日本の自己責任論の奇妙さ

 日本のマスコミには、「国益」、「愛国心」、「ナショナリズム」といった単語が頻繁に登場している。十九世紀や二〇世紀に流行った言葉である。不思議だ。世界第二位の経済力と軍事力を築き上げた日本、二一世紀をリードすべき模範的な先進国の日本で、そのような前近代的な単語がキーワードとなっていることにパラドックスを感じる。(略)

 韓国を始めとするアジアは、平和憲法を掲げ大成功を遂げた、富める国、日本に対して、水戸黄門のような役割を期待しているかもしれない、と私は思う。侵略戦争を起こし隣国に迷惑をかけた過去があるからこそである。アメリカの独走に対し忠告をし、アメリカの単独主義に歯止めをかけ、国際社会の調和と協力に寄与する日本、なんと素晴らしい隣国ではないだろうか。

 しかし、日本は忠臣蔵の道を歩もうとしている。有事法制を整備し、アメリカを理由に自衛隊を派兵する。若手政治家は先制攻撃論すら論じている。小泉総理は靖国神社に参拝し、「戦争の犠牲となった英霊に参拝する」と話している。しかし、彼の頭の中には、日本が引き起こした戦争によって命を落としたアジアの被害者のことはなかっただろう。特攻隊や米軍と戦って戦死した日本軍の英霊に対する黙祷だっただろう。韓国や中国の反対にもかかわらず、忠臣蔵のイメージに向かって日本を導いていこうとしている。

 日本国民の世論も忠臣蔵的である。弱者を思いやり、正義の味方となる水戸黄門ではない。イラクで人質(2004年4月)となった郡山氏ら三人に対する集団的バッシング(攻撃)も然りである。本来、「自己責任」という言葉は、アメリカで国家が個人に対して過剰に干渉してはならないという意味で使われたという。ところが、日本では反対の意味で使われている。個人が勝手に好き勝手をして自衛隊の出兵を妨げたり、いわゆる「国益」、「愛国」に損害を与えてはだめだという、日本の自己責任論を聞きながら、日本の集団主義的な発想が思い浮かんだ。(金 忠植・キム・チュンシク「大樹に寄りかかりすぎる日本」『世界』08/8月号)

 金忠植さんは東亜日報の東京支社長をされています。(執筆当時)この記事を読んでいて、日本に対する複雑な感情が込められているということがわかりました。「水戸黄門」か「忠臣蔵」か。おそらく、日本の東アジアにおける進路は二者択一ではないだろうと、ぼくは考えています。いずれの道も「日本」は取るのだろうという意味です。時には「水戸黄門」、時には「忠臣蔵」を演ずるというのではなく、ある人々(特定の政治家や文化・野蛮人?)は「忠臣蔵」一本槍、これが通用するかどうかは、その人々にとってはどうでもいいことなんだと思う。(金さんは後に『実録KCIA』を執筆されます。それをもとに映画『南山と呼ばれた男たち』が制作上映されます。それについては、いずれ)

 「有事法制」という「戦争法」の制定時に、総理大臣は「備えあれば、憂いなし」とくり返し発言しました。まるで、自然災害のように「戦争」を捉えようと(みせかけている)している点では、彼の愚兄弟たるアメリカのB大統領(当時)といい勝負でした。「備えあっても、憂いあり」が本当の所でしょう。冷戦時代のバカな軍拡競争を一瞥すれば明らかです。この島は「有事法制」をつくり、つねに戦時に備えるというまちがった道を選んだが、それは自ら(権力者)の選択ではなく、米国の指示だった。何度も言いますが、この島が「独立」しているとはとても言えない。戦後一貫して「進駐軍」が居座ったままなんです。その尻馬に乗って、偉そうに「近隣国」にふるまっているのです。そのツケは確実に回ってきています。

 だから、今や「忠臣蔵」ではなく、はたまた「水戸黄門」でもない、第三の道が確実に開かれたと思うのです。(被)植民地時代を知らず、太平洋戦争も知らず、朝鮮戦争すら経験していない新しい世代が、それぞれの過去の歴史に学びつつ、過去をふまえながらも新たな交流の道を開こうとしているのです。細々としているけれども、先につながる道です。この道もまた、一歩進んで二歩下がるほかない歩みぶりです。(愚政治家の頭は百年前の地図に支配されているとしか思えないような、時代錯誤そのものです。「宗主国」意識とでもいうべき歴史無視の極致にとどまっているのです。それに付和雷同するやからうからが叢生しています)

 金忠植氏とは直接の関係はないのですが、朝鮮半島問題に結び付けて、ここでどうしても一言しておきたいことがあります。

 6月5日、横田滋さんが亡くなられた。87歳でした。ぼくは縁あって、二度ほどご夫妻にお会いしました。いずれもめぐみさんの拉致問題に関して、です。その当時、ぼくには驚いたことがいくつかありましたが、「北にはもっと制裁を」と横田さん夫妻が言われたことを思い出します。誰かの言にそっくりな口調でしたので、実に奇妙な感をいだきました。さらには、地方議会を動かして「北制裁」の決議を出させるといい、ぼくにもそのように応援してくれという意味のことを言われました。ぼくは反論はしなかったが、賛成もしなかったのを、昨日のように思い出しています。

 「拉致被害者」の積年の願いが届かずに、思い半ばにしてのご逝去で、ご本人ははもちろん、関係する方々にとっては実に無念なことだったと思います。これまでの多難な活動に対しては深甚なる敬意の念をささげるものです。さらに訃報に際し、衷心から哀悼の意を表する次第です。(今は贅語を慎みます)

 (十年一昔、この言葉をぼくはいつでも思い起こします。「ずいぶんと時代は変わったな」という面と、「ちっとも変わらんじゃないか」という感慨がいつも入り乱れるのが「十年の昔」です。古いところばかりを扱っていると思われますが、なに「十年そこそこ」は、今と地続きです。指差喚呼(しさかんこ)のあいだです。歴史にまだなりきっていない過去、それが十年なんではないですか。 いつでもこの感覚を視野に入れておきたいというのがぼくのささやかな歴史観。金忠植氏の「後日談」にはなかなか興味を惹かれました。いまはある大学の副総長をされているそうです。いずれ彼に関しても論じてみたいと考えています)

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。