
《 幕切れは突然やって来た。95年、4回目の面会で拘置所側が「これで最後に」と通告したのだ。彼も言った。「これまでありがとうございました。これが最後です」。そんなことを言うなよ。思わず口をついた。

原田さんは法務省に死刑の執行停止を求めた。「納得するまで彼と会わせてほしい」
しかし、01年12月27日、死刑は執行された。
2日前のクリスマスの日記に彼はこう記した。「今日は3件目のご命日に当たる。取り返しの付かない、惨いことをして貴い命を奪ったことをおわびし、最善を尽くして罪のつぐないをさせて頂くことを誓った」
教会での通夜。棺に納まった彼を見た原田さんは、たったひとり取り残された気がした 》(同前)
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高村法務大臣殿
名古屋拘置所在監死刑囚 長谷川敏彦
右の者について、一被害者遺族の立場から上申します。
被害者遺族・原田正治
東西文化の交わる愛知県・名古屋市、その名古屋市から南に伸びる知多半島の入り口に私どもの住む東浦町があります。
思い起こせば十八年前の昭和五十八年一月二十四日未明、事故、いや事件は起きました。

場所は京都府相楽郡木津町、私の弟原田明男は長谷川敏彦君(当時は竹内敏彦)経営の運送トラック運転手として雇われていました。この日、関西方面へ仕事で出掛ける途中での出来事です。交通事故に見せかけた保険金搾取の為に私の弟・原田明男は長谷川敏彦君・井田正道君(平成十年執行)・森川健太郎君等の手によって無惨にも殺害されました。その後、長谷川君においては、平成五年の秋、最高裁にて死刑の確定判決を受け現在名古屋拘置所に収監されています。井田君においては二審においてやはり死刑判決を受け、残念ながら死刑執行を受けています。尚、森川君については有期刑を受けています。全世界を見渡せば、死刑と云うものの存在を考え直すと云う時期に来ているのではないでしょうか?
被害者遺族として彼等に対し望み要求要望する事は決して死刑執行ではなく謝罪、償いだと考えます。生きる存在があるからこそ、そこに謝罪、償う意識が生まれるのではないかと考えています。そして以前には名古屋拘置所の温情ある取り計らいにて接見の場を与えられてはいましたが、現在においてはその事すらなくなりました。
現在、名古屋拘置所においても、今後、接見交流の場さえ無くなる可能性の者もおります。接見交流の場が与えられると云う事は少なくとも、加害者が被害者に対し謝罪し、償いをする意識を増幅できる場だと思っています。世界の中でも有数の水準を持つ我国日本の権威ある判断に対し反論すべき事ではありませんが、死刑を執行すると云うことの意味を深く再考頂きたく、ここに上申致します。
私、一被害者遺族としまして加害者に対し必ずしも死刑を望むものではありません。
加害者を死刑にする事によって、本当に被害者が救われるものなのでしょうか…

死刑によって何も解決しない、そして何一つ得られるものがないと思っています。
加害者に確定判決が下ると接見できなくなる現状があるという事、ご存知かと存知上げます。つきましては、加害者・被害者との接見、また、確定囚との接見交流のできる場を希望しております。このような理由から、死刑、接見交流について上申します。
愛知県知多郡東浦町○○○○
原田正治 印
平成十三年四月十八日
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一番悪いのは、長谷川君や共犯者です。だけどそれだけじゃない。今の社会には「排除の構造」があり、いったん事件が起きると被害者も加害者も社会から排除されてしまう。そういう意味では加害者側の家族や親族も被害者だと思うのです。
被害者も排除されるというのは理解されにくいかもしれませんね。実際に、親族が殺された人が職を失うこともあります。「殺される理由があったんじゃないか」などと言われたりして居づらくなるのです。悲しんでいれば「いいかげんに気持ちを切り替えろ」と言われるし、笑っていれば「もう忘れたのか」と言われる。被害者も孤立させられるのです。
だけど死刑制度を支持する人は、「悪いことをしたんだから死刑でいい」「被害者の気持ちを考えれば死刑しかない」と言います。それで被害者の苦しみも解決すると思っている。僕が違うことを感じたり、死刑廃止の運動をすると、「被害者のくせして」「被害者なのに」と非難する人も多いです。被害者はひたすら加害者を憎み続け、死刑を支持し、執行されたら気持ちを切り替えなければいけないのでしょうか。
僕を非難する人に問いたい。「じゃああなたは僕が困っている時に手を差し伸べてくれましたか」「被害者の気持ちがわかるなら、その人たちのためにできることを考え、奔走しているんですか」と。
今、いろいろなところで話をさせてもらいます。すると死刑制度を支持しながら、ほとんど知識のない人が少なくありません。最低限の知識と、被害者が置かれている状況や気持ちをある程度は知ったうえで議論してほしいと思います。(2004年11月19日インタビュー)(https://www.jinken.ne.jp/other/harada/harada2_b.html)
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犯罪事件が発生し、警察が捜査・取り調べの結果、容疑者が逮捕される。その段階から被害者や被害者遺族は事件の埒外に放置されます。裁判がいつ開かれるか、法廷の状況、結審の顛末も、事実上、関係者とは無関係に進められていきます。いまでは被害者が裁判に出る(法廷で意見を述べるなど)という段階(被害者参加制度)が踏まれるようになりましたが、実際は「被告」の身柄は国家が拘束してしまいます。「法務大臣あての嘆願書」がいかに扱われたかを見れば、国家が裁くという姿勢は、「被害者・遺族」とは無関係であるという一貫した姿勢をあからさまに見せつけています。「国家が定めた法律に反した犯罪者」を裁くのは権力の行使であり、そこに何の問題があるものか、それが一貫した権力の姿勢です。「権力に盾ついたから、処罰するのだ」というのです。

「被害者遺族として彼等に対し望み要求要望する事は決して死刑執行ではなく謝罪、償いだと考えます。生きる存在があるからこそ、そこに謝罪、償う意識が生まれるのではないかと考えています」
極刑を望む被害者・遺族がいることは事実です。しかし、そうではない人もおられます。刑の執行は、もちろん被害者・遺族には知らされません。それを後に知った時、「生きる支えを奪われたように感じた」と語る人もおられました。国家権力の「都合」で裁判は展開されるのです。問題の所在はどこか、簡単ではありませんが、考えつづけなければならないことだけは確かです。
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余話として 上に示した大山寛人君。彼は著書のタイトル通り『僕の父は母を殺した』という、過酷な人生を歩まされてこられました。詳細は省きますが、この著者ができるきっかけになった出会いがありました。編集者も同席されていました。ぼくの友人だったジャーナリストが大山君の状況を取材していた過程で生じた出会いだったのです。加害者と被害者というとらえ方をして「遺族」を語るとき、大山君は「加害者であり被害者である遺族」という、稀有の立場に置かれたのでした。
死刑の問題は、「殺されたから、殺して何が悪い」という「道徳感情の」発露を、国家が「法の裁きという名の肩代わり」によって権力を行使する、それで一件落着です。それが「死刑執行」です。私人間の争いから、一瞬のうちに「国家に対する謀反」だから、国家が死刑に処するという状況に転換されていきます。ここに、どうしても納得のいかない深い闇が現れます。「勧善懲悪」という秩序の維持であるなら、なぜ、いくたの脱法者(政治家に多いのはどうしたことか)を国家権力は裁かないのか。それはいかにも恣意であり私意でありすぎます。後を絶たない「冤罪」はどうか。よしんば、法の裁きを認めるとして、どうしてそれは死刑なのか。「国家権力よ、勝手に殺さないでくれ!」という叫びが聞こえますか。
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