だれが規則を作るのか

 DNA鑑定で無罪、全米で200人

 米国でDNA鑑定の結果、冤罪が晴らされた例が少なくとも200人に達した。この中には死刑囚14人も含まれている。多くは目撃証言が有罪の根拠とされていた。/ 無実を訴える受刑者の救援活動をしている非営利組織「イノセンス・プロジェクト」(IP、本部ニューヨーク:写真右)によると、シカゴで81年に起きた誘拐、婦女暴行、強盗事件で有罪判決を受け、24年以上も服役していた男性(48)が、このほどDNA鑑定で無実が証明された。IPが活動を始めた89年以降、有罪判決がDNA鑑定で覆ったのはこれで200人目。

 男性は一貫して無実を主張したが、2人の目撃証言があり有罪判決を受けた。その後IPの活動で実施された、女性の服に付着した精液のDNA鑑定が、無実の決め手となった。/ IPによると、無実が証明された200人が刑務所で過ごした時間は計2475年、1人平均約12年。無罪を勝ち取った人の62%は黒人だった。/ 88%が性的暴行、28%は殺人で有罪判決を受けていた。77%は誤った目撃証言が有罪判決の根拠だった。当初のDNA鑑定が誤っていた例も3件あった。(asahi.com・07/04/26)

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 服役後に冤罪判明の男性、再審が決定 富山地裁支部

 強姦(ごうかん)などの疑いで逮捕され、2年余の服役後に冤罪が分かった富山県内の男性(39)について、富山地裁高岡支部は12日、再審開始を決定した。検察側が男性の無罪を求めて再審請求していた。/ 法務省によると、裁判所の再審決定は新たな被告の判決確定後に行うのが通常で、確定前に決定するのは極めて異例という。/ 男性は「早く終わりにしたいと思っていた。決定まで長かった。捜査側には法廷ですべてのことを明らかにしてほしい」と話した。

 男性は02年1月と3月に起きた強姦など2事件で逮捕され、同年11月に懲役3年の実刑判決を受けて服役。05年1月に仮出所した。だが、別の事件で公判中の被告(52)が昨年11月に2事件を自供。県警は1月19日に同被告を再逮捕した。(asahi.com・07/04/12)

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 二つの事件はいずれも犯罪に当たると判断された結果の有罪が一転して無罪になったケースでした。ここには人権という観点で看過できない問題が存在しますが、それとは別の視点で規則作りと規則破りの問題を考えたいのです。「無罪を勝ち取った人の62%は黒人」というのはどういう理由からでしょうか。

 集団と規則~だれが規則をつくり、だれにそれを適応するのだろうか(ある項目で引用したものです)

 《あらゆる社会集団はいろいろな規則をつくり、それをその時々、場合場合に応じて執行しようとする。社会の規則は、さまざまな状況とその状況にふさわしい行動の種類を定義し、個々の行為を「善」として奨励し、あるいは「悪」として禁止する。ある規則が執行された場合、それに違反したとおぼしい人物は、特殊な人間 ― 集団合意にもとづくもろもろの規則にのっとった生き方の期待できない人間 ― と考えられる。つまり彼は、アウトサイダーと見倣(みな)されるのである。

 しかし、こうしてアウトサイダーのレッテルを貼られた人間が、そうした事態に対して、まるで異なった見方をすることもありえよう。彼は自分がそれによって判定された規則を承認していないかもしれず、また、自分に判定を下した者たちに判定者としての権限も法的資格も認めないかもしれない。ここに、このことばのもう一つの意味が生ずる。すなわち、規則違反者が判定者をアウトサイダーと見倣すこともありうるということである。(H. S. ベッカー『アウトサイダーズ ラベリング理論とはなにか』)

  アウトサイダーであると判断された人もいれば、そのような判断を下した人びとこそアウトサイダーだといいうる場合もあり得るというのです。規則というものは、大なり小なり、社会全体の合意を得て成りたっていると考えられそうですが、はたしてどうか。(「規則」の多くは多数決で決められます)万人の目が一致して「あいつは悪い」というような事態はまれです。「あいつが悪いというやつが悪い」となることもしばしばです。(右写真は Becker)

 以下のような新聞記事に興味をもちました。このような事態のなりゆきをどのように思われますか。ある行動を取っている人びとと、それを非難する人びとの考え方はまったく異なっているというのはいくらでもあること。でも、そのような状況において、非難され、「逸脱」しているとされるのは特定の人びとにかぎられるのも事実です。非難されたから「悪い」のか、悪いから「非難」されたのか。どちらですか。

