演奏会をやめて、どうするんだ

Glenn Gould (1932-1982)
Born in Toronto, Canada, on September 25, 1932, Glenn Gould has been hailed internationally as one of the great musicians of the 20th century, and as a visionary thinker and multi-media artist who foresaw the profound impact of technology on culture and society. Initially acclaimed as a pianist of prodigious talent, Gould had a remarkable career that included recording, television, film, writing and producing radio documentaries, and composing and writing scholarly and critical work.
Glenn Gould had become a legend as a concert pianist before he was 30. His landmark 1955 recording of Bach’s Goldberg Variations was a runaway best-seller (and remains the best-selling classical instrumental recording of all time).
Despite this success, and a burgeoning international concert career, he chose to redirect his energies towards innovative ways to communicate music through the mass media. When he stopped giving public concerts in 1964 at the age of 32, his friends and closest colleagues predicted that his refusal to give live performances would destroy his career. With extraordinary foresight, however, he reinvented his career as a dedicated recording artist with CBS Records, now Sony Classical.(https://www.glenngould.ca/)

________________________

 不世出の、といっていいのかもしれない。はじめてこの島に彼が紹介された時(それが吉田秀和氏の評論であったと記憶している)、大半の音楽家や愛好家は、彼の演奏を拒否したかったようだ。(吉田氏の文章を、ではなかっただろう)ヨーロッパ、それもドイツやウィーンの音楽演奏に慣れ切った耳には、得体のしれない異物としてしか受け取れなかったかもしれない。それだけ異質な音楽(演奏)が現出したからである。先ずバッハ。生演奏では聞けなかったので、すべてはレコード(録音)だったが、それでも聴き手を吃驚させるには十分だった。長年の愛好家だった先輩の医師は、レコードに針をおろしたとたんに、「器械が故障した」と叫んだ。

 二十歳過ぎから、ぼくは半世紀もの間、飽きもしないで聴いてきた(そんなことは志ん生の落語以外にはない)。それで「どうした」というのではない。若い時に読んだアインシュタインという音楽学者が「死ぬとは、Mozartが聴けなくなることだ」といっていたが、ぼくの場合は「グールドが聴けただけでも、生きていてよかったな」といっておきたいね。さらに、ささやかな望みとして、一つだけでもグールド論を書いてみたかったという思いが今も胸の中にたぎっている。でも、書かないで聞きほれる方がよほど素晴らしいという心持もぼくにはある。なお、グールドは漱石の『草枕』をよく読んでいました。独特の解釈にはじつに興味深いものがあります。駄文を一つなどと、食指が動きますね。

 今宵もまた、耳にするのは彼の演奏、しかも、バッハ。

___________________________

 握り拳はなにを語るのか

__________________________

 雄弁に語る握り拳、人種差別に抗議 【6月6日 AFP】米ミネソタ州ミネアポリス(Minneapolis)で、警察に拘束された際に死亡した黒人男性のジョージ・フロイド(George Floyd)さんの追悼式が行われ、抗議のスローガンを叫びながら、拳を突き上げる参加者。人種差別と警察の残虐行為に対する抗議デモは、放火や略奪へと暴動化し、米全土に衝撃が広まり、何千人もの州兵が主要都市をパトロールした。(2020年6月2日撮影)。(c)CHANDAN KHANNA / AFP (2020年6月6日 12:15 発信地:ミネアポリス/米国 [ 米国 北米 ] )

 手入れ、手探り、手助け、手心、手引き、…。手はいろいろなちからをもっています。ことの発端(手始め)から手仕舞いまで。手は何かの印であり、同時に一つの表情でもあるのです。この「表情」は何を語るのか。対立か、それを突き抜ける新たなステージか。

>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>

 生まれながらにして人間に備わる…

 以下の文章を熟読してください。「人権」というものがどのようなものでしかないか、じつに明瞭に示しています。

 《人権は譲渡することのできぬ権利、奪うべからざる権利として宣言され、従ってその妥当性は他のいかなる法もしくは権利にも根拠を求め得ず、むしろ原理的に他の一切の法や権利の基礎となるべき権利とされたのであるから、人権を確立するためには何の権威も不必要であると思われた。人間それ自体が人権の源泉であり、本来の目的だった。他の一切の法律は人権から導き出され人権に基づくとされたからには、人権を守るための特別な法律を作ったとすれば理に反することになる。人民が公的行為のすべての問題における唯一の主権者と認められたように、人間は正・不正のすべての問題における唯一の権威となった。そして人民主権は君主の主権のように神の名において神の恩寵により宣言されるのではなく、これまた人間一般の名において人間一般の恩寵により宣言された。従って人民主権と人権のこの両者が互いに相手の条件となり相互に保証し合うことは、本来ほとんど自明のことと思われたのである》(ハナ・アーレント『全体主義の起源』)

