「監視と処罰」の社会から…

 《―その施設には四〇〇人の未婚者がいてその人たちは毎朝五時に起きなければならない。五時半には身繕いを終え、ベッドをかたづけて、コーヒーを飲み終わっていなければならない。六時には義務労働が始まり、終わるのは夜の八時十五分。途中に昼食のために一時間の休憩がある。八時十五分には夕食と、集団の祈り。

 日曜日は特別の日で、この施設の規則第五条には次のように決められている「日曜日は宗教的義務の達成と休息のために捧げられる。しかしながら、退屈のあまり日曜はすぐに一週間の他の日よりもっと疲れる一日になりがちだから、この日をキリスト教的かつ快適に過ごすために、さまざまな訓練がなされなければならない」…ミサも施設内で行われる。/ 日曜の散歩以外は建物の外に出られないし、それさえも監視つきである。寄宿者は給料を貰わず、年額40フランから80フランに定められた代価を、施設を出るときに与えられる。

 この規則には二つの組織原理がある。一つは寄宿者は就寝所や食堂、作業場、あるいは廊下では一人になってはいけない。外の世界との交わりはいっさい避けられなければならない。》(M・フーコー「真理と裁判形態」)

 ある雑誌のインタビューで、フーコー(1926-84)は次のような質問を受けた。

 ― 現在私に非常に重要だと思われる考え方があります。それはあなたご自身やその他例えばドゥルーズなどが提示しているさまざまな形態の監禁の間の関係、学校、軍隊、工場、刑務所の類似という考えです。

 確かにこれらの施設の中には類似性が存在します。しかしそれは偶然だったり外面的な類似でしょうか。それとも本質的な類似でしょうか。確かにそうした施設は人々が一定期間閉じこめられている場所です。しかし閉じこめる原因や目的はもちろん異なりますね。(M・フーコー「監獄的監禁について」聞き手はクリヴィンとランジェラム)(1973年)

 上の質問に答えて、フーコーは以下のように述べます。

 ― あなたがおっしゃった「本質」という言葉には少しひっかかりますね。事柄を最も外面的に見る必要があります。そうですね、十九世紀のなんらかの施設の規則をあなたにご紹介したら、それがどこの規則だかお分かりになるでしょうか。一八四〇年のある刑務所の規則か、それとも同時代の中学、工場、孤児院、あるいは精神病院のものでしょうか。言い当てるのはむずかしいですよ。つまり機能の仕方は同じということです(建築も部分的には同じです)。何が同一なのでしょうか。これらの施設に固有の権力構造が本当のところまったく同一なのだと私は思います。本当は同一性が存在するのであって、類似性が存在するとは言えません。同一のタイプの権力で、同一の権力が行使されています。(同上)

 どこかから一つの「規則集」を取りだしてきて、いったいそれはどこの規則なんですか、と彼は質問者に問を投げかえします。たとえば、次のように。 

 「朝は八時までに建物の中に入っていなければならない、遅刻は許されない」という規則は工場のものですか、それとも学校?官庁?あるいは…。/「みんな、決められた制服を着なければならない」という規則は?

 「ずる休みをしてはいけない」というルールは?/「監督者の命令には服従しなければならない」というのは?

 いたるところにこんな規則や命令が氾濫していますね。その理由はどこにあるのか。

 そして、最初に引用した、ある施設の「規則」を取りだします。

  《この権力は同一の戦略に従いますが、最終的には同一の目的を追求するのではないことは明らかです。生徒を育成するときと、犯罪者を「つくる」、言い換えれば決定的に同化不可能なこの人間、つまり刑務所出身の人間をつくりあげるときとでは、権力は同一の経済目的を用いません。これらの制度の本質的類似とあなたはおっしゃいますが、それには私は完全に同意できません。私に言わせれば、権力システムの形態的同一性です。おもしろいことに現在、精神病院では患者が、高校では生徒が、刑務所では囚人がいわば同一の運動の中で反乱を起こしています。彼らはある意味では同一の反乱を起こしています。同一タイプの権力、言ってみれば同一の権力に反抗しているのですからね。》(同上)(右写真は東京「拘置所」。内部に入ったことがあります、接見のために)

 さて、いったいこれはどんな施設・場所なのでしょうか。それは工場なのか、監獄なのか、精神病院なのか、それとも修道院、学校、兵舎か。それとも…。

  もちろん、フーコーが示した例はフランスの事例であり、ヨーロッパのケースです。しかも、十九世紀半ばのものでした。だからただちにそれがぼくたちの社会にも通用すると考える根拠は不確かだといえますが、ヨーロッパをモデルにして「近代化」を追求した国でしたから、大なり小なりその影響をうけないはずはなかったともいえます。(左上の写真も「監獄」)

