「したい事をして、したくない事はしない―これが私の性情であり、信条である。それを実現するために私はかういふ生活に入った(はいらなければならなかったのである)。そしてかういふ生活に入ったからこそ、それを実現することが出来るのである。私は悔いない、恥ぢない、私は腹を立てない、ワガママモノといはれても、ゼイタクモノといはれても。
自己の運命に忠実であれ、山頭火は山頭火らしく。


一草庵(山頭火の終の棲家。松山市内)今は、立派な建物に様変わりしています。朽ち果てるというのも、一つの摂理ですが。
ふけてひとりの水のうまさを腹いっぱい
雑草よこだわりなく私も生きてゐる
月がうらへかたむけば月あかり
何よりも不自然がよくない、いひかへれば生活に無理があってはいけない、無理があるから、不快があり、不安があるのである」(昭和十年)
じつにいい気なもんだなあと感心するのです。山頭火しかり(放哉しかり)。すべってころんで、句ができたというほどに、いい気に過ぎる人生だったか。なにか彼らを妬んでいるのではありません。「無理があるから、不快があり、不安があるのである」という生き様こそ、二人の真骨頂でした。だから、そんなできもしない流儀を学ぶなど、ぼくごときにはあり得ない話です。決して妬んでいるのでも、羨んでいるのでもありません。
人生の達人、そんな境地に達しているとはとても思えないが、この段階にあって、山頭火自身は、そう自己評価していたに違いないのです。
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上に引いた文章の直前には、彼は次のような心境を語っています。
「山行水行はサンコウスイコウとも或はまたサンギヨウスイギヨウとも読まれてかまはない。私にあつては、行くことが修することであり、歩くことが行ずることに外ならないからである。
昨年の八月から今年の十月までの間に吐き捨てた句数は二千に近いであらう。その中から拾ひあげたのが三百句あまり、それをさらに選り分けて纏めたのが以上の百四十一句である。うたふもののよろこびは力いつぱいに自分の真実をうたふことである。この意味に於て、私は恥ぢることなしにそのよろこびをよろこびたいと思ふ。

あるけばきんぽうげすわればきんぽうげ
あるけば草の実すわれば草の実
この二句は同型同曲である。どちらも行乞途上に於ける私の真実をうたつた作であるが、現在の私としては前句を捨てて後句を残すことにする。
私はやうやく『存在の世界』にかへつて来て帰家穏坐とでもいひたいここちがする。私は長い間さまようてゐた。からだがさまようてゐたばかりでなく、こころもさまようてゐた。在るべきものに苦しみ、在らずにはゐないものに悩まされてゐた。そしてやうやくにして、在るものにおちつくことができた。そこに私自身を見出したのである。

在るべきものも在らずにはゐないものもすべてが在るものの中に蔵されてゐる。在るものを知るときすべてを知るのである。私は在るべきものを捨てようとするのではない、在らずにはゐないものから逃れようとするのではない。
『存在の世界』を再認識して再出発したい私の心がまへである。
うたふものの第一義はうたふことそのことでなければならない。私は詩として私自身を表現しなければならない。それこそ私のつとめであり同時に私のねがひである。(昭和九年の秋、其中庵にて 山頭火)

ある日は人のこひしさも木の芽草の芽
それもよからう草が咲いてゐる
「或る時は澄み或る時は濁る。――澄んだり濁つたりする私であるが、澄んでも濁つても、私にあつては一句一句の身心脱落であることに間違ひはない。
此の一年間に於て私は十年老いたことを感じる(十年間に一年しか老いなかつたこともあつたやうに)。そして老来ますます惑ひの多いことを感じないではゐられない。かへりみて心の脆弱、句の貧困を恥ぢ入るばかりである」(昭和十年十二月二十日、遠い旅路をたどりつつ 山頭火)
時に、山頭火は五十三歳。死の五年ほど前のことであります。(世上の戦争気分にも、心奪われる山頭火です)
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