 ブッシュ批判Tシャツ着用の女性、飛行機から降ろされる

 ブッシュ米大統領への侮辱ととれる言葉をプリントしたTシャツを着て、飛行機に乗っていた乗客が、ほかの乗客からの苦情で途中で飛行機から降ろされる出来事があり、米メディアで話題になっている。/ リノ・ガゼットジャーナル紙によると、乗客はワシントン州在住の材木商、ロリー・ヒーズリーさん(32)。ロサンゼルス発のサウスウエスト航空機で夫とともに、両親が待つオレゴン州に向かっていた。だが、経由地のネバダ州リノで乗員から「Tシャツを裏返しに着るか飛行機から降りるか、どちらかを選べ」と迫られた。数人の乗客から、Tシャツの表現で苦情が出たためだ。/ 大統領とチェイニー副大統領、ライス国務長官の写真とともに、米国で話題になったコメディー映画「ミート・ザ・フォッカーズ」(邦題ミート・ザ・ペアレンツ2)の題名をもじった「ミート・ザ・ファッカーズ」(くそったれに会う)という言葉が刷り込まれていた。ヒーズリーさんの両親は民主党支持者で、空港の出迎えで笑ってもらう冗談のつもりだったという。/「私のいとこはイラクで戦っている。別の国を自由な国にしようとしているときに、Tシャツで飛行機を降りなければならないなんて。これは自由とはいえない」。人権団体と相談し、民事訴訟を起こす構えだ。(朝日新聞-2005/10/07)

 「規則(この場合は、多数の感情?)破り」と見なされたのはTシャツを着た女性。でも、この女性から見たとき「規則破り」は苦情を申し立てた人たちだし、降りるように命じた乗員であるともいえるのです。「お前はアウトサイダーだ、という方がアウトサイダーなのだ」ということだってある。決められた規則は、どんな時でも守らなければならないというのは絶対条件ではない。

 だれが決めた規則か、それは不問にはできませんね。「stay home」とどなたが言い出したのか。外に出るなと「自粛」を強いて、はたしてコロナ禍に効果があったのか。自粛するもしないも、ぼくは自分で判断したい人間です。「自粛警察」というのはだれのこと、なんのことですか。「規則破り」はだめだというが、破らねばならない「規則」だってあるでしょう。「治安維持法」を出すまでもなく、勝手に「オレがすることが法律だ」という、クズが仕掛けた今回の違法行為に反対するのは「憲法を守る」という意味では、人民のまっとうな行為でした。

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 「おとり」と「めとり」

越中おわら風の盆・富山市八尾で、9月1日から3日にかけておこなわれる(今年はどうか)。

 「日本では家が大切にされ、その家に血のつながりを持つものが尊ばれたのであって、他家からはいったものはやや低く見られる。世間も低く待遇するのである。したがって結婚して他家にはいらなければならない女の地位は低く見られることになる。

 だが、子どもができ、その子があとをとることになれば事情はかわってくる。世嗣(よつぎ)の親になるからである。

 しかし武家社会のように男中心の社会はともかくとして、男も女もともに働いた社会ではすべての女がみじめであったわけではない。女の相続権がかなりつよく見られたし、東北地方の奥羽山脈の両側にそうて姉家督(あねかとく)制度のあるところでは、家のなかで女が隠然たる勢力を持っている。

 これは長子が女であった場合、養子をもらって、女にあとをとらせる慣習であるが、宮城県栗駒町などでは姉にかぎらず、女の子はすべて家から出さず、養子を迎えて分家させているものが多いから、もともと母系的な色彩のつよいところであり、この地方の相続形式は栗駒式が旧来からのものであり、後にだんだん長男子相続へかわってきてそのなかへ母系的な姉家督が残存しているのではないかと思われる。」(宮本常一「女の位置」『女の民俗誌』所収。岩波現代文庫版)

 「明治の終わりごろまで、一般に女の地位はきわめて低いもののように考えられ、また若者たちの間には村の娘を管理する権利のようなものが存在した村も多いが、女はただ男の意志の自由になっていただけではなかったようである。男女の関係もそのはじめは女が男の気をひき、男の眼にとまろうとするような行為または儀式から出発している。踊りというのは本来そういうものではなかったかと思われる。

 大正時代、日本にいたロシアの学者ネフスキーは、踊りは男取り(おとり)だろうといったことがある。これは妻を迎えることをめとる(娶る)という言葉と対応する。日本では女によってなされる踊りがきわめて多い。それはもと男をえらぶためのものであったといっていいほど踊りにともなって情事が見られている。また多くの男が一人の女のところにかよっても、そのなかから一人の男をえらぶ自由は女の方にあった」(宮本常一「女の伝承」同上文庫所収)