 このように述べた後で、アーレントは指摘します。「譲渡することのできぬ人権」という概念には矛盾がつきまとっている、と。この人権という権利は「人間一般」を想定したものですが、そのような「人間一般」はどこにも存在しないではないか、と。さらにいえば、歴史的に明らかなように、「宣言」されるまでに何千年もかかった「人権」というものは、けっして奪うことも譲り渡すこともできないものではなかったのです。19世紀目前という歴史のある段階で、それもある地域において初めて登場してきたという事実がそのことを示しています。そして、それはまた国民国家とか民族自決と密接に結びついてもいたのです。つまり「人権の基礎となる人間の概念は個人ではなく民族を指していた」とうことです。民族という視点もまた、人権を考察する際の重要な要件になるという意味です。

 《生れながらに人間に具わる人権などというものがそもそも存在するのならば、それはあらゆる市民の諸権利とは根本的に異なった権利でしかあり得ない。この権利を発見するには、まず無権利者の法的状態を観察し、彼らが一体いかなる権利を失っているか、そしてそのような権利を失ったことが何故に彼らを完全に無権利状態に陥れることになったかを知ることが役に立つだろう》(同上)

〇 アーレント(Hannah Arendt)(1906―1975)アメリカの政治学者、哲学者。ドイツのハノーバー生まれのユダヤ人女性で、ハイデルベルク大学で哲学者ヤスパースに学ぶ。ナチス政権成立後パリに亡命(1933)しユダヤ人救援活動に従事。のちアメリカに亡命(1941)。1951年に主著『全体主義の起原』を著し、ナチズムとボリシェビズムによる全体支配の成立の原因を国民国家の崩壊と大衆社会の出現などに求めた。またユダヤ人のナチス協力を論じたアイヒマン裁判の報告『イェルサレムのアイヒマン』も多くの論争を巻き起こした。他の主要な著作に『人間の条件』(1958)、『革命について』(1963)などがある。[飯島昇藏]『大久保和郎訳『イェルサレムのアイヒマン』(1969/新装版・1984・みすず書房) ▽大久保和郎・大島通義・大島かおり訳『全体主義の起原』全3冊(1972~1974/新装版・1981・みすず書房) ▽ジェローム・コーン編、齋藤純一他訳『アーレント政治思想集成』全2冊(2002・みすず書房) ▽M・カノヴァン著、寺島俊穂訳『ハンナ・アレントの政治思想』(1981/新装版・1995・未来社)』(日本大百科全書(ニッポニカ)の解説)

http://www.cetera.co.jp/h_arendt/introduction.html

++++++++++++++++++

 二十世紀の大小さまざまな戦争は、アーレントの指摘が間違いではなかったことを明示しました。そして二十一世紀のいまもまた、そのことが各地で証明されてもいるのです。「人権」をどのようなものとしてとらえるか、いまなお自明のことではなさそうです。人権に関する多くの課題は時代とともに生みだされるといったほうがいいのかもしれない。ぼくたちは、それ以前の時代の人々よりもはるかにていねいに生きることを求められるのですね。

___________________

 ただの人間以外の何ものでもない

(Auschwitz koncentrationslejr)

 もはやドイツ人、ロシア人、アルメニア人、あるいはギリシャ人としては認めてもらえなくなった彼らは、ただの人間以外の何者でもない。(アーレント)

  学校の運動場で、他の子どもたちに「おまえと遊ばないよ」といわれた子どもは、この言葉では表現できない苦しみを体験するのです。(リオタール)

 はたして人生(生きること)に意味があるのかないのか。どんな言い方にしろ、だれでも人生に意味があると思っているでしょう。「こんな人生、生きていたってしかたないよ」「どんなにがんばって生きたところで、結局は死んでしまうじゃないか」といってみたり、実際にそんな「無意味な人生」におさらばする人もたくさんいます。

 私たちは〈生と死〉を対立させてとらえてしまいがちですが、さてどうですかね。いじめを苦にして自殺する、あるいは不治の病苦に耐えられずに死を選ぶ。いかにも生きるに値しない人生からの逃走、と見えなくもないけれど、それは人生からではなくて「苦痛」「苦悩」からの逃走じゃないですか。なぜなら、「苦痛」や「苦悩」がない人生からは人は逃げ出したりはしないのだから。

 人生に意味がある、と断言することは私にはできない。もちろん、意味がないともいえないのです。あるかないか、このことに悩みつづけるのが人生なのかもしれないと、かろうじていうばかりです。人生はチェスのようなものだ、とヴィクトール・フランクルはいったことがあります。それはあるルールに基づいたゲームだと。でもこのゲームには勝ち負けはない、試合を投げ出さないことだけが唯一の規則なんだというわけです。

 「どんな人間もユニ-ク(唯一性)であり、どんな人生も独自性を持っている」ともフランクルは述べています。何においてユニ-クで独自なのか。「いかなる人も置き換えることができないし、その人生を繰り返すこともできない」 比較することも掛け替えることもできない人生、それこそがその人の存在の証明だということでしょうか。

 生きるというのは肉体をもって生きることです。他のいかなる肉体からも分離された生を生きるわけで、この分離されているところにこそ孤独の意味があるのでしょう。自由意志の支配権を所持しているがゆえに、「私は私を重視する」のだとデカルトはいったのですが、〈自由〉であるとは、孤独であり不安であり寄る辺ない存在だということにもなります。

 無頼、ということの真意はここにあるのかもしれません。(この項、続きます)

_________________________