
転ばぬ先の杖、などといいます。「前もって用心していれば失敗することはないというたとえ」(大辞林)なんと用心がいいのでしょう。おそらくそんな意味では使われなかったはずです。人間は自分の足で歩きたい。だれかに頼りたくないのです。それはどんなに小さな子どもでも同じです。転ばないように手を添えると、子どもは自尊心を傷つけられたと受けとる。自分から杖をもとうとするのではなく、横から親や大人が、無理にももたせようとするのです。おそらく、節介をいましめた俚諺(ことわざ)だったとわたしには理解されます。

表彰式の国旗掲揚で敬礼するヒトラー(中央)。スタンドの観衆も全員が立ち上がりナチス式の敬礼をしている=ベルリンのオリンピックスタジアムで1936(昭和11)年8月、高田正雄本社(毎日新聞)特派員撮影
まちがえない、失敗しないように正解をあたえる。もらった側は、それを記憶するだけが求められる。それも試験が済むまでの間です。「与えられる不幸」というものを少しは考えたい。与えられることになれれば、かならず不満がでてきます。もらう一方だから、たまらない。自分でなにかしたいのに、させてもらえない不満です。自分で、自分の頭で考え、判断することを放棄してしまえば、それはひとりの人間であることのかなり重要な部分を失ってしまうことになります。「教える」は「与える」と同義で、それが教師の大事な仕事になっているところに子どもの不幸があるのではないでしょうか。もちろん、それは教師の不幸でもあるのですが。

《 感じることのほうが、学ぶことの本来の領域であって、ことばにして話すとか、道徳的なことを学校の授業で学ぶということは、学ぶということのほんの一部であって、そういうことは、じつは身につかない学び方じゃないのかな。それは、学校を終えれば終わっちゃうことでしょう。そうじゃない? 感じ方って自然に身につく。こちらのほうが、いくらか本格的な教育ってことじゃないのかな 》(鶴見俊輔)

「感じる」ことに直結していて、しかもその人の意志(意欲の存在)を証明するものとして「考える」ちからがある。ここで、<考える>というのは、<疑う>ということです。それはまた、<自由>ということにもなる。ぼくがいつも強く願ったのは、自分にも自由(考え・疑う)の精神があるということをそれぞれの人に実感してもらいたいことでした。私たちは不自由をかこっているにもかかわらず、その自覚がはなはだ乏しいと思われるからです。まるで、鎖につながれているのに、自分は鎖の長さの分だけ自由だと信じている犬のようではありませんか。鎖が長ければ、それだけ自由だ、そう信じているのは、犬ではなく人間の方かもしれないのに。
<自由>って、不安であり孤独であるということでもあります。だから、そこから逃げ出してしまうことになんの不思議があるものかというわけでしょう。その反対に、自分は確信を得たと思ったとたんに、そこで崩れてしまう。これしかない、と決めこんだ瞬間、その足は地面を離れてしまう。あるいは足下をすくわれるのです。徒党を組むのも不安からの逃げです。宗教集団にはいるのも安心感を得たいからです。最後は、もっとも力のある者への帰依です。

難しいですね。自由でありたい、けれど自由は「寄る辺ない」、それは不安そのものでもあるのです。その不安から逃げ出したいという人は、ぼくたちの想像を超えてはるかに多いのではないでしょうか。若いころから熟読してきた何冊かの本の一冊に『自由からの逃走』があります。著者はエーリッヒ・フロムでした。自由という不安に襲われて、人々は雪崩を打って「権力」(教会も含まれる)にすり寄りました。これはドイツだけのことではなかった。
*エーリッヒ・フロム=1900.3.23 – 1980.3.18 米国の精神分析学者。 元・ニューヨーク大学教授。 フランクフルト生まれ。精神分析の中での社会的要因を強調し、新フロイト主義の指導的役割を担ったユダヤ系精神分析学者。1930年より3年間フランクフルト社会学研究所に勤務し、その後コロンビア大学、ベニントン大学、’51年からメキシコ国立大学で教壇に立つ。’62年にはニューヨーク大学教授となる。「自由からの逃走」(’41年)や「正気の社会」(’55年)などの著書がある。(出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」)
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この島では、ひとりの首班による政権が七年余もつづいています。驚くべき事態ですが、いったい何が行われて来たのでしょうか。余人をもって代えがたい人物だと衆目が一致したからの結果だとはとても思えない。「時宜を得る」という言葉がありますが、ぼくはそれにあたると考えてきました。どんなに無能であっても、取り巻き(政官財)が「無能者」を祭りあげ、そいつに「ものを言わせる儀式(腹話術)」(その舞台が国会でした)を期待通りに進めてきたのでした。その証拠に、何の成果らしきものは皆無だし、道義の退廃には顕著なものがあったにもかかわらず、「傀儡」は気分をよくして、される(担がれる)がままに、でたらめのかぎりをつくしていたのです。時宜を得当た」のは彼らであって、ぼく(たち)ではなかったのはいうまでもありません。
なぜこんなに続いたか、それにははっきりとした理由や背景がありました。(詳細は別の機会に譲る)(表向きの)権力者の条件は「無知・無能」だけ。それをいいことに取り巻きは甘い汁やおいしい話を堪能してきたのです。

前回の都議選ではたった一回の街頭演説(秋葉原)で、「安倍辞めろ」コールを浴びせられ、「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と絶叫した安倍首相(写真:日刊現代/アフロ)(17/07/02]
権力を行使し、暴力を使って「政権維持」を計ったのではない。それどころか、虚偽違法行為、(数を頼んだ)強硬政権維持の連続。くわえて数次の国政選挙によって「支持された結果」でした。民意とは何か、それはどこにあるのか。多数決とは?小選挙区制とは?野党は与党では?(幸いにして、「五輪」は延期(というより中止)になりました。かりに「コロナ禍」がなければ、ベルリン五輪と重なる、まるで恐ろしくも悪い冗談でした。これからも予断は許されませんが。(折悪しくか、こういう不謹慎な政情が続くのは、この小さな島だけの問題ではありません)
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