苦難に塗(まみ)れながらも…

 金 ぼく個人は、この一年、若い民族学校の教員たちとの関係を築いている。彼らは幼稚園から総連の民族学校で育ってそのまま民族学校の教員をしているから純粋培養の意識体だが、拉致問題によって祖国にある懸念を持ち始めている人たちである。「民族学校の教員をやって何の意味があるだろうか」と聞いてくる。それは北共和国への懸念と言うよりも、自分の生き方への問いがようやく始まったと思うべきだ。教える立場の自分にまず決着をつけていく自信がなければ民族学校の教員をやめることやと、率直にいってあげている。

  非常にむずかしい問題ですよ、実際はね。

 金 「私はどうしたらいいでしょうか」と言う人に過激なことをいうのは、魯迅の言葉に依拠している。部屋に閉じこもっている人に「窓を開けろ」といっても開けない。「壁を破れ」と言って、ようやく小窓が開くぐらいだ。若い人たちにいつも、「活動やめて一般市民にかえれ」と、そればっかり言ってる(笑)。

 梁 在日の新しい世代は、僕らの世代とはずいぶん違うと思うのね。ぼくも若い人たちと話すと、アイデンティティをどう表現したらいいのかわからない、という。先日も朝鮮大学の学生と話しましたが、ぼくの本を読んでいることにそもそも驚いたわけです。金石範、金時鐘、そして僕の本は何年か前までは読んではいけないと言われていた。でもいまは読めるというわけです。

  拉致問題が露呈してから、拉致という非常におぞましいことがあったけれども、よかったと思うことが二つある。一つは、日本人との関係で感情的軋轢が昂じなかったこと。一方的な北バッシングが起き、朝鮮学校の子どもたちが罵られたり、痛い目にあったという話もあるけど、在日の私たちの側が同じようにいきり立たなかったということは幸いだった。日本人の側でも心ある人たちは、一方的なバッシングを危惧している。狭隘な民族主義の跋扈をあおるものだと、日本人からの自制も起きている。

 もう一つは、石日が言ったように、在日の若い世代たちが拉致問題を契機に在日定住者の自分を見つめる気運が、かなり広まっていることです。非常におぞましい事件ではあったが、自ら考えようと言う気運が在日同胞の中に広まってきたのはプラスだった。(以下略) (金時鐘・梁石日「我らが文学と抵抗の日々を想起する」『世界」04/7月号)

 (*金時鐘(キム・シジョン)…詩人。1929年生まれ。48年日本に渡航、「チンダレ」主宰。兵庫県立港川高校で朝鮮語教師。『地平線』『新潟』『猪飼野詩集』『在日のはざまで』他)

 (*梁石日(ヤン・ソギル)…作家。1936年、猪飼野生まれ。「チンダレ」同人。タクシー運転手などを経て作家に。ノンフィクション『タクシードライバー日誌』は『月はどっちに出ている』の原作。『骨と血』『夜を賭けて』『夜の河を渡れ』『タクシー狂躁曲』『修羅を生きる』など)

 十数年前の対談をもちだした理由は明確だというわけではありません。このところ(だけではないが)、さまざまな分野で日本と韓国の関係というか軋轢が深まったりゆがめられたりしているのを見るにつけ「在日問題」の根っ子の部分(核)が見えなくなってきているようにもおもわれるので、あらためてご両人の語りを聞いてみたくなったという次第です。(韓国に関してはどうか、自信を持って言えませんが)この島社会の為政者・政治指導者は(笑うべき、唾棄すべき言い方です。当人たちにとって「政」とは何ですかね)自分たちの政治の軌跡(手法)が怪しくなると「外敵」を叩く、それに煽られるために付和雷同する分子が周りに待機している。いつでも相手を攻撃する準備ができているのかどうか、やがて、「火種」が発火する、そんな見苦しいコマ送りの連続です。これをして「日韓関係」といってはならない。

 金時鐘氏の「詩」を一つ。題して「見えない町」。

なくても ある町。  そのままのままで  なくなっている町。  電車はなるたけ 遠くを走り  火葬場だけは すぐそこに  しつらえてある町。  みんなが知っていて  地図になく  地図にないから  日本でなく  日本でないから  消えててもよく  どうでもいいから  気ままなものよ。   (『猪飼野詩集』所収)

「猪飼野 大阪市生野区の一画を占めていたが、1973年2月1日を期してなくなった朝鮮人密集地の、かつての町名。古くは猪甘津と呼ばれ、5世紀のころ朝鮮から集団渡来した百済人が拓いたといわれる百済郷のあとでもある。大正末期、百済川を改修して新平野川(運河)をつくっており、この工事のため集められた朝鮮人がそのまま居ついてできた町。在日朝鮮人の代名詞のような町である」(金時鐘『猪飼野詩集』より)

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投稿者:

dogen3

「上を思えば限りがないと、下を見て咲く百合の花」になれるものなら、という想いです。それこそ、「高嶺の花」ですが。「昨日は俗人 今日は僧、生涯胡乱(うろん)これがわが能」と自称した一休さんは、一面では「相当な人物」だったと、歳をとるとともに思わされています。