力を厳しくチェックし、判断材料を提供する自由な報道活動が必須です。

 「ジャーナリズムは第四権力」と言われることがあります。国民に対する四番目の権力という意味ではなく、三つの公権力から完全に独立し、国民のために三権と対峙(たいじ)する力という意味です。/ しかし、現状は時に権力追随と批判され、脱皮を迫られます。

◆“深層”に肉薄する勇気

 米連邦最高裁は「自由な言論に誤りはつきものである」として、報道が誤りを恐れ権力に対し萎縮(いしゅく)することを戒めました。正確性確保は当然として、深層に肉薄するジャーナリストの意欲と行動は安定した民主社会を築く礎です。/ 十五日からの新聞週間を前に、反省、自戒を込めて使命の重さをかみしめています。(東京新聞「社説」・10/10/10)

ほとんどの新聞・テレビは「電通」問題を、さもひどいという論調で報道している。でも、これは今に始まったことじゃないのは、誰よりも報道機関は先刻承知です。電通の正体は、報道各社が知悉していながら、これを人民に知らせてこなかった。現に起こっている「国税横取り(中抜き)」問題は戦前(満州事変からかもわからない)から続いてきた。電通百二十年の歴史は「報道と広告の独占史・戦闘史」でした。マスコミ(もその一味)は、まるで驚いたふりして、何を隠そうとしているのか。いまでも凄いことをやっています。税金の分捕り物語が書けます。里見甫という人物が鍵。

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  裁判所は最後の「人権の砦」であるといわれますけれども、その裁判がじゅうぶんに機能を発揮するようなものでなければ、「砦」はあえなく崩れ去ってしまいます。裁判員裁判で出された「判決」は最大限尊重されるとするのは最高裁でした。いうまでもなく「国民参加」という鳴り物入りで開始された新しい裁判制度ですから、その維持を図るためにも裁判員裁判参加の法廷がくだした判断(第一審)が最終判断だとはいわないまでも、尊重されるのは当然でしょう。(どのような裁判であれ、その判決は法と証拠に基づいたものならば、尊重されるのはいうまでもありません)

 しかし、それはあくまでも建前であり、事実(有罪か有罪でないか)をめぐって確実な判断がいつもできるとはかぎらない。裁判員裁判の「死刑判決」が二審で破棄されるという事態が続いています。このことは、裁判制度本来の趣旨からは妥当であるといえますが、裁判員裁判の筋からいえば、面倒な状況であると思わざるを得ません。そこにはいくつかの問題があると思われます。

  本来なら事件にならなければならない政治家の事案がいくつもスルーされてきました。検察機能そのものがマヒしてしまった状態だと思われます。司法にかかわる権力の乱用(起訴すべき事案を起訴しない、起訴はどうかという事案を起訴に)こどが問題視されている。

(また、政治家の選挙違反事件で、二人の政治家(夫婦)が逮捕された。6月18日)

 政治主導などというより、ごく少数の権力亡者悪官僚が政治・行政の府を牛耳っているという異様な事態が進行している最中に、コロナ禍が生じ、派生して幾多の問題が続出しているのです。国滅んで、孝子が出るはずもないではないか。国家の機能が壊れても構わないが、その先に待っているのが「万骨枯る」じゃどうしようもない。目も当てられません。いましばらくは苦衷の難儀がつづくことを覚悟しなければならない。ご破算で願いたいのは山々ですが、はて、いったい何を願うのでありましょうか。

 建前(立前)は三権分立です。分立が聴いて起きれる。根っこでつながっているんですね(下半身は一つ)。凭れあっている、馴れあっているんです。「建前」というのはまた、「口上」ということでもあるので、一種の「もの売りの口先三寸」でしかなかったんです。ジャーナリズムは「第四の権力」だなどと聞いて、呆れますな。日本にも「フォックス」はいたのです。

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