死の島に向かっている

独バイエル、ラウンドアップ訴訟で和解金1兆円超の支払いに合意

2020年6月25日 14:47 発信地:フランクフルト/ドイツ

米カリフォルニア州の小売店に並ぶ農薬大手モンサントの除草剤「ラウンドアップ」。(2018年6月19日撮影)。(c)AFP PHOTO / Robyn Beck
ドイツ西部ボンで製薬大手バイエルの年次総会が行われる中、会場の外で抗議活動を行う人々(2019年4月26日撮影)。(c)INA FASSBENDER / AFP
【6月25日 AFP】ドイツ製薬大手バイエル(Bayer)は24日、除草剤「ラウンドアップ(Roundup)」の発がん性をめぐって米国で起こされた訴訟の大半について、計100億ドル(約1兆円)超の和解金を支払って決着させることで合意したと発表した。
 
 バイエルは、ラウンドアップの製造元である米モンサント(Monsanto)を2018年に630億ドル (約6兆7000億円)で買収したが、この除草剤のせいでがんを発病したと訴える訴訟が相次ぎ、大きな頭痛の種となっていた。
 バイエルのベルナー・バウマン(Werner Baumann)最高経営責任者(CEO)は、「長期にわたる混迷に終止符を打つため、和解はバイエルにとって適切なタイミングでの適切な行動だ」と説明した。
 
 バイエルはまた、ラウンドアップ以外の複数の製品をめぐる法廷闘争についても、数億円規模の和解金で決着をつけることで合意したとも発表した。/ 突然の発表を受け、バイエルの株価は時間外取引で6%近く値上がりした。/ バイエルによると、今回のラウンドアップ訴訟の和解により、約12万5000件の争訟の75%が決着する。
 
 ただ、学校の校庭を管理していたドウェイン・ジョンソン(Dewayne Johnson)さんがラウンドアップにより末期がんになったと訴えて7850万ドル(約84億万円)の損害賠償命令がバイエルに下された裁判など、同社が上訴中の訴訟3件は今回の和解に含まれていないという。(c)AFP/Michelle FITZPATRICK

 ずいぶん前から、ぼくはこの「除草剤」に関しては危険であるといい続けてきましたが、大半のホームセンターでは聞く耳を持っていなかった。ぼくは年中、草取りに追われています(そのときは「草刈正雄」になります)。だが、除草剤はほとんど使わない。理由は簡単、草が枯れ死するというのは、毒性があるという意味です。草を殺すものは、いつかは人を殺す。アメリカで無用になった(使い物にならなくなった)戦争武器を大量に日本は買わされている(トランプは「あべを脅せば、いくらでも買う」と蔑みの調子で言っていたと、ボルトン語録で)。この発がん性物質を含んだ「グリホサート」で作られている「ラウンドアップ」も同様で、日本を武器や毒薬の放棄(埋め立て)場としか見ていないし、その処理係が塵総理だというわけ。PMは国会議員夫婦ともども「jail」へ直行ですな。(この島は世界中から「笑いもの」ではなく、地球を壊す「危険な島」とされているんです)(ぼくは、ホームセンターでは危険人物視されています。営業妨害だ、とも。やがて裁判を起こすかも、実害は避けられているけれども)(上の新聞記事は日刊ゲンダイ Digital版・2019/5/22)

「ラウンドアップが世界中で禁止され閉め出されるなかで、唯一日本政府がモンサント(現バイエル)の救世主となって一手に引き受ける段取りをとり、日本市場になだれをうって持ち込まれている。国民の健康や生命を危険にさらし、子子孫孫の繁栄にもかかわる国益をモンサント(同上)という一私企業に売り飛ばしていることを暴露している。」(山口・長周新聞・2019年5月23日)

 教師になる、一人前になる

 私の先生 背中押す「できるよ」の魔法…岡村孝子さん  シンガー・ソングライター

 人見知りで、いつも父の背中に隠れているような子どもでした。そんな私に、人前に出るきっかけを与えてくれたのが、愛知県岡崎市立矢作西小学校6年の時の担任だった筒井博善先生(故人)。当時50歳代後半で、一人ひとりの児童によく目配りしてくださる先生でした。

 新学年が始まって間もない音楽の授業。ピアノが苦手な先生は、「代わりに弾いてくれないか」と私を指名しました。「できません」と何度も断ったのに、先生は「絶対にできるから、やってみなさい」と励ましてくれました。両親から音楽の先生を目指していることを聞き、引っ込み思案な私に活躍の場を与えてくれたのでしょう。

 学芸会でも、準主役のお姫様の役をくださいました。その時も「できるよ」と背中を押してくれました。とても恥ずかしかったけれども、大勢の前で演じる喜びも味わいました。

 先生が体調を崩して2~3週間入院したことがありました。退院して登校した日の朝の光景が、今も忘れられません。職員室に駆けつけ、窓の前にひしめき合いながらクラス全員で先生の姿を探しました。振り向いた先生が笑いかけてくれた時、涙が出るほどうれしかったのを覚えています。