 「この選択の自由は重要な意味を持っている。それによって女の運命がきまってしまうものだからである。そして自らの選んだものを大切にした。このことがあったからこそ女は家のよき伝承者たり得たのである。女を頑固なものにしたのもそうした自由意志がその最初にあったからである」(同上)

 宮本さんの指摘するところは、一方的に女は男に服従していたのではなく、いろいろな場面で「選択の自由」があったということです。どの男を選ぶか、どの家に奉公に行くのか、今からでは十分に理解できないことのようですが、以前ははるかに女に選択権が与えられていたらしい。

朝日新聞(05年9月29日)

 「盆踊り」は劣島の「夏の風物詩」といわれるような風情がありました。しかしその踊りにはさまざまな歴史が含まれていた。今ではそれはすっかり忘却されてしまいました。生活の中で必要とされない「事柄」はおのずから廃れます。「去るもの 日々に疎し」というのは人間ばかりではなかったのです。(ぼくにはとても懐かしい人である「ネフスキー」の名前が出てきました。かれは数奇な運命をたどったロシア出身の研究者でした。日本民俗学にも小さくない貢献をなした人として、もっと敬意と評価を払われていい存在だとぼくは考えています。いずれ、彼のことも書いておきたいと思います)

 「昔はさかんに離婚する風習のあったところが少なくなかった。とくに西日本に多かったが、離婚の経験を持つものにきいてみると、出されたのではなく、出てきたのである。『いやになったもの同士が一緒にいるのは道徳にあわんでしょう』と対馬のある老婆はいった」(「女の位置」)

 離婚する夫婦の数は、宮本さんの言われる時代と比較はできませんが、現在も決して少ないとは言えない。「出されたのではなく、出てきた」というのはいかにも旧家制度下の表現ですが、ともかく離婚するカップルの多さは何を語るのか、一考に値すると思われます。

(厚生労働省「人口動態統計(確定数)の概況」2018年)

 一方では、日本の女性、ことに農村や漁村の女性たちがもっていた伝承者としての性格やかしこさは、明治以降に学校教育が普及することによって失われてきたのだと、宮本さんはいわれる。戦後になってなによりも女性の解放が叫ばれたにもかかわらず、それとは反対に無口な女性が多くなったともいわれる。どうしてなのか。流れは逆になっていてもおかしくないのに、むしろ男に頼り、自分で選択できない女性が増えてきたとするなら、それは広く普及するようになった学校教育のせいだということになります。

 もちろん、いまでも男よりよほど強い権限を家の中で行使している女性も健在です。ボクのところなどはその典型かもしれない。よそのことはあまりしらないから、断定はできませんが。(「時代が変わる」といいます。だが、時代を変えるのは人びとであるのですが、その人々が時代によっても変えられるのですね)

(前列右から)柳田国男・ネフスキー・金田一京助 (後列左)折口信夫

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●ネフスキー ニコライ(英語表記)Nevskii Nikolai Aleksandrovich

国籍ソ連 生年1892年2月6日 没年1937年11月24日 出生地ロシア・ヤロスラブリ

学歴〔年〕ペテルブルグ大学東洋学部〔14年〕卒 主な受賞名〔年〕レーニン賞〔62年〕

 経歴1915年ペテルブルグ大学(のちのレニングラード大学)派遣の官費留学生として来日。民俗学者の柳田國男、折口信夫、伊波普猷らと親交を結び、日本文化、日本民俗学を研究。’17年のロシア革命のため帰国を延期し、’29年まで日本に滞在、小樽高商、次いで大阪外国語学校、京大などのロシア語講師を務める傍ら、日本各地を調査旅行し、東北のオシラ信仰、アイヌのユーカラ、沖縄宮古島のフォークロアなどに関する論文を「民族」その他の雑誌に発表。’22年北海道出身の萬谷磯子と結婚。’29年ソ連に帰国、レニングラード大学とレニングラード東洋学研究所の講師となり、日本文化研究、西夏語研究を続行したが、スターリンによる粛清の犠牲となり’37年10月夫妻ともに逮捕され、11月24日レニングラードで銃殺刑に処せられた。  

 死後’57年に名誉回復され、’62年には西夏文献学等の業績に対しレーニン賞を授与された。’90年長らく不明だった没年と没地がソ連誌に掲載された略伝により判明。’91年、14年に及ぶ日本滞在中に沖縄宮古島の方言を記録したノートのマイクロフィルムが、ソ連科学アカデミー東洋学研究所のL.グロムコフスカヤらにより早稲田大学図書館に寄贈された。邦訳書に「アイヌ・フォークロア」(北海道出版企画センター)がある。(20世紀日本人名事典の解説)

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