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民主主義という制度は、選挙という民主的な手続きによって、独裁者を生んでしまうおそれがあります。民主的に生まれた権力であっても、国民が作る憲法によって制限する。それが憲法の役割です。政治家の側が、選挙で多数を得たのだから白紙委任で勝手なことをしていい、などということにはなりません。/ 近代国家における憲法とは、国民が権力の側を縛るものです。権力の側が国民に行動や価値観を指示するものではありません。数年前に与野党の政治家たちが盛んに言っていた、憲法で国民に生き方を教えるとか、憲法にもっと国民の義務を書き込むべきだ、などというのはお門違いです。

今から120年も前、大日本帝国憲法の制定にかかわる政府の会議で、伊藤博文がこう語っています。/「そもそも憲法を設くる趣旨は、第一、君権を制限し、第二、臣民の権利を保全することにある」
憲法をつくるとはこういうことです。伊藤は、いわば模範解答を残した。憲法によって国家権力を縛るという「立憲主義」の考え方を理解していたことがわかります。/ 明治から昭和のはじめにかけて、立憲改進党とか立憲政友会のように「立憲」の名を冠した政党がいくつもありました。それほどなじみのある言葉だったのです。では、現代の政治家たちはどうでしょうか。
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私が生まれ育った東北は、戦前、貧しさに耐えられずに娘を売るなどということがずいぶんありました。一方、当時の東京の銀座や浅草ではモダンな消費文化が大きな花を咲かせていた。戦争も震災も、大きな格差を抱えた中での惨禍という意味で、私には重なって映ります。 3.11の天災・人災と生活格差が覆ういま、11条の「基本的人権」や13条の「幸福追求の権利」、そして25条の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」といった日本国憲法が持っている理念を、私たち戦時世代は次世代に引き継がなければいけません。冒頭で「戦後の出発点に立ち返って考える時期」とお話ししたのは、そういうことです。/ 停滞する政治や社会を、憲法を改正することで変えよう、という声が聞こえてきます。/ しかし、例えば衆参両院の議論がまとまらないのは、憲法が定める二院制が悪いからでしようか。決められない首相は、公選制になったら正しく決断できるようになるでしょうか。憲法に「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」があるのだから、脱原発で電力が十分に供給されないのはけしからん、とでも言うのでしょうか。あの小泉純一郎首相でさえ、イラクヘの自衛隊派遣の際「参戦」とは言えなかった。本当に9条は空洞化したのでしょうか。
自分たちで新しい憲法を書きたい、作りたいという若い人たちがいるそうですね。そのこと自体は健全な考え方だと思います。議論することには反対しません。
ただ、お願いしたいのは、その際、日本の近現代史、さらには世界史まで視野を広げてほしいということです。少なぐとも幕末まではさかのぼって、自分たちの社会を作ってきた先人たちが何を考え、どういう犠牲を払って何を達成し、何を達成できなかったのか。どれを継承していくか、捨てるものがあるとしたら何か。過去の蓄積の上に現在があることを、忘れないでください。

世界には、日本国憲法よりはるかに古い憲法を今も使っている国があります。アメリカでは「建国の父」たちの権威は絶対で、1788年に成立した合衆国憲法、あるいは1776年の独立宣言が現役です。フランスでは1789年の人権宣言が現行法なのです。彼らには、こうしたものを度外視して憲法草案をつくるという発想はありません。 憲法という基本法を作り直すということは、自分たちの歴史に向き合うことでもあります。論議をするのなら、そのことは十分に意識してほしいと思いますね。

「決められない政治」にいらだつあまり、大きな物差しでこの社会の将来を考えることを、忘れないでください。(聞き手:編集委員・刀祢館正明、秋山惣一郎)(朝日新聞・12/05/02)
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前回の最後の部分で、「あたらしい憲法のはなし」の憲法観でぼくには十分であるといいました。
「あたらしい憲法のはなし」
《 みなさん、新しい憲法ができました。そうして昭和二十二年五月三日から、私たち日本国民は、この憲法を守ってゆくことになりました。このあたらしい憲法をこしらえるために、たくさんの人々が、たいへんな苦心をなさいました。ところでみなさんは、憲法というものはどんなものかごぞんじですか。じぶんの身にかかわりのないことのようにおもっている人はないでしょうか。もしそうならば、それは大きなまちがいです。》(文部省著作物『あたらしい憲法のはなし』1947年)

これは新制中学校1年生の社会科教科書として作成され、52年まで使用されたのでした。教科としての社会科は戦後に新設されたものです。45年12月に「国史」「地理」がGHQの命令によって廃止され、その代わりとして教育課程に導入されたのです。そして社会科最初の教科書が『あたらしい憲法のはなし』だったのです。
民主主義とは
《今度の憲法のコンポンとなっている考えの第一は民主主義です。ところで民主主義とはいったいどういうことでしょう。(中略)民主主義とは、国民全ぜんたいで、国を治めてゆくことです。みんなの意見で物事をきめてゆくのが、いちばんまちがいがすくないのです。だから民主主義で国を治めてゆけば、みなさんは幸福になり、また国も栄えてゆくでしょう》
戦争の放棄
《…戦争は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戦争をしかけた国には、大きな責任があるといわなければなりません。(中略)

そこでこんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争するためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これは戦力の放棄といいます。「放棄」とは「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。
もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。(中略)これを戦争の放棄というのです 》(以下略)
(青空文庫・http://www.aozora.gr.jp/cards/001128/files/43037_15804.html )
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くりかえし、この教科書をぼくは吟味してきましたし、いまもまた読み返しています。歴を学ぶ、歴史に学ぶ、ということを体験していかなければと痛感しています。歴史を改ざん(修正)するというのは、歴史を否定する、無視することです。そうすれば、何のこだわりも悩みもなく、好き放題できそうに思われてくるのでしょう。この憲法がつくられた経緯、その憲法のもとに歩いてきた七十年。ある政治学者が「日本は『憲法』を負け取った」と言われたのを鮮明に覚えています。三十年近く前、戦後五十年に当たる頃でした。押し付けられたのではなく、負け取ったとは「相撲に負けて、勝ちを拾った」というのならば、なんだかせこい話ですけれども、あくまでも「負け取った」という一貫した姿勢を貫くことは間違いではないと、ぼくは考えてきました。

いったい、どこと「戦争」するための「改正」亡者なんでしょうか。まさか、米国とでは。「積極的平和主義」とかなんとか、意味不明の強弁をいつまで続けるつもりでしょうか。「自分の手で、改正を」はどこから見ても無知の印です。蒙昧といってもいいですね。無残です。
「あたらしい憲法のはなし」(官製憲法観)をチャラにして、「私自身の手で(改正を)成し遂げていく」(というのは、あからさまな憲法違反だ)という「天に唾する仕業」を果たすために邁進するのかな。仮にそうなったら、またまた「墨塗り」を行わねばならないね。「五輪開催」のために、現下のコロナ禍も「アンダーコントロール」と言い募るのだろうか。嘘は嘘を呼ぶとでもいうのですか。(ホントはこんな問題に触れるのは「虫唾」が走るんですが。以後は触れないように我慢します。できるかどうか)
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