科学技術、あるいは医療技術、あれこれ


その①
一九九〇年、アメリカ、カリフォルニア州で四十三歳の女性が女児を出産した。彼女の二十歳になる娘が白血病で余命いくばくもなく、骨髄移植をしようにもHLA(組織適合抗原)の一致するドナーが見つからなかったため、新たに子供をつくってドナーにしようとしたのだ。夫は精管結紮(けっさつ)手術を受けており、いったんは永久避妊を選択していたが、瀕死の娘を救うため、精管開通手術を受けた。そして、夫妻は自然妊娠に成功する。兄弟姉妹の場合、HLAが一致する確率は四分の一しかないが、運命の女神はこの家族に…。

このケースはアメリカのマスコミで大きく報道され、全米の関心を呼んだ。難病の娘を救うために新たに妊娠するのは子供を道具化しているのではないかといった批判の声が強かった。骨髄移植を行う際には、ドナーである娘を誘拐するとの脅迫状が舞い込み、厳戒態勢の中で手術が行われた。この病院前からだったか、全米中にテレビ中継された。(●白血病の姉・ケイトを救うために、ドナーとして作られて産まれた11歳の妹アナは、ある日突然、「自分の体のことは自分で決める」と臓器提供を強いる両親を相手に訴訟を起こすが、その裏にはある思いが隠されていた……。ジョディ・ピコーのベストセラーを、「きみに読む物語」のニック・カサベテス監督が映画化。主演は自身初の母親役となったキャメロン・ディアス、アナ役に「リトル・ミス・サンシャイン」のアビゲイル・ブレスリン。2009年製作/110分/アメリカ 原題:My Sister’s Keeper)(「タイム」の表紙を飾った実の「姉妹」)
その②

二〇〇〇年十月、アメリカ、ミネソタ州で体外受精によって男児が誕生、この子の臍帯血はただちに六歳の姉に移植された。姉はファンコニー症候群(腎臓の奇形や再生不良性貧血などを主症状とする病気で、遺伝性の場合が多い)に罹って再生不良性貧血に苦しんでおり、HLAの一致するドナーが見つからなかったため、両親は体外受精によって子供をつくることを決意したのだった。発生を開始した複数の胚の遺伝子をチェックし、HLAの一致したものが母親の子宮に移された。そうして誕生した弟の臍帯血が……。(響堂 新『クローン人間』新潮選書、2003)
かくして、医療の分野では、これまで不可能であったった事柄(医療行為)が次々に俎上に載せられ、驚くべき事態が展開されるようになりました。既存の法律や道徳の範囲(枠組み)を突き抜けるような状況がぼくたちの眼前に突き出されてきたのです。いまもなお、さまざまな分野(領域)で事態は進行しています。医学・農業・化学・工学…。
科学をどのようなものとして考えるか
《…私は、科学という観念に対してそれほどまでに高い価値を与えてはならない、つまり、マルクス主義のように重要なもの、精神分析のように興味深いものを、科学などという名で呼んではならないと思うのです。結局、科学それ自体というものは存在しません。すなわち、科学という名で呼ぶことができ、それが定める規範に到達するものであればどのような形態の言説でも科学と認証することのできるような、一般的な観念あるいは一般的な領界といったものはないということです。科学とは、歴史の全体を貫くようなイデア的なものではありません。

それは、最初は数学によって、次に生物学によって、それからマルクス主義と精神分析によって、というふうに、相次いで具現されるようなものではないのです。そうした種類の考え方のすべてを振り払わなければなりません。科学は、いくつかの図式、モデル、価値付け、コードといったものに従うことによってのみ、規範性を持ち、ある特定の時期に科学として実際に機能します。科学とはつまり、一群の言説のことでああり、一群の言説実践のことであって、それは、慎み深く、全く退屈で単調なものであり、倦むことなく繰り返されるものです。
それらの言説はあるコードに従い、それらの実践はある規範に従っていますが、そのことを得意に思う理由はありません。そして、請け合いますが、科学者たちは、自分たちが科学に携わっているからといって、何らの思い上がりも持ってはいません。彼らは自分たちが携わっているのが科学であることを知っている、ただそれだけのことです。そしてそのことは、コードの共有という一種の共通見解によって知られるのであって、そこから、「これは証明される、これは証明されない」、と言うことも可能になります。そして、そうしたものとしての科学の傍らに、別のタイプの言説と実践とがあって、私たちの社会と歴史にとってのその重要性は、それが科学という地位を手に入れることができるかどうかということには全く依存しないのです》(フーコー「ミシェル・フーコーとの対談」・1971年)

