楝散る 川辺の宿の 門遠く

うつ‐ぎ【空木/×卯木】 =ユキノシタ科の落葉低木。山野に自生。幹の内部は中空で、よく分枝する。葉は卵形でとがり、縁に細かいぎざぎざがある。初夏、白い5弁花が群れ咲く。生け垣にしたり、木釘 (きくぎ) や楊枝 (ようじ) を作る。うのはな。かきみぐさ。(デジタル大辞泉)
佐作信綱作詞 小山作之助作曲(明治二十九年新編教育唱歌集)

 夏は来ぬ


卯(う)の花の、匂う垣根に
時鳥(ほととぎす)、早も来鳴きて
忍音(しのびね)もらす、夏は来ぬ
 
さみだれの、そそぐ山田に
早乙女(さおとめ)が、裳裾(もすそ)ぬらして
玉苗(たまなえ)植うる、夏は来ぬ
 
橘(たちばな)の、薫るのきばの
窓近く、蛍飛びかい
おこたり諌(いさ)むる、夏は来ぬ
 
楝(おうち)ちる、川べの宿の
門(かど)遠く、水鶏(くいな)声して
夕月すずしき、夏は来ぬ
 
五月(さつき)やみ、蛍飛びかい
水鶏(くいな)鳴き、卯の花咲きて
早苗(さなえ)植えわたす、夏は来ぬ

 この唱歌が出版されたのは明治二十九年五月。ギリシアで第一回近代オリンピックが開かれました(四月)。参加者は二百人余。今日の商売五輪とは「隔世の感」ですね。六月には三陸大津波が発生。死者三万余人とされます。痛感するのは、いつの世も災難や災害が途切れなく襲来しているさまです。百年余前も、まったく無防備だったというか、備えはあっても憂いもまたなくならないという、人の世の無常を痛感します。そんなことは長明さんが遥か悠久の昔に明示してくれているところではあったのです。

 この唱歌の歌詞を、ぼくはくり返し読んだものです。いまでは想像もつかない「夏の景色」が見事に謳いこまれているからです。今日ではもはや見られなくなった景物や動植物もありそうです。ようするに、夏は、あらゆるものを含めた「まるごとの夏」だったという思いを強くいだきます。卯の花や時鳥はまだしも、早乙女*(左写真)、玉苗(同)、橘(柑橘類の古名)(上部写真左)、楝(右上の写真)、水鶏(上部写真の右)は説明されなけれな分からなくなりました。「春の小川」が流れていたのは渋谷区の某所だったというのに等しく、土地も自然環境も破壊に破壊をくわえられて「近代化」とは、まことに野蛮な所業の残滓ではあったというべきです。

*二番の「早乙女」は変更されたもので、原詞は「賤の女」(しずのめ)でした。「しず〔しづ〕【×賤】[名]卑しいこと。身分の低い者。「貴人 (あてびと) 、―が身何の変わりたる所あるべき」〈藤村・春〉[代]一人称の人代名詞。拙者。わたし。江戸時代に幇間 (ほうかん) などが用いた。「君さへ合点なさるれば、―が聟になるぢゃげな」〈浄・卯月の紅葉〉(デジタル大辞泉)

 ここでは「卑しい、身分の低いもの」の意味で用いられたと考えられます。だれも「気づかない」ままで唱歌として人口に膾炙していました。「偏見と差別」はこうして根付いていくのです。個人の問題であると同時に、集団の「過ち」でもあるでしょう。

(このように、元の詞が変更された唱歌はとても多くあります。いずれは、これをテーマで記述してみようと考えていました。「春の小川」「港」「汽車」「蛍の光」ほか、数えられないほどあります。変更の理由もさまざまでした)

 この島社会の「偏見と差別」意識(風潮)が、学校音楽にも導入されていたという時代相が読み取れます。今少し、この問題をていねいにたどらなければならないと考えております。

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 文明化は野蛮化を意味しているんじゃないかとさえ言いたくなります。文化は自然を根拠にしています、その文化を遅れたもの、未開なものと野蛮視した「文明」こそ野蛮であったというのは、どうしたことだったか。豪雨も暴風も止められないのは自然の摂理です。

1800年代と2000年代の東京湾の比較

 人命もまた、近代化や文明化という残虐野蛮行為の絶えざる犠牲に供されてきているのです。

 「夏は来ぬ(夏は来た)」、けれども往時の風情も情緒もすっかり滅却してしまい、あるのは狂気の熱波と暴風雨ばかりです。これは紛れもない人為の心無い業の惨たらしい結果でもあります。これを書いている今(6月28日午前6時ころ)豪雨が屋根といわず土といわず、たたきつけるが如くに空から落下してきています。今春生まれたばかりの猫四兄弟姉妹は、脅威を感じて泣きじゃくっています、親もつられて大泣きです。ぼくは手当てにずぶ濡れ、かみさんはどこかへ泊り。

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投稿者:

dogen3

 「名もなく貧しく美しく」、ぼくにとって、それは生きる姿勢(流儀)の理想型ではありますが、現実には「名もなく貧しく醜悪に」、せいぜいがそんなところでしたね。「美しく」どころではなかったけれど、「名もなく貧しく」は断固として一貫してきたと思う。とても自慢できませんがね。