 それまでは「どうせダメだから」とあきらめがちだったのに、先生に「できるよ」と言われると、「ひょっとしてできるかも」と自信が湧いてくる。私にとって「魔法の言葉」でした。先生に出会わなければ、人前で自分の音楽を聴いてもらうシンガー・ソングライターを目指すこともなかったかもしれません。(聞き手・保井隆之)

プロフィール  おかむら・たかこ 1962年、愛知県岡崎市生まれ。82年に女性デュオ「あみん」として「待つわ」でデビュー。85年からソロ活動を開始。「夢をあきらめないで」などヒット曲多数。7月16日に東京・中野サンプラザホールでコンサートを開く。(読売新聞・13/07/01)

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 学校と私 : 格差拡大に怒り覚え−−NPO法人「さいたまユースサポートネット」代表理事・青砥恭さん

 35歳で教員になりました。大学を出て法学研究室に入所した後も、研究者として哲学を勉強するか、法律の実務家(じつむか)を目指すかで迷っていました。娘が生まれ、パートナーが教員だったこともあり、研究活動を継続できる高校教員になることを目指しました。教員免許取得のため通信教育を受講しながら、埼玉県の採用試験に合格。当時としては年齢制限ぎりぎりでした。

 教員になるまでは、研究室生活の合間に、東京の小学校で宿直をする仕事をしていました。職場の仲間は、警備員、校務員、給食調理員という現業の方々でした。シングルマザーが多く、女性が一人で子育てすることの大変さを知りました。この数年間が私の社会認識を育ててくれた時代で、人生の転機(てんき)だったと思います。

 教員生活が始まってから部活動でラグビーをしたり、生徒とキャンプに行ったりしましたが、楽しい思い出ばかりではありませんでした。

 二つ目に勤務した学校で「退学決議(けつぎ)事件」が起きました。クラスで一番元気でリーダーだった生徒に対し、ホームルームの時間に「退学」と言い出した生徒がいて、あっという間に「賛成」と決議されたような形になりました。他の生徒に使い走りをさせているような「強い生徒」だったので、一部の生徒のうっぷん晴らしだったように思います。ところが、この「退学」と言われた生徒が新聞社に連絡して報道され、私は「いじめ」を放置(ほうち)した教員として、つらい時期を過ごしました。

 最近、このクラスの卒業生が私のNPOのボランティアとして参加し「あの頃、先生は今と同じように、生徒に向き合っていました」と話してくれました。生涯で最もうれしい言葉です。

 その事件があった頃、中退する生徒や学力の低い生徒が多い「教育困難校」に、貧困層の子供が多いという話を友人の教員から聞きました。貧困や格差を学校と教育が解決するどころか、一層拡大させている理不尽(りふじん)さと不公正さに怒りを覚え、その後の子供の貧困研究になったと思います。

 ただ、そうであっても学校は子供が学び、仲間を作る本来的な居場所です。そこを忘れてはいけません。【聞き手・木村健二】

■人物略歴 1948年、松江市生まれ。元埼玉県立高教諭。居場所のない若者、生活保護受給世帯の子供の支援に取り組む。著書に「ドキュメント高校中退」など。(毎日新聞・13/05/20)

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 例によって旧聞を二本。はじめは子どもの側からのもの。岡村孝子さん。「あみん」時代のものはよく聴いていました。『待つわ』はつねにぼくの中に流れていました。(いつまでも待つわ)いろいろな経験を経て、活動を再開。病魔に襲われたと知りましたが、回復されたかどうか。この記事の「筒井先生」、きっと教師はだれかに(自分は知らないかもしれませんが)影響(良悪で)を与えているのですね。「誰かの教師に、だれもがなる」といったのはニーチェ。反面教師という言葉の存在をそれは教えてくれます。ぼくには「いい影響を与えてくれた教師」はいなかったが、反面教師は五万といました。(原因はぼくの性悪によるところは大です)岡村さんのように、長く記憶と胸中にとどめてもらえるなどというのは「教師名利」に尽きるのでしょう。大声を出さないで、静かに子どもに何かを残す、いいですね。

 青砥さん。彼の場合、むしろ「生徒」に教えられ、育てられたというのかもしれません。このように、生徒を見ることができるのもまた、教師の必須の資質でしょうか。教師にとって学校(教室その他の場所)はかけがえのない「現場」です。建築現場や臨床の現場などとおなじように、そこから人の幸福も不幸も生まれるのですし、そこからしか生まれない。現場を大事にするというのは、どんな意味でしょうか。青砥さんの経験が如実に示しています。今回の「コロナ禍」に遭遇して、「子どもの貧困」がさらに白日の下にさらされました。政治や行政が目をふさいでいる間に、事態はさらに悪化の一途をたどっているといわざるを得ません。一人の教師にできることは限られています。ではどうするか。

 青砥さんが自らの活動を以て示しておられます。

 採用試験に合格し、教師生活に入る、それを多くの人は「教師になる」といいます。それで間違いはないのですが、「大工になる」というのも、恰好(上辺)を取り繕い、必要な道具を持つだけではだれにも認められないように、上手に「住める家」を建てて初めて、一人前の大工として評価されるのです。その伝でいうと、「一人前の教師になる」のはいつか。引用で示したお二人の経験が明らかにしてくれていると、ぼくには思われるのです。毎日が修行ですね。まるで雲水の如し。

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