自分の心を粉飾するな、祈れ

 渡部良三著『歌集 小さな抵抗 殺戮を拒んだ日本兵』(岩波現代文庫、11年11月刊)

 一九四四年春、大学一年生で招集され、ただちに中国大陸に移された渡部良三さん。「新兵として、戦闘時における度胸をつけるため」と称して、中国共産党第八路軍(八路・ハチロまたはパロといった)を捕虜として捕縛されていた五名の中国人を、新兵四八人に虐殺(刺突・しとつ)させた。だが、たった一人の新兵が命令を拒否した。まさしく「敵前抗命」(銃殺刑に相当する)であった。以後、彼は要注意人物として、徹底した差別とリンチ(私刑)を受けつづけることになる。

 この「歌集」は内容といい、思想、姿勢に至るまで、異様というほかないものだといいたい。横暴傍若、抗すべくもない権力に「身を賭して」まつろわなかった一学徒兵の魂が残さなければならなかった記録だとぼくには思われました。「小さな抵抗」と渡部さんはいわれますが、帝国軍隊には看過しえない存在だった。

 《 一九四四年春私は学徒兵として、大中華民国河北省深県東巍家橋鎮(現在の中国)という小さな屯に派遣された。駐屯部隊の一兵として教育訓練の日々を送っていた。鉛色の空が時に雲を薄くして日が射すかと思わせるような、すっきりしない日和の朝食の刻であった。内務班と呼ばれる兵等の居室で、折畳み式の細長い座卓を並べ、一五名の兵に担当分隊長一人、分隊付上等兵(分隊長の補佐、班付ともいう。自衛隊における士長)一人計一七名が朝食を摂っていた。いただきますという兵等の声が響いて幾許かの時間が経った時である。ばん! と食卓を叩き付けるような音と共に班付が立上がった。兵等は驚き一斉に班付の顔に視線を当てた。兵営内は朝食時間の静寂を刻んでいた。班付が口を開いた 》(渡部良三『歌集 小さな抵抗 殺戮を拒んだ日本兵』初出は94年シャローム図書より刊行)

 《「飯を食い乍らでよいから聞け。分隊長殿に代って伝達する。今日は教官殿の御配慮によりパロの捕虜を殺させてやる。演習で刺突(しとつ)してきた藁人形とは訳が違うから、教官殿の訓示をよく聞き、おたおたしないで刺し殺せ!おどおどして分隊長に恥をかかせたりしない様にな。いいか…」

  驚愕と戸惑いと共に、どうにかならないかという漠然たる観念の堂々めぐりの中で、最も重要な位置を占めていたのは、この殺人演習を拒否すべきかであった。小さい頃から、自分の命も他人のそれと同等に置けない人間は、神の教えに背く者だと躾られてきたことに思いを致せば、当然、聖書の〝汝殺す勿れ〟をあげる迄もなく、答えは拒否の一事しかないのに、自分がどうしたたらよいのかなどと考える事自体異状であった。故郷を後にする時、山形の小さな旅館で、何時間かを過したあの日、父から与えられた言葉「…お前はこれから戦争に征くが、私の知っている限り日本の軍隊はお前のその冷めた眼を容れる事はないだろう。…今別れて戦地に行ってしまえば、父親として何もしてやれない。一言の助言もできない。それが切ない。しかし良三、どうか神に向って眼を開いていて呉れ」

 「最近内村鑑三先生の聖書の研究を読んでいたら、こう言う事が書かれていました。〝事に当たり自分が判断に苦しむ事になったら、自分の心を粉飾するな、一切の虚飾を排して唯只管に祈れ。神は必ず天からみ声を聞かせてくれる〟と。だから心を粉飾することなく祈りに依って神様のみ声を聞くべく努めなさい。お前の言葉でよいのだ。言葉など拙くてもよい」》(同上)

 「殺す勿れ」そのみおしえをしかと踏み御旨に寄らむ惑うことなく  

 天皇はいかな理(わり)もてたれたもう人殺すことかくもたやすく 

 「捕虜殺し拒める奴はいずれなる」週番士官は興のあり気に 

 「渡部二等兵一歩前へ!」の号令に週番士官確かめ終えつ

《 私は戦場から生還し五〇年近い年月を経た時に故あって、有名な歴史学者でかつて大学教授だった方と…戦場における色々な行動について議論したことがありました。その方は「戦場において英雄的行動は期待効果が薄い(中略)虐殺拒否をする前に何故徴兵拒否をしなかったのか」と多分に批難をこめたと思われる調子の質問を受けました。

 この一言をきいた時、世の人々は虐殺拒否を英雄的行動と認(み)るのかと、むしろ愕然としました。当時反体制の立場に立つことによってうける迫害はこの平和の時代に在ってはとうてい想像出来ない恐怖であったが、その立場に立つ事が、英雄的などと誰が念頭におき、行動するでしょうか。    

 兵役拒否をしようと…、海外逃亡をしようとも、日本人である限りその歴史(的)責任から逃れることは出来ません。謂うなれば「天皇の赤子」(せきし)と持ち上げられ、天皇の名において侵略し戦争し略奪し強姦し火付けし無差別殺人をした将兵とどれだけのちがいがあろうか。外の目には五十歩百歩と映るでしょう 》

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●〈鳴りとよむ大いなる者の声きこゆ 「虐殺こばめ生命を賭よ」〉―― アジア太平洋戦争末期,中国戦線で中国人捕虜虐殺の軍命を拒否した陸軍二等兵の著者は,戦場の日常と軍隊の実像を約700首の歌に詠み,密かに日本に持ち帰った.この歌集こそ戦争とは何かを描く現代史の証言であり,キリスト者による希有な抗いの記録である.(同書解説=今野日出晴)

■編集部からのメッセージ 本書は,日本陸軍の兵士として中国戦線を二年間従軍しながら,人を殺すことを拒み続けた一人のキリスト者が,兵士として戦場の日々を詠んだ約700首,戦場に行く以前と復員後に詠んだ歌も含めると924首が収録された歌集です.戦地の厳しい監視のなかで密かに詠まれ,記された短歌を巧みに祖国に持ち帰った著者は,国家公務員を定年退職後に本格的に歌集の編集に従事して敗戦後約50年も経ってから歌集として刊行しました(シャローム出版,1994年).

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 渡部(わたべ)さんの書を、ぼくは戦慄を覚えながら読んだ。その当時の心境をいまでも鮮烈に記憶にとどめています。この歌集本が出版されるについても、つらい体験が裏打ちされていました。「人を殺さない」という一念が、一兵士をどんなに残酷は国家の仕打ち(虐待)に耐えさせたか。民が困っているから、急場しのぎに「給付金」などとお為ごかしをするのも国家の姿ですが、死なないように「殺す一歩手前のいたぶり」「寸止めの殺害」を犯し、いのちを「蹂躙する」のも国家です。それを「人民の同士討ち」でやらせるという無体・卑怯千万の振舞い。「美しい国」などというのはありえないし、それを「国家の本性」などと糊塗するのは虚人の本性でしょう。人民のいのちを歯牙にもかけていない、それこそが「国体の本義」なんだぞ。

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。