
《 弟を殺した「彼」との面会は、4回に及んだ。煮えたぎる思いが消えたわけではない。だが、小さな光が見えてきた気がした―。死刑確定囚との面会の機会を広げる刑事施設・受刑者処遇法改正案が18日、衆院を通過した。その成立を、ある被害者遺族が願っている 》(朝日新聞・06/04/19)
実弟を殺害された遺族が死刑判決を受けた被告(当時)に面会し、じかに謝罪の言葉を受けられたことがありました。以来、その人は死刑制度に大きな疑問をもつようになり、いまではその廃止にむけて積極的に関わっておられます。ゆれ動いた心の軌跡にははかりしれない苦悩が刻印されているようです。
現行法制下では死刑確定囚は親族や弁護人、教誨師以外との面会や文通は原則的に禁じられています。「信条の安定を害する恐れのある交通は制約すべし」という法務省の通達がその根拠となっているのです。

原田正治さん(58歳)は83年に実弟の明さん(当時30歳)を殺害されました。
殺害事件の概要は以下の通りです。
「原田さんの弟・明男さんは、トラック運転手だった。1983年、30歳にして仕事中に亡くなった明男さんは『居眠り運転中の自損事故』とされた。しかし1年3ヵ月後に雇い主による保険金殺人だったことが発覚、以来、当時36歳だった原田さんの人生は大きく変転する。/自宅に押し寄せるマスコミ、一度は支払われた保険金の返還請求、会社を休んで裁判を傍聴することに冷ややかな会社との軋轢。同じ「被害者遺族」という立場でも、母親とも妻とも少しずつ事件の受け止め方は違う。家庭のなかで感じる孤独。お酒や遊びに逃げたこともあった。」(ニューメディア人権機構「原田さんへのインタビュー」より)
原田さんの語るところ。
《事件が発覚するとすぐマスコミが押しかけてきました。近くに住んでいたおふくろも当時小学生だった二人の子どもや妻もしばらく家から出られませんでした。僕はなんとか仕事には出ていましたが、帰宅すると物陰にひそんでいたマスコミの人が飛び出してきたりして、事件のことをゆっくり考える暇もありませんでした。

全国的に大きく報道されたほどですから、地方のちいさな町ではもう大事件です。自分の家を取り囲む空気をとても重たく感じましたし、友達との関係も変わりました。僕のひがみかもしれませんが、それまでよりも一歩ひいた感じで接してくるような。
返還を要求された保険金も葬式や法要の費用、弟の借金として長谷川君(明男さんの雇用主にして殺害を指示した人物)に支払ったりして(明男さんの借用証がなかったため、原田さんは嘘であろうと推測している)、すでに一部を使っていました。「返還しないと不当利益です」とまるでこちらがだまし取ったような言い方をされて腹が立ちましたが、すぐに返せる当てがなく困りました。行政や弁護士に相談してもきちんととりあってもらえません。おふくろや妻はそれぞれ自分の不安でいっぱいで、相談できる雰囲気ではない。「事件が明るみにならなければよかったのに」とすら思いました。みじめで悲しい思いをすることばかりで、孤独と社会への不信感でいっぱいでした。
できることなら自分の手で長谷川君を殴りつけ、思い切り罵りたいと思っていました。それが人情というものではないでしょうか。けれども警察に捕まった後は、加害者は被害者の手の届かないところにいます。たったひとつ、自分の気持ちを出せる場所として、僕は一審の時に証言台に立ちました。「どんな処分をしてもらいたいですか」と検察官に聞かれ、「極刑以外には考えられません」と答えました。実際、当時の僕は「殺してやりたいほど憎い」と思っていました。検察官は僕がそう答えるのを予想したうえで尋問したのだと思います。
今だから言えることですが、僕は感情に左右されていました。それまで死刑制度のことなんて考えたこともなかったし、裁判の仕組みも知らなかった。まして自分が殺人事件に巻き込まれるなんて夢にも思ってなかったのです》

《 初めて面会に行った時、彼はニコニコしていました。その笑顔を見て負けちゃったんですよ。なぜ面会に行ったのかというと、裁判ではわからなかったいろいろなことが彼から聞けると思ったし、謝罪も直接受けたかったからです。手紙にもいつも謝罪の言葉を書いてきていましたが、やっぱり顔を合わせながら謝罪を受けるというのが一番いいんじゃないでしょうか。長谷川君からは何百通も手紙をもらいましたが、それでも20分の面会の重みにはかないません。表情や話し方、仕草などからいろいろなことを感じ取れるのです 》
《 だからといって長谷川君を許したわけではありません。情が移ったからと許せるほど簡単な話ではないのです。ただ、彼が本当に「謝りたい」という気持ちをもっているということは感じられました。そして僕自身、彼から直接謝罪の言葉を聞くことで、誰のどんな慰めよりも癒されていくように思ったのです。長い間、孤独のなかで苦しみ続けてきた僕の気持ちを真正面から受け止めてくれる存在は長谷川君だけだと感じたのです 》
《 死刑制度を肯定する人たちは、よく「被害者の感情を考えれば、死刑も必要だ」と言います。確かに僕も一時は死刑を望みました。だけど怒りや混乱のなかで、死刑や死刑制度がどういうものなのかも考えたことも知識もなく、感情的になっていたのです。長谷川君と交流するうちに、彼から直接謝罪を受けることが何よりの癒しになることに気づいたから「死刑にするのは待ってほしい」と何度も法務省に申し入れたのですが聞き入られませんでした。
裁判所や法務省は死刑判決や死刑執行の際に「被害者感情を鑑みて」と言います。だけど「死刑は待ってほしい」と主張しても執行するなら、被害者感情など考慮していないということではないでしょうか。少なくとも僕はそう感じています。

死刑が執行されてもされなくても、僕の苦しんできたことは消えませんし、弟が生き返るわけでもありません。長谷川君がしたことへの怒りもなくなることはありません。「被害者感情」とは、そんな単純なものではないのです 》
「長谷川君」の死刑が確定してまもなく、彼の息子が自殺した。20歳という若さだった。その数年前には姉も自殺している。いずれも遺書は残されていなかったが、父であり弟である「長谷川君」のことで思い悩んだ末のことと原田さんは受け止めている。
原田さん自身は’98年に脳出血で倒れ、しばらく車椅子の生活を送った。今も後遺症を抱えている。妻とは離婚し、住み慣れた町を離れてひとり暮らしをしている。「事件」がなければ病気や離婚はなかった、とは言い切れない。しかし多くの人の人生が暗転した遠因であることには間違いないのではないだろうか。「長谷川君」の家族もまた被害者だと原田さんは言う》(同上)(http://www.jinken.ne.jp/about/index.html)(つづく)
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