 また、一部分とはいえ、例に挙げた規則にそっくりなものがいまなお、ぼくたちの社会のあちこちに認められるというのも、不思議な気がします。

 「監視と処罰」が近代社会の統制原理だということに触れようとしています。フーコーは刑法理論の研究から刑罰の歴史を明らかにし、18世紀の「刑罰社会」から19世紀の「規律社会」までを跡づける作業をなしました。

 フーコーが反対行動に立ち上がったり、根本から批判したりした「監視と処罰」システムは、すでに半世紀以上も前のフランスをはじめとする欧州の社会の歴史に現れたものでした。ぼくたちの島社会には、それとは別個の「監視と処罰」の体系があるのは当然ですが、近代化の具合や程度も欧米並みになった現在において、両者は愛似た状況にあるともいえそうです。(左の写真は、個人の属性を特定する「カメラ」に囲まれた中国のある都市)

 それでは、今日はどんな社会なのか。まだまだ「刑罰」も「規律」も幅を利かせていますが、はたしてそれだけか。あるいは、それらに加えて「監視」の役割を考えてみるのも大切でしょう。ひょっとしたら、わたしたちは「監視社会」に取りこまれているのかもしれません。(『監獄の誕生―監視と処罰―』〔新潮社刊〕を参照のこと)

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 監視の社会化、いや社会の監視化は急速に進みました。現下の「コロナ禍」ではさらに深入りしましたね。お隣の韓国や中国に気を取られている間に、ぼくたちは監視の網に見事に取り込まれていましたね。AIとかなんという隙に、身ぐるみ正体をさらされてしまっている。「勝手にしやがれ」といっている場合じゃないですよ。

 人生の主人公に…

 本日は柄にもなく、いくつかの詩をご紹介したくなりました。これらの詩はいったいどんな人たちによって書かれたのでしょうか。どんな人が書いたのでしょうか。平凡社編『雨の降る日はやさしくなれる』(平凡社ライブラリーoffシリーズ、2005)に収録されているのは140編。表紙の右上に小さく「少年院から届いた詩集」とあります。(ぼくは何度か少年院に行ったことがあります。年齢の関係で「入所」はできませんでした)(左の書籍は、ぼくの若い友人だった葉子さんが残したもの。彼女の死後に、ぼくに届いた。享年32でした)

 最初の和規さん。「幼い頃から父母の緊張した関係の中で育ち、心の空白を埋めるために暴力団に近づき、覚醒剤を覚えてしまった。/ ごつい体とごつい顔。しかし運動会やクリスマスなどに慰問に来た保育園の幼い子を笑顔で見守り、宝物のように大切に抱いてやる彼の姿には優しさがあふれていた」少年院で聖書にであってから、いつの日か牧師になることを夢見ておられるそうです。

なりたい                     和規
心がこわれるほど
苦しくて
やさしい言葉をかけてくれる人
捜したけれど
どこにもいない
ふと思う
捜すような人間やめて
やさしい言葉をかけられる
そんな人間になりたい

 秋信さん。「暴走族のリーダーだった少年。右翼団体に加入したり、暴力団に憧れて近づいていったことが信じられないくらい心優しい。幼少時、父母が離婚、父に引き取られたが、あちこちの施設に預けられて育つ」大人に不信感を持ちやすく、些細なことで落ち込み、傷つきやすい少年だったそうです。

いのり                       秋信  
僕はだれにでも優しく親切になれる  
人間になりたい  
きれいな水のように澄んだ  
心や  
目を  
持ちたい  
そうゆう人間になって  
こまっている人や  
なやんでいる人や  
おちこんであいる人に  
がんばろう  
がんばろうよ  
と 声をかけてやりたい

 昌士さん。「父子家庭で育ち、母不在の心の空白をうめるため暴力団に関係し、シンナーの密売を続けていた。高校中退で知能は高いが、対人関係を維持することが苦手でトラブルメーカー」そんな昌士さんから「雨の降る日は」が生まれたのです。

雨の降る日は                  昌士
雨の降る日は 気分が沈む
気分が沈むと 楽しくない
楽しくないと 心が冷える
心が冷えると 口数が減る 口数が減ると 考える
考えると 自分の間違いに気付く
間違いに気付くと 心が晴れる
心が晴れれば 楽しくなる
楽しくなれば 優しくなれる
優しくなれたら それがいい
雨の降る日は優しくなれる

