教師は芸術家である、と。

 教育実践とは何か

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 私は、実践ということは、いつでも事実を動かすことだと考えています。自分の目の前にある事実を、一つの方法でだめならば、他の方法で動かしてみる。そのようにして子どもがひとつの高い地点にいくと、いままで天井だった教育の可能性が、それをつき抜けて屋根の上まで遠のいていってしまう。そこに新しく生じた子どもの姿から、さらに高い子どもの可能性とか、人間像とかいうものが、私にみえてくるようになる。そういうことから、教育の可能性とか教育への願いとかが、つぎつぎと高いものになり、また事実が動き、新しい姿の子どもが出るにつれて、そのなかにある法則的なものをつかみ、つぎのより高い実践への噴射力としていったと思うのです。(中略)

 平面的に、機械的、形式的に一時間の授業が進行してくだけのものは、展開といえない。それは子どもを殺してしまっているし、教師自身も自分の持っている固定したものだけを、一方的に注入しているだけだから進歩しない。

 展開というのはもっと生きた力動的なものであり、それは一人の教師と一人の子どものあいだでできるのではなく、一人の教師と三十人とか四十人の子どもと相互の関係をもって、教材を使って、教師と教材、教師と子ども、子どもと教材、子どもと子どもとのあいだに、複雑な衝突・葛藤を起こさせさながら授業を進めていきます。

 そういう格闘をしていくと、教師がそれまで予想もしていなかったような論理とか、不完全ではあるが論理的になる要素を持っているものとかが、子どものなかから出てきます。そのときに教師は困って何もいえなくなり、自分の我なり固定した考えなりを押しつけて、これが世のなか通用の正しいことなんだ、というのではなくて、どうたたいら相手が納得し新しいものをつくり出していくだろうかとか、さまざまに考えいろいろの方法をとってみなくてはならない。

 それを克服したときに、非論理の子どもは、なるほど私はちがっていたんだとか、こういう意味でちがっていたんだと考え、クラス全体がパッと明るくなるわけです。そういうことをくり返す ことで、子どもが豊かになったり、強靭になったり、教師も人間として変わっていったりするんだといっているんです。そうすると、展開というのは、Aのほうへいこうと思っていたのが、パーッとそれてBという方向へいくこともあるし、Cのほうへいってしまうこともある。いろいろ動いていく。だから展開のある授業というのは、充実味もあるしダイナミックになる。それだけ授業の展開のすじみちをはっきりと記憶することもできる。(斎藤喜博「教育実践とは何か」斎藤喜博全集別巻2。国土社刊、1971年)

  教師の仕事の最重要部は授業です。授業がなりたたなければ話にならない。もちろん、いい授業とはさまざまな要素から生みだされるのだから、これぞ授業という定番はなさそうです。そのつど、心を新たにして授業を作りだしていくほかありません。「教える―教えられる」という決まりきった関係から自由になる、そこからしか授業の可能性は生まれそうにありません。斎藤さんはよく、「授業を組織する」といいました。あるいは「授業の成立」とも言われたりしました。それはどういうことだったか。

 斎藤さんの授業(教授学)論、教材研究論に耳をかたむけてください。

《 教材研究というと、その文章を教師がわかるようにするとか、算数の問題がとけるようにするとかだと考えている向きもあるが、私の学校ではそういうものを教材研究とは いっていない。文章が解釈できたり、算数の答えが出せたりすることは、教師として当然なことなのであり、それは教材研究以前の問題である。

 そういう教師は問題外なのだが、ほんとうによい授業をやろうとするものは、一月に一度でもよいから、紙の上で生きてうごいていくような、創作的な指導案を書くような努力をしなければいけないのだと思っている。そして、固定した指導案しか書けない教師、固定した授業しかできない教師から、早く抜け出さなくてはならないのだと思っている。

 指導案が創作になり、授業が創作と同じようになったとき、「教師は芸術家である」ということが、はっきりいえるのだと私は思う 》(斎藤喜博『授業入門』)

●斎藤喜博=教育研究家。群馬県佐波(さわ)郡芝根村(現、玉村町)に生まれる。1930年(昭和5)群馬県師範学校卒業。長く小学校教員を務め、1952年(昭和27)佐波郡島村小学校長、1964年境小学校長となる。また戦後一時期、教員組合役員としても活躍。民主主義教育のあり方を授業実践のなかで厳しく追究し、民間教育運動や教授学研究に大きな影響を与えた。主著に『未来につながる学力』(1957)、『授業入門』(1960)がある。[三原芳一]『『斎藤喜博全集』(第1期全18巻・1969~1971、第2期全12巻・1983、1984・国土社)』(大辞林第三版の解説)

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 「教材研究」ってのは、まあ芝居でいえば本読みですね。白紙の状態で台本に当たり、読みを重ねていくうちに、その役のイメージを深く確かなものにしていく。そして読み合わせで、イメージの修正や強化などを施す。もちろん、それ以前に教師は教室という劇場で行われる「芝居(授業)」の「台本」を仕上げなければならない。

 教師のばあい、その表面の形式は「一人芝居」だけれど、実体はけっしてそうじゃない。それは「教材研究」といわれる作業を行っている時も変わらないことです。題材や単元を前にして、さてこれをどのように料理するか、客を思い描かないで包丁をにぎる板前を想像することはできないでしょう。教師もその意味では、立派かどうかはともかく、板前であり、役者でもあるのですよ。

 でも近年では、客がだれであるかに心を配らないで、弁当やソバなどをパックにして売っている店もあるように、まただれが作ったかを気にしないでそれを買う客がいるというように、万事がお手軽で無責任な商売を流行らせています。教師の世界もご同様といえば、腹を立てる向きもあるでしょうし、またそういう人(腹を立てる人)がたくさんいてほしいですね。客の素性を知らないで、ものが売れればそれでよしというのが商売なら、さていかにもお気楽ですねと、ぼくは憎まれ口を利きたくなります。(一回限りの講演が大流行りですが、なんともつまらないことです) 

 教材研究以前の問題をさも「教材研究」だと受けとめている人も少なからずいます。話すことを調べる、調べたことを話す、こんなのが教材研究であり授業であるはずがありませんね。先ず「教材」ですが、教科書はそれだけでは教材にはなりませんね。それをいっしょに学習する子どもたち向けに作り上げる(料理する)作業こそが、教材化の第一歩です。市場から買ってきた鰹を皿にのせて「召し上がれ」はないでしょう。刺身にするのかどうか、手を入れる「料理する」仕事を抜きにして、なにが魚屋かと、言いたくなるのは当然です。

 「教師は芸術家である」と斎藤さんは言っておられます。受け止め方はさまざまでも、その心意気は「芸術家」であってほしいと、ぼくも願うばかりです。「作品」はまた別個のいのちを持って生きていきます。でも、考えてみれば、斎藤喜博さんはとんでもないことを言っていませんか。芸術家だなんて、そんなことあるかよと、たまげる人がたくさんいると思う。当然ですね、偏差値や学力に血道を挙げているのが関の山なんだから。

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。