無関心が冤罪を許してきた

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 老弁護士の勇気 『死刑台からの生還』 

 死刑囚として最高裁で刑が確定したあと、それが無実の罪だったとして釈放された事件に、免田事件、財田川事件、松川事件、島田事件などがある。

 この本は香川県の山村で発生した、「財田川事件」をテーマにしたものである。

 死刑を宣告されたものが、一転して無罪になる。ドラマチックである。そのとき、主人公はマスコミで、あたかも英雄のようにあつかわれる。(左上写真は矢野弁護士)

が、しかし、無実のものが死刑を宣告されたときのほうが、はるかにドラマチックであるはずである。このとき、マスコミは彼がいかに残忍非道な男か、これでもかこれでもかとばかり書きたてる。彼の無実を主張する新聞はない。

 それから三十数年たって、おなじ新聞が彼がいかに無実だったか、を報道する。

 もちろん、これから彼が当たり前の市民生活をするためには、彼がどのようにして罪におとしいれられたかが書かれたほうがいいし、このような人権蹂躙が黙殺されていいわけがない。それでもなにか割り切れない気持が残る。

 冤罪事件は珍しくない。しかし、冤罪は本来ならばけっしてあってはならないものである。当事者にしてみれば、彼の存在の全否定である。彼がどれほど真実を主張しても誰も耳をかさない。そして、極刑が宣告される。想像するだけでも恐ろしい。カフカ的状況である。

 ところが、冤罪事件にたいして、たいがいのひとは無関心である。というのは、警察に捕まるほどだから、彼はどこか怪しいところがあるのだろう。まじめに暮らしている自分にはまったく縁のない世界だ、との思いこみがある。

 だからこそ、濡衣を着せられたものはつねに孤立し、孤立させられている間隙を縫うように、つぎつぎ冤罪がつくりだされてきた。

 ひとびとの無関心が冤罪を許してきた、といってもいい。

 「財田川事件」は、ひとりの死刑囚の逮捕から釈放されるまで、その三十数年を書いた記録である。法廷での弁護士と検事との白熱のやりとおりを中心に据えた。法廷ドキュメントを書きたかったからだが、すべて実際にあった応酬である。

 それによって、無実が証明され、無罪になっていく道筋と被告の青春を奪った権力の暗闇を照射したかった。谷口繁義さんの無罪を信じて、たったひとり、敢然とたたかった、いまは亡き矢野伊吉弁護士の勇気を、自分なりに顕彰したかった。(鎌田慧『時代を刻む精神』所収。七つ森書館刊。2003・初出の原題は「老弁護士の勇気」)この『死刑台からの生還』の初版は立風書房(1983)から出版されました。現在は岩波現代文庫に入っています。(蛇足です 鎌田さんには大変にお世話になってきました。この数年は行き来は絶えていますが、いったいどれほどの教えを受けたことか、と深く感謝しているのです)

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(関連記事)北山六郎氏が死去-財田川事件の弁護団長=財田川事件や甲山事件で弁護団長を務めた弁護士で元日弁連会長の北山六郎(きたやま・ろくろう)氏が4日に心不全のため神戸市灘区の病院で死去していたことが7日、分かった。85歳。京都府出身。(中略)/ 東大卒。神戸弁護士会(現兵庫県弁護士会)に弁護士登録。日弁連人権擁護委員長を務め、1986年に東京、大阪以外の弁護士会から初の日弁連会長に就任した。/ 死刑囚が無罪となった香川県の「財田川事件」再審や、長期裁判の末に無罪が確定した兵庫県の「甲山事件」差し戻し審などの弁護団長のほか、日本尊厳死協会の理事長、会長も務めた。(四国新聞・2008/01/08)

〇 財田川事件(さいたがわじけん)=1950年(昭和25)2月28日、香川県三豊(みとよ)郡財田村(現、三豊市財田町)で発生した強盗殺人事件。当時19歳であった谷口繁義(たにぐちしげよし)が別件逮捕され、長期間の勾留(こうりゅう)の末に自白し、強盗殺人罪で死刑が確定した。しかし、その後再審が認められ、戦後2件目の死刑囚再審無罪事件となった。[江川紹子](日本大百科全書(ニッポニカ)の解説)

飯塚事件 1992年2月、福岡県飯塚市で小学1年の女児2人が登校中に行方不明となり、翌日、約20キロ離れた同県甘木市(現・朝倉市)の山中で遺体が見つかった。女児と同じ校区に住み、当時無職だった久間三千年元死刑囚が94年9月に死体遺棄容疑で逮捕され、その後、殺人と略取誘拐の罪でも起訴された。久間元死刑囚は捜査段階から一貫して無罪を主張。福岡地裁は99年9月、状況証拠を積み上げて有罪と認定して死刑を言い渡し、2006年9月に最高裁で確定した。再審請求準備中の08年10月に死刑が執行され、元死刑囚の妻が09年10月に再審を請求していた。(2014年04月01日 朝日新聞朝刊)

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 死刑(制度)に反対する理由はいくつかある。そのなかでももっとも有力(決定的)なのは「無実(無罪ではない)の人」を有罪にする「冤罪」の危険性です。「死刑台からの生還」はそれを如実に表しています。「飯塚事件」(新聞記事を出しておきました)はすでに「被告」の「死刑執行」がなされたのですが、いまでは「冤罪」であったことが強く疑われています。

 裁判制度にもさまざまな課題や問題点が指摘されています。2009年に施行された「裁判員裁判制度」。ぼくは初年度だったかに、その「候補者」に指名されたことがあります。担当事件はは当時居住していた地方で発生した「殺人放火」事件でした。そのときは避けられない所要のために辞退しました。いまでも、この制度は裁判制度にはなじまないものがあると強く考えています。また、今春は「検察庁法」の改正問題で許しがたい憲法違反が内閣によって引き起こされています。警察・検察を含め、かなり根本的な部分に問題をはらんでいるといわざるを得ない状況にあります。「人が人を裁く」ための「陥穽(おとしあな)」はどこにあるのか。

 そのような課題山積の渦に見舞われているのが裁判制度であり、死刑(制度)問題だとぼくには思われます。「死刑の是非」、それを問うことも大事です。しかし、「冤罪」が皆無でないこの島社会の「制度」について、はたして何もしないでこの制度を温存しておいていいのかという思いがいっそう募ります。

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投稿者:

dogen3

 語るに足る「自分」があるとは思わない。この駄文集積を読んでくだされば、「その程度の人間」なのだと了解されるでしょう。ないものをあるとは言わない、あるものはないとは言わない(つもり)。「正味」「正体」は偽れないという確信は、自分に対しても他人に対しても持ってきたと思う。「あんな人」「こんな人」と思って、外れたことがあまりないと言っておきます。その根拠は、人間というのは賢くもあり愚かでもあるという「度合い」の存在ですから。愚かだけ、賢明だけ、そんな「人品」、これまでどこにもいなかったし、今だっていないと経験から学んできた。どなたにしても、その差は「大同小異」「五十歩百歩」だという直観がありますね、ぼくには。立派な人というのは「困っている人を見過ごしにできない」、そんな惻隠の情に動かされる人ではないですか。この歳になっても、そんな人間に、なりたくて仕方がないのです。本当に憧れますね。(2023/02/03)