生きることに降りたって…

 《 詩とは、他者の生と「兼ね合うもの」だと思っています。「書かれない小説は存在しないが、詩は書かれなくても存在する」というのが私の信念です。

 例えば、京都大には反原発の中心的な役割を果たし、チェルノブイリに行って分厚い報告書を作られた先生がいました。しかし反原発というだけで彼は最後まで助手だった。広島で何十年もの間、どこかの国が原爆実験するたびに同じ場所で座り込みを続けた名もない人がいます。そういうこと自体が詩なんです》(東京新聞・11/10/14)

 こう語るのは金時鐘さん。(詩人。一九二九(昭和4)年日本統治下の朝鮮元山生まれ。済州島で育つ。四八年の「4・3事件」後に来日。詩集に『地平線』『日本風土記』『新潟』『猪飼野詩集』『光州詩編』『原野の詩』『『失くした季節』など。評論に『さらされるものとさらすもの』『「在日」のはざまで』『わが生と詩』など多数。

 《 金さんにとって日本語への思いは複雑ですね。

 八月十五日は日本では終戦の日ですが、私たちの国では解放の日。今年は六十六回目でしたが、「私は本当に解放されたのだろうか」と毎年自問にします。/ 日本統治下の朝鮮で、私は天皇陛下の赤子であることが一番いいと諭され、がむしゃらに日本語を勉強しました。大日本帝国に帰属し、近代化が遅れた朝鮮が開明することはいいことだと思っていたのです。(中略)/ 朝鮮で生まれ、朝鮮人の親元で育ちながら、自分の国の言葉で「あいうえお」が書けなかった。私の意識は日本語で下地ができたんです。言葉とは意識、光みたいなもの。私は自分の意識をつかさどる日本語に無垢だった。/ ところが、祖国が解放されて切れたはずの日本に来て、また日本語で考え、日本語で書いている。そうすると自分は何から解放されたのかという思いに常にとらわれるのです》(同上)

 ぼくが敬愛してやまない詩人の金時鐘さん。親しくお話を伺ったこともあります。「在日」問題、ぼくにとって、それは金氏の片言隻句によって培養されたといっても過言ではないと、深い思いをもって言いたいのです。

 別のところで、次のようにみずからの「根のない草」のような有り様を,しかし強靭な感性で語られています。

 《 私は日本語によって育成され、その日本語によって伸びざかりの過去を失くしもした。いわば日本語は私の生成の節くれた年輪とも言えるものだが、余儀ないこととはいえ日本での暮らしも間もなく五十年を重ねる。過ぎてみればあっけない感じの年月だが、一時しのぎの滞日のはずが、生涯を居坐らせる「在日」ともなってしまった。六十の老い坂を異国でよじるということは、見るべき青山はもう見てしまったということでもあるのだが、それでも私には、先は見えたという感傷も悟りもあきらめもない。

 やってくる日々は誰にも等しい時空だからだ。果てしない時をきりもなく、小刻みに刻んでいる生がたぶん老いなのであろう。何年生きようと残された歳月がより重く、生きつづけるのはより長い年月だ。親の死に目にも会えずじまいの「在日」であったが、それでも自分の詩のためには幸いな場であったとも思っている。本国でもし生き長らえたとしても、それこそ鼻もちならない抒情詩人で自壊したか、さもなくばその日ぐらしに追われて、間違いなく自滅したことだったろう 》(金時鐘「日本語の石笛」『わが生と詩』所収、岩波書店刊)

 《 今、生きることに降りたってものを考えようということが、せめて詩を書く仲間たちから起きないものかと思う。現地から痛ましくも声が上がりました。「原発さえなければ」と自殺した人が上げた声。命と引き換えた言葉です。

 それが「元気を出しましょう」「がんばりましょう」では、壁にあの言葉を刻みつけて命を絶った人が視野に入ってない。

 説破詰まった思いを共有できる言葉がないとあかんねん。現場で茫然自失した人たちにうずいている言葉を代弁する表現者が、澎湃とそこらじゅうに出てこんと。そうして他者の生と兼ね合うべきなんやと、そう思います 》(東京新聞・同上)

 「在日を生きる」といったのは金さんでした。「在日」という表現に込められた何重にも矛盾した存在のありかを詩人として、また表現者として求め続けてきた金時鐘のことばを、ぼく自身の生に重ねてみる。

 《 かつて日本の兵隊さんたちは戦争の合間に日暮れともなれば、国の家を思い、妻を思い、子どもを思い、懐かしい歌を歌った。しかしその兵隊さんが、アジアであれだけ残虐なことをした。殺される側への痛みがないのですね。自分への心情はほだしても、他者へとは思いが及ばない 》(同上)ことごとくに問題化するこの島社会と朝鮮半島。ことの起こりは明らかです。問題の「発端から決着まで」があまりにも政治取引に偏していたがゆえに、もつれた糸は解きがたいというほかありません。この問題もまた、わが身のほどによるしかないように愚考しながら生きてきました。ナショナリズム、民族主義、植民地問題、「戦後補償」等々、残された課題はいつまでも両者が相接する瀬戸口に横たわったままです。

〇 金時鐘(キムシジョン)(1929- )在日朝鮮人の詩人。元山生れ。師範学校卒業。1948年の済州島四・三蜂起に関わった。1949年渡日,在日朝鮮人の政治・文化活動に参加した。兵庫県立湊川高校教員となり,日本の公立学校で初めて正規科目として朝鮮語を教え,大阪文学学校理事長なども務めた。主著に詩集《地平線》(1955年),《日本風土記》(1957年),《新潟》(1970年),《猪飼野詩集》(1978年),《光州詩片》(1983年),《原野の詩》(1991年),《化石の夏》(1998年),エッセー《さらされるものとさらすものと》(1975年),《クレメンタインの歌》(1980年),《〈在日〉のはざまで》(1986年。毎日出版文化賞受賞),《草むらの時》(1997年),《わが生と詩》(2004年),金石範との共著《なぜ書きつづけてきたか なぜ沈黙してきたか》(2001年)などがある。(百科事典マイペディア)

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