 この本の「あとがき」を書いておられる評論家の芹沢俊介さん。

 「やさしい言葉を人にかけることができるようになるためには、自分がやさしい言葉を人からかけてもらった経験が不可欠である。無条件に受けとめられた体験がなければ、人を無条件に受けとめることができない。

 彼らは、これまで一度だって人生の主人公になったことがないのではないか。そう思うと、こんな年齢でこうした無私や愛他やつつましさの言葉を、紡ぎ出さざるを得ない心情の核に触れた気がして、哀しみの感情が湧いてくるのをおさえることができない」

 逸脱・非行・不良というラベルはいかにして「貼られたのか」また、そのラベル(レッテル)で呼ばれなくなるときがくるのでしょうか。

 《逸脱とは、なんらかの合意にもとづく規則に対する違反であると定義される。そして、誰が規則を破ったかが問題とされ、その違反に説明を与えるために、彼の性格および、生活状況の諸要因が追求されることになる。この見地にあっては、ある規則を破った人びとはある同質のカテゴリーに属する、と仮定されている。なぜなら彼らは同一の逸脱行為を犯したのだから。》H. S. ベッカー『アウトサイダーズ ラベリング理論とはなにか』)

 社会に認められている「規則」を破るのは悪いことだという点では、多くの人は同意します。それどころか、規則違反は罰せられるのが当然だということになります。その意味で、規則破りというのはある行為に内在する特質であると見られていますが、はたしてどうか。同じような規則違反をしても、ある人は見逃され、別の人は非難(処罰)されることはしばしば起こる。違反した人間がどのような種類の人間であるかによって、それは違反となったりならなかったりするのです。

 また、規則というものは大なり小なり「社会的な承認(合意)」を得たものだと考えられがちです。でも、実際にはそんなことはない。同じ規則を破った人は「同質のカテゴリー」に属するということはなさそうです。例えば、6歳から15歳までの子どもであれば、だれでも学校には行かなければならないという「就学規則」があるが、不登校(登校拒否)をおこす子どもは「同質のカテゴリー」に属するといえるでしょうか。そんなことはいえないでしょう。

 またある時期まで、非行や問題行動に走る子どもを調べてみれば、「家庭崩壊」(家庭に問題がある)が明らかになるといわれた。いまも、そういう人(学者)はいる。同じような環境で育ったから、登校拒否(不登校)になるのでしょうか。いったい、どうしてこのような考え方がなされるのでしょうか。

 このような「規範」(「規則」「ルール」)といわれるものと、その規制からはみでる(逸脱する・deviate)行為との関連をていねいに考えたい。だれにも適用される「規則」があり、それを破ればだれでも非難(処罰)されるのかどうか。そうではない。多くの人はいつでもこのことを経験しているんじゃありませんか。

 「逸脱とは、行動それ自体に属する性質ではなく、ある行為の当事者とそれに反応する人びととのあいだの相互行為に属する性質」(ベッカー)だといわれています。このメカニズムを深く検討したいものです。

 規則違反をしていないのに、他人から「規則破り」と目されることもあれば、規則を犯しているにもかかわらず、他者はそれを見のがしている(気づいているかどうかはともかく)場合もあります。では、どうしてそのような事態が生じるのか。それが「ラベリング」(「レッテル貼り」「スティグマ」「烙印」「汚名」)という他者の反応の問題だということです。

 規則(法律)よりもっと重い、人間の振る舞いというものがあるでしょう。いじめた側にも、いじめを関知していた教師の側にも、人間性になにか欠けたところがなかったのかどうか。いくらいじめられても、「まさか、死ぬまい」と勝手に判断したなら、それはお門違いだし、「死にたきゃ、死になさいよ」という酷薄な意識があったら、なんといおう。

 「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために」

 ボクたちが所属する集団がすこしでも民主主義の原理に近付くことができるために、ボクたちはものを学んで賢くなろうとしているのだと思う。学習というものに、なんの「社会的な動機」もなければ、あとは強制か競争しかなくなるだろう。現下の状況はいやというほど、この惨状を見せつけています。「一番病」の蔓延と、勝者の奢り、敗者の挫折。言いようのない頽廃。「一番」をうらやましく思うなら、「一番」を目指せばいい。でもいつでもそうするわけにはいかないということがわからなければ、それはしんどいことですね。ぼくはビリへの一番を目指していました。ビリになるには能力がいる、そういう、自身の経験を語った、ぼくの敬愛している哲学者がいました。(文中の二枚の建物の写真。左は奈良少年院・現在は廃止されている。設計は音楽家山下洋輔氏の祖父敬一郎氏、右は榛名少女学園です。お世話になった、ぼくの知人が「園長」をされていました。知人は山口葉子さんとも関係の深い人でした)

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