愚痴じゃなけれど 世が世であれば

大利根月夜(昭和十四年) 【作詞】藤田 まさと 【作曲】長津 義司 (唄 田端義夫)
 
あれを御覧と 指さすかたに
利根の流れを ながれ月
昔笑うて ながめた月も
今日は 今日は涙の 顔で見る
 
愚痴じゃなけれど 世が世であれば
殿のまねきの 月見酒
男平手と もてはやされて
今じゃ 今じゃ浮世を 三度笠
 
もとをただせば 侍育ち
腕は自慢の 千葉仕込み
何が不足で 大利根ぐらし
故郷(くに)じゃ 故郷じゃ妹が 待つものを

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 理由は定かじゃないんですが、やたらにヤクザ・侠客・股旅ものが好きでしたし、今でも好きです。この春にブログを始めた際には、「吉良の仁吉は男じゃないか」(人生劇場)と、仁吉を取り出してみました。理由は定かじゃない。「男心に男が惚れて」というのは「名月赤城山」です。これは国定忠治・やはりやくざ者です。ぼくの意識にはいつも「やくざ」「侠客」たちが目白押しです。幼少の頃の楽しみが、まずラジオ、それに落語、浪曲、講談といった演芸が常備していました。学校に上がる前から、それに親しんでいたのが、いまに尾を引いているのかもしれない。

 なにか「部外者(アウトロー)」へのシンパシーがあるのかどうか。自分には判然としません。浪曲のある件(くだり)なら、いまでも相当に記憶しています。また、戦前の歌謡曲の十中八九は覚えています。他の記憶力はからっきしダメなんですが。拗ね者もアウトローも、出世はできないというか、世に入れられること自体が堕落じゃ、という気性で、それは大いに性格によるのではないでしょうか。

 この「大利根月夜」の歌詞(藤田まさと・1908-1982)がいいですね。藤田さんの詞であれば、なんでも結構だという気になります。「岸壁の母」なんかどうです。この平手造酒(ひらてみき)の生きざまを見ていると、ぼくは妙に尾崎放哉を重ねてみたくなるのです。山頭火じゃダメ。なぜでしょうか。どうしようもない「寂寥感」が放哉をつかんで放さない。「愚痴じゃなけれど 世が世であれば」と、放哉は何度嘆いたことか。「もとをただせば 侍育ち」とおのれの経歴を誇った時代もあった。それもこれも、いまでは夢幻の如くに雲散霧消。「一つの湯呑を置いてむせてゐる」「やせたからだを窓に置き船の汽笛」(放哉さん最晩年の作、といっても四十一歳でした)などと、いかにも恬淡として詠う風情、だったかどうか。

 なぜ、世を拗ねるか。拗ねなければおられない理由は人それぞれであり、拗ねる形もまた千差万別。ぼくなどは人一倍「ひねくれ」だから、この「拗ね者」の心持がわかる気もするのです。素直じゃないのはいけないか。素直でなければならないか。己に正直に生きれば、拗ねたり、ひねくれたりするのもまた、人の世の常とも言えませんか。正直だからこその、拗ねる・捻(ひね)くれるなんだな。(以下は、放哉の終焉地の、小豆島時代の三句)(右は従妹の澤芳衛。放哉は結婚を望んだが、彼女の親に反対され、大いに挫折したとされる)

爪切つたゆびが十本ある

鳳仙花の実をはねさせて見ても淋しい

入れものが無い両手で受ける

● 平手造酒(ひらてみき)=生年不詳 没年:弘化1.8.7(1844.9.18) 江戸後期の博徒の用心棒,無宿浪人。本名は平田深喜。名は深木,三亀とも書く。一説には流浪の末,下総国香取郡(千葉県)の名主に身を寄せ,剣術道場を開いていた浪人といわれる。天保15(1844)年利根川河原での博徒笹川繁蔵一味の召し捕りにからむ飯岡助五郎との出入りに際し,繁蔵方の助っ人として加わり斬死したとされる。後年の講談,浪曲の「天保水滸伝」では江戸お玉ケ池の千葉道場仕込みの北辰一刀流の使い手にして病の末の素浪人として描かれ,繁蔵,助五郎に劣らぬキャラクターとなって人気を博した。(高橋敏) 朝日日本歴史人物事典の解説

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投稿者:

dogen3

 語るに足る「自分」があるとは思わない。この駄文集積を読んでくだされば、「その程度の人間」なのだと了解されるでしょう。ないものをあるとは言わない、あるものはないとは言わない(つもり)。「正味」「正体」は偽れないという確信は、自分に対しても他人に対しても持ってきたと思う。「あんな人」「こんな人」と思って、外れたことがあまりないと言っておきます。その根拠は、人間というのは賢くもあり愚かでもあるという「度合い」の存在ですから。愚かだけ、賢明だけ、そんな「人品」、これまでどこにもいなかったし、今だっていないと経験から学んできた。どなたにしても、その差は「大同小異」「五十歩百歩」だという直観がありますね、ぼくには。立派な人というのは「困っている人を見過ごしにできない」、そんな惻隠の情に動かされる人ではないですか。この歳になっても、そんな人間に、なりたくて仕方がないのです。本当に憧れますね。(2023/02/03)