音楽の教員だからこそ、弾けない

←(東京新聞・2019/3/30)

 いつも讃美歌の流れる教会に生まれ育ち、好きな音楽を教える仕事に憧れた私は、公立小学校の音楽教員になりましたが、当時は「君が代」強制で仕事を辞める心配をするときが来るなど思いもしませんでした。

 きっかけは、1999年の国旗国歌法制定後に初めて迎えた国立市の勤務校の卒業式で、主役である子どもたちに説明なく掲揚された「日の丸」でした。「決して強制はされない」と授業で話した私は、このとき、ピースリボンに似た手作りの「リボン」着用により再度それを伝えようとして、訓告処分を受けました。翌年の卒業式から「君が代」伴奏を拒否して現在までつづいています。2004年、不当な命令や移動、処分などに現れた「日の丸・君が代」の強制を思想・良心・信教・教育の自由を侵すものとし、都と市を相手に提訴しました。(佐藤美和子『私として生きるための自由 「君が代」強制に抵抗して』『信徒の友』2016 2 日本キリスト教団出版局)

「いずれかの国が人道的な労働条件を採用しないことは、自国における労働条件の改善を希望する他の国の障害となる」(ILO憲章)「1946年、ILOは新たに設立された国際連合と協定を結んだ最初の専門機関となり、創立50周年にあたる1969年にはノーベル平和賞を受賞しました」

 前に紹介した根津公子・土肥信雄両氏とともに、『私を生きる』(土井邦弘監督作品)に登場する佐藤さん。およそ二十年にわたる「君が代強制」闘争と裁判は、方法や形態を変えて、いまなお続いています。劣島のあちこちで、行政側による学校教育への不当な支配や介入に発する事案や裁判がくりかえされてきました。ことに東京と大阪においては行政の違反行為が目に余ります。学校教育を我が物顔で差配し、服従しない教員を現場から追放するための非法、抑圧のかぎりをつくしているのだと、ぼくには思われます。

 日の丸・君が代問題の発端は広島県で起こりました。卒業式直前に「日の丸・君が代」をめぐる校長と所属教員との対立が県立世羅高校で生じ、校長が自死するに至った事件でした。(1999年2月28日)その事件を契機にして、「国旗・国歌」法が制定された。詳細は省きますが、それ以前には「国旗・国歌」は法的には認定されていなかった。いわば、長年の慣習によって「日の丸・君が代」がそれである、とされていたといえます。

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 《 キリスト者の音楽教師、佐藤美和子さん(東京都公立小学校教員)が「日の丸」の強制に際してリボンを着けたことに対する処分と、「君が代」の伴奏強要・報復の不当性を訴えた「ピースリボン」裁判で、東京高裁(濱野惺裁判長)は6月28日、控訴を棄却する判決を言い渡した。佐藤さんは、昨年7月26日の地裁判決を受け、「教育の裁判に対して子ども不在の判決は許せない」と控訴していた。控訴人と弁護団は、即日声明を発表し、上告する意向を明らかにした。

 「主文。本件控訴をいずれも棄却する」。満席となった傍聴席に目もくれず退席する裁判官。こわばった表情のまま、佐藤さんはしばらく立ち上がることができなかった。

 判決の理由にはこう記されている。「式典に職務の遂行として参加する以上自己の良心に反することにはならないとして、自らの考え方を表に出すことなく学校の式典に参加することは十分可能」「仮に……卒業式に参加せず、そのことを理由に不利益な処分がされたとすれば、そのときはじめて、当該処分の効力とその者の思想及び良心の自由、信教の自由との関係を検討すべき」。さらに、「国旗の意義については、当該児童生徒が、その後の長い人生を通じて自由かつ独立した人格として成長、発展を遂げ、円熟していく過程の中で、自ら考えてその位置付けをすべき問題」「教育的、後見的配慮が必要であるとまではいい難い」。

 弁護団は、教育現場の実態、「自ら考えてその位置付け」をすることができない状態に陥っていることを無視した不当な事実認定だと指摘。弁護士の中川明さんは、「思想・信条と外部的行為は切り離せるとした判決は、是認し難い法律家の思考方法」と批判。「教師が内心を隠して『世情』に合わせるようにふるまうことを、司法が期待するというのはとんでもない」と怒りをあらわにした。(以下略)》(註 2007年8月最高裁へ上告、11月に上告を棄却された)

●キーワード=ピースリボン裁判=2000年の国立市立国立第2小学校の卒業式で、子どもたちに「日の丸が掲揚されても決して強制はされず、自由です」と伝えるため「ピースリボン」をつけた教員が、「職務専念義務違反」として文書訓告処分を受けたことに対し、原告の思想・良心・信教・教育の自由などを不当に制約するものとして、都や市に損害賠償を求めた裁判。裁判では同時に「君が代」伴奏の強要と弾かないことへの報復の不法性についても争われている。(2007.7.14 キリスト新聞)

 「生活綴方教師」たちの何人かを別の稿で紹介しましたが、戦前戦後・一貫して「行政に逆らう教員」は徹底して「いじめ」に会い、行政によって人生を踏みにじられてきました。文部省や地方教育行政官僚の業務は「組合つぶし」であり、「まつろわない教員排除」でした。それはなさけないことですが、いまもなお継続中です。「子ども」不在の教育行政、今春の「九月入学」問題にもはしなくも表れています。無責任だし、教育に興味のない輩がいっぱしの口を利くのだ。これからもまだまだ、「闘争」「裁判」は起こり続けるでしょう。かくして非教育、反教育の状況は永続するほかないのでしょう。

 国歌の伴奏を弾けばいい、国歌を歌えばばいいじゃないかという意見があるのは当然だし、だからそれを拒否することもあり得ます。なぜ、一つの態度に強制するのか。ひとそれぞれに、さまざまな背景や理由を以て生きている。その事情を一切無視して、日の丸・君が代を強制する根拠はどこにあるのか。「職務命令」の妥当性如何が問われているのです。

 《自分の国を、自分がここに住みなれた故になつかしい郷土として感じる習慣が中心になるように、私たちはなぜ変われないのか。/ 君が代を千年以上も前の詠み人知らずの歌として認め、明治以前の千年のあいだ、別のさまざまの抑揚でうたいつがれてのこっためずらしい歌と感じる道は、どうして今もとざされているのか。別の調子でこの歌をうたうことに、学校はどうして罰をあたえるのか。

 別の形の郷土の歌をいくつもつくり、それらの中から、君が代とならんでうたわれるような歌をえらぶという方向を(そのためにさらに一千年かかるとしても)、どうしてえらぶことができないのか。/ 他の国の国歌がうたわれる時、他の国の国旗がかかげられる時、それに対して敬意を表することは望ましい。だが、国家にたいしてうたがいをもち、今の民族国家のもたらす少数民族圧迫をこえる道を、きりひらく一歩が、一九四五年の日本国敗戦をいとぐちにあらわれたことを、政府も学校もどうしてふたたびかくすのだろうか。そういううたがいが、のこる。そのうたがいは、日本の経済の規模が大きくなって私たちの生活水準があがっていることとひきかえに、消えてなくなるのだろうか》(鶴見俊輔『歴史の話』既出) 

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(同姓同名)

 「君が代」を「公務員だから弾くべき」と言われるなら、日ごろ、子どもたちに「思い切り自分らしさを表現していい」と語ってきた音楽の教員だからこそ、弾けないと答えるでしょう。仮に私が嫌々弾いたなら、その姿に子どもたちは、心から思うことでも曲げて従う方がよいこともある、と学ぶことでしょう。心と体を切り離す強制を、決して行ってはいけないこと。誰にでも自分の考えや行動を選び取る自由があること。「君が代」を弾かない姿を通してそれを伝えることが、強制に苦しめられた公務員である私の役目と思っています。(佐藤・同上)

 多言語社会の方向を進んでいるこの島で、それぞれの事情を委細構わず、「日の丸・君が代」を強制するという大愚は即刻止める必要があるとぼくは考えています。出身国・民族・人種の違いを一切無視して、「歌と旗」の下に「全員一致」を強いるのは狂気に似ています。

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと 下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです