茨木のり子さんは大阪市生まれで、愛知県西尾市で育つ。詩人。(1926-2006)。昭和十八年、東京の蒲田にあった帝国女子医学・薬学・理学専門学校(今の東邦大学の薬学部)に入学。20歳で敗戦を迎えられた。

戦争中、なんど東海道線に乗って郷里に帰られたことか。そこから生まれた一編の詩。題して「根府川の海」。
小田原→早川→根府川→真鶴→湯河原→熱海とすぎゆく、その根府川を読んだ詩。(夏の盛りに咲くカンナ。ぼくは幾度も、この駅に降りたことがありましたが、真夏の記憶がない。花言葉は「情熱」「妄想」とも)
根府川の海

東海道の小駅 赤いカンナの咲いている駅 たつぷり栄養のある 大きな花の向うに いつもまつさおな海がひろがつていた 中尉との恋の話をきかされながら 友と二人こゝを通ったことがあつた あふれるような青春を リュックにつめこみ 動員令をポケツトにゆられていつたこともある 燃えさかる東京をあとに ネーブルの花の白かつたふるさとへ たどりつくときも あなたは在つた 丈高いカンナの花よ おだやかな相模の海よ 沖に光る波のひとひら あゝそんなかゞやきに似た十代の歳月 風船のように消えた 無知で純粋で徒労だつた歳月 うしなわれたたつた一つの海賊箱 ほつそりと 蒼く 国をだきしめて 眉をあげていた 菜ツパ服時代の小さいあたしを 根府川の海よ 忘れはしないだろう? 女の年輪をましながら ふたゝび私は通過する あれから八年 ひたすらに不敵なこゝろを育て 海よ あなたのように あらぬ方を眺めながら……

敗戦当時を回想して、茨木さんはつぎのように語られています。
《今から思いますとね、最初はそれこそ軍国主義的にマインドコントロールされてたんですよ。マインドコントロールなんか、ほんとに今のはやりですけれど、あれは昔っからあったのでしてね。がんじがらめにさせられてたわけ。それが郷里に帰りまして、一月とたたないうちに民主主義者になってたんですよ(笑)。
それが今ふりかえると許せないって感じ。その程度のものだったのかなあという感じですね。国のために死のうと思ってましたから。

もうね、戦争に負けたら、とたんに新聞がばあっと民主主義になっちゃったわけですよ。だから新聞読むと、そうか、間違ってたのかって具合に、また洗脳され始めるわけですね。せめて一年ぐらいはね、自分でもう少し考えとけば良かったなって思うんですけどね。もう、情けないなって今になって思いますね。自分があんまり軽薄だったのが許せないって思います》(インタビュー「二十歳の頃」より)
戦時中は「軍国少女」で、敗戦後はぱっと「民主主義者」になった自分。そんな浮薄な自身が情けなく許せないと、そこから生まれたのが「自分の感受性くらい」だった。一編の詩に託された、叱咤、覚醒の声音。それは半世紀にもわたって発せられていたのです。「わずかに光る尊厳の放棄」、それをこそ「自分で守れ」

この持続する志(姿勢)に、ぼくたちは驚いてもいいでしょう。「自分があんまり軽薄だったのが許せないって思います」という、茨木さんの「過ちの原点」から、すべて(戦後)は発しているにちがいない。まちいは人のつね、そのまちいをみずからの根っ子にしっかりと据えること。自らの過ちを自分に隠さないこと、それが「正しさ」の感覚を養い、方向を定めるのではないか、まちがいの記憶、それは導きの糸なんだとぼくは考えています。
教育というのはどこにでもある。だが、たしかにあると誰しもが思っている学校にこそ、もっとも教育は欠けている。教育ではなく、反教育、つまりは強制や命令が教育の名によって好き放題に振る舞われているのではないか。
いったい、なんのためだれのための教育か、茨木さんの経験にならって、それをこそ、ぼくたちは考えつづけなければならない。

〇 茨木のり子 詩人。本名三浦のり子。大阪府生れ。帝国女子薬学専門学校卒業。1953年川崎洋とともに同人雑誌《櫂》を創刊。ヒューマニズムに基づく批評精神を持ち,代表作〈わたしが一番きれいだったとき〉で戦時下の女性の青春を描いた。主著に詩集《対話》(1955年),《見えない配達夫》(1958年),《鎮魂歌》(1965年),《人名詩集》(1971年),《自分の感受性くらい》(1977年),《倚(よ)りかからず》(1999年),評伝《うたの心に生きた人々》(1967年),50歳ころからハングルを習得し,訳詩集《韓国現代詩選》(1990年)などがある。(百科事典マイペディアの解説)
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