弁護士が何の役に立つというのだ?

 《 弁護士というものは、いったい何の役に立つのだろう。「この弁護士には才能がある」と人が言うとき、それは何を意味しているのだろうか。役割をうまく果たすこと、素晴らしい文句をつむぎだし、聞いている人の胸に気高い感情を呼び起こし、自分の真心、良心、豊かな感受性を再確認させて心地よい感情を味わわせることなのだろうか。弁護士は弁論が終わると賞賛を浴びながら法廷のベンチに戻る。〈そのとき弁護士は、彼が弁護している人間のために、実際には何をしたというのだろう。〉仕事を終えた弁護士はこんなふうに言いたくなる。あらゆる手は尽くした、結果がどう出ようがもう自分には関係ない、勝って賞賛を受けるとき以外は、と。そこに罠がある。その罠は巧妙で、弁護士はその罠にあっさりとかかってしまう。彼の良心は痛まない、求刑するのではなく、裁くのでもない。決めるわけでもない、いつも法廷の柵のいいほうの側にいる弁護士の良心は 》(ロベール・バダンテール 『死刑執行』藤真利子訳、新潮社。1996)

 ミッテラン大統領の時代に法務大臣として「死刑廃止」(1981)をなしとげたバダンテール氏。原著は1973年刊。殺人事件の犯人とされ、陪審員の評決では無罪とされたが、「情状酌量の余地なし(多数決)」と死刑を宣告された依頼人。「ボンタンが死刑を宣告されるのを防げなかった。弁護士が何の役に立つというのだ?」と、彼は「死刑制度」に決着をつける覚悟を固めるようになります。

「罪人はいない。告発されたものがいるだけだ」(同上)この言葉は、いろいろに理解することができます。裁判制度を考える手がかりとして吟味してみなければならないでしょう。

 国家試験のなかでも合格するのが最も困難なものの一つが司法試験。そこから弁護士や検事や判事が生み出されます。十年ほど前だったかの「司法制度改革」によって、弁護士制度も粗製栽培(養成)の被害を免れませんでした。何人もの弁護士が友人にいますが、さて、弁護士とは、と考えるとなかなか答えを出すのはむずかしそうです。さらに、この島では刑事事件より民事事件を扱う弁護士が圧倒的に多く、おそらく八割を超えているかもしれません。なぜ?

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〇弁護士=当事者その他の関係人の依頼または官公署の委嘱によって、訴訟に関する行為その他一般の法律事務を行うことを職務とする者。一定の資格を持ち、日本弁護士連合会に備えた弁護士名簿に登録されなければならない。(大辞泉)

〇三百代言= 代言人の資格がなくて他人の訴訟や談判などを扱った者。もぐりの代言人。また、弁護士をののしっていう語。 相手を巧みに言いくるめる弁舌。詭弁 (きべん) 。また、それを用いる者。(同上)

〇弁護士記章=ひまわりに天秤ばかり(ひまわりは「自由と正義」、天秤ばかりは「公平と平等」を示すとされる。

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  形のきれはしから              Robert Graves , In Broken Images
 
 彼はすばやい。はっきりした形にたよって、考えてゆくから
 私はのろい。形のきれはしをたどって、考えてゆくから。
 
 彼はにぶくなる。はっきりした形を信じているから。
 私はするどくなる。形のきれはしを信じていないから。
 
 形を信じるゆえに、彼は形によりかかる。
 形をそのまま受けいれない私は、形に我が身をあずけない。
    
   事実にうらぎられるとき、彼は感覚をうたがう。
   事実にうらぎられるとき、私は感覚を受けいれる。
 
 彼ははっきりした形をかかえて、すばやく、そしてにぶくありつづける。
 私は形のきれはしにかこまれて、ゆっくり、そしてするどくありつづける。
 
 彼は、理解のあたらしい混乱のなかに。
 私は、混乱のあたらしい理解のなかに。

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。