なかなか難解な見解をフーコーは述べています。「科学というものは存在しない」「それは一群の言説、一群の言説実践」であって、あえていえば、ときには「偽化学」がもてはやされる原因にもなるのです。(この部分をさらに論じる必要がありますが、別の機会に譲ります)
次の発言は、長年にわたり、サイエンスライターとして難病をおして執筆活動をつづけておられる柳澤桂子さんのものです。彼女の書かれた著書からの引用を以下に示しました。ご一読されますように。
《ダーウィンの進化論では、環境に適した遺伝子をもつ個体が選択されて生きのこり、増えていくと考える。ところが、ハーヴァード大学のレオンティンは、環境は生物のまわりに存在するものではなく、生物自身がその環境をつくる要因の一つであると考える。環境なしには生物は存在しないとおなじように、生物なしにはその環境も存在しない。したがって、「適応」という概念よりは、「組み立て」あるいは「構成」と考える方がよいとする。生物と環境はともに進化するものであり、生物の変化は、環境の変化の原因でもあり、結果でもある。

人類という動物は、たしかに環境の変化の大きな原因になっている。そして、それが進化というものであるととらえるなら、私たちがどれだけ環境を変化させようと、それは自然の法則にのっとったものである。地球がどうなろうと、宇宙にとってはどうでもよいことである。
しかし、人類はあまりにも変化しすぎた環境のなかでは生きられない。問題は、人類が滅亡するかどうかであり、私たちは何とかして、私たちの子孫に快適な環境を残したいと考える。けれども、私たちはすでに化学的環境を破壊してしまった。さらに、生物環境をも破壊している。そして、いままた遺伝子環境そのものに手をつけようとしている。
生物にとって遺伝子の多様性が重要であることは、かなり前から気づかれていた。実験的に近親交配をつづけた動植物は生存力が落ちてくる。寄生生物などの外敵に対して抵抗力がなくなる。また、子供の数が少なくなり、子供が育ちにくくなる。
生物を構成している個体の数が減れば、近親交配が進み、遺伝子は次第に多様性を失って均一化されてくる。このようにして、その動植物は急速に絶滅への道をたどることになる。


遺伝子が均一化すると、なぜ生物の生存能力と繁殖力が低下するかということはまだよくわかっていない。しかし経験的に私たちはそれを知っている。また、環境が変化したときに、生物はその集団の中から生き残れるものを残して、他は滅びるという過程を経て進化してきた。したがって、遺伝子には多様性があればあるほど、いろいろな環境の変化に打ち勝つことができることになる。生物のもつ遺伝子プールの多様性が生物集団が生き残り、進化していくために必要なのである》柳澤桂子『遺伝子医療への警告』岩波現代文庫版)
科学とはなにかということについて、いろいろな観点から多様に語ることができる、それが科学といわれるものが持つ性格です。科学者自身にあってもいくつかの見解があり得るし、ましてや科学者以外の立場では、そのとらえ方は千差万別であろうとおもわれます。今回はそのうちの一つとして、フーコーの考えをご紹介しました。これも一つのとらえ方です。「科学それ自体というものは存在しません」「科学という名で呼ぶことができ、…科学と認証することのできるような、一般的な観念あるいは一般的な領界といったものはない」と彼は言います。一定のコードに従った「一群の言説、一群の言説実践」があるだけだというのです。「一群の言説や言説実践」を、差し当たっては科学と呼ぶのだ、と。

*柳澤桂子 1938(昭和13)年、東京生れ。お茶の水女子大学を卒業後、分子生物学勃興期にコロンビア大学大学院を修了、慶應義塾大学医学部助手を経て、三菱化成生命科学研究所の主任研究員として活躍中に、激しい痛みとしびれを伴う原因不明の病に倒れる。以後30年以上を闘病しながら、医療問題や生命科学に関する執筆活動を行っている。『お母さんが話してくれた生命の歴史』『卵が私になるまで』『二重らせんの私』『生きて死ぬ智慧』など、著書・受賞多数。(新潮社記)
(不思議な符号ですね、今回は新潮選書が三冊です。ずいぶんと長く、毎月この「選書」をすべて購入し続けてきました。読んだ本(内容)はどこに行ったのか、記憶力はめっきり衰